山姥の憂鬱

久世 空気

山姥の憂鬱

 昔々、足柄峠に山姥がいた。

 山姥というのは人ではない。人ではないがあやかしの類いでもない。山に住み、山の動物の平衡を保ち、季節によって変わっていく木々草花の手助けをする。こうして山を守っているのが山姥だ。山の意思だとも言える。


 その山姥が子供を拾った。山の中におかしな気配があるのは気付いていたが、わざわざ見に行くことは無かった。その子のいる場所に行ったのは偶然だ。

「人間の赤ん坊か。まあ、暇つぶしにはなるかね」

 普段なら食うか、食う物に困っている動物に差し入れしてやるところだが、その年の山は豊かだった。わざわざ肉の少ない子供を食べることもない。そのため山姥は気まぐれを起こしたのだ。

 ちょっと人の子でも育ててみようか。

 それが間違いだった。

 あれから15年、金太郎と名付けた人の子は山姥を悩ませていた。


 山姥は、いつも考え事をする岩に腰掛け深くため息をついた。

「お疲れだな、婆さん」

 声を掛けてきたのは熊だ。その横を猪もトコトコ歩いてくる。

「また金太郎が何かしたのか?」

 猪が横に座ると山姥が肘置きにする。ここが猪の定位置だった。

「天狗の一本杉を伐ってしまったばかりなのに、またまさかりを持って出かけていったよ」

「あんなに怒られていたのにまだ分かってないの?!」

 にょろっと現れたのは大蛇だ。

「そうなんだよ。伐ってはいけない杉を切ったんだから、もう伐ってはいけない杉はないのだろうって理屈みたいだね」

「じゃあ、杉は一本残らずなくなるかもね!」

 大蛇は無い肩をすくめた。

「なんで金太郎はなんだろうな」

 熊が言うと、傍の桜に止まった鴉がふんと鼻を鳴らした。

「オツムが弱い、だろ?」

「そんなにはっきり言うなよ」

 熊が抗議する。

「これでも言葉を濁していったつもりだぜ?」

 鴉の言葉に猪が吹き出した。

「そうだな、金太郎に言っても意味が分かってないみたいだったな」

「本人に直接言ったの?」

 大蛇が呆れつつ、山姥の顔を伺った。山姥の表情は曇ったままだ。

「まったく、人間なんて育てるんじゃなかったよ。赤ん坊のうちに喰っちまえば良かった」

「今からでも喰うか?」

 熊が持ちかけても山姥は力なく首を横に振る。

「あれは無理だ。私でも手に負えない」

 「オツムが弱い」だけならまだ良かった。それにくわえて金太郎は力が強い。強すぎる。

「オツムが弱くて加減が出来ないからな」

 と猪。

「俺も何回投げ飛ばされたことか」

 熊はその時のことを思い出したのか肩を抱いて震えた。

「相撲の意味も分かってないんだよ。相撲って言えば何度投げ飛ばしても良いと思ってる」

 そこにいる鴉以外の動物は全員、金太郎に投げ飛ばされていた。掴むところの無い大蛇に至っては尻尾をひっつかまれてグルグル回して投げ縄のように飛ばされている。

「アタシ達はまだ丈夫だから良いよ。鹿はかわいそうだったわ」

 鹿は投げ飛ばされたときに足を折ってしまい、一族全員山から逃げ出した。主な糧がなくなり、生活できなくなった狼も半分、山を去っている。これは山にとってゆゆしき事態だ。

「今は木を伐ることに夢中でね、鳥がこぞって山を去ってるよ」

 ああ、と鴉は黒い羽で頭を抱える。

「人間なのになんであんなに強くなっちまったかな」

「山の空気があの子に合ってたんだろう。人間の世の縛りが無いのも強さに歯止めがきかない理由かもねぇ」

 山姥が何度目かのため息をついたとき大きな羽音が近づいてきた。鴉がぴょいと地面に降りて枝を譲る。

「婆さん、老けたか」

 桜の木に舞い降りたのは天狗だった。

「昨日あったばかりだよ」

 山姥のあきれ顔に天狗は豪快に笑った。

「金太郎に杉を切られたのにご機嫌じゃないか」

 熊が言うと天狗は眉間にしわを寄せた。

「その名は出すな。そんなことより人里で面白い男を見つけたぞ」

 天狗は時に人のふりをして人里に降りることがあった。そして見聞きしてきたことを山姥に話す。

「京で武士団が出来ただろう。その長の息子があやかし退治をはじめたと言いふらしている」

 天狗の話にみんな首をかしげた。動物たちは武士と言うものは争いが起こったときに戦う奴だとボンヤリと知っていた。それが何であやかしを相手にするのか分からない。

「同じ人間に相手にされんから、あやかしでも狩って手柄を作ろうとしてるんだろ」

 天狗が嘲り吐き捨てた。

「小狡い人間だな。それで?」

「そいつが強い男を捜してる。長子だからな。万が一でもあやかし退治で死にたくはないんだろう。とにかく強い男を従者にしたいらしい」

 それまで暗い表情だった山姥が、天狗の言わんとすることを理解し立ち上がった。

「金太郎をその男に差し出せと?」

 おお! と遅れて理解した動物たちが歓喜の声を上げる。

「しかし、どこの馬の骨とも分からん男を従者にするかね」

「そこは嘘と誠を織り交ぜて作っておけば良い。どこそこの貴族がどこぞの女に作らせた落とし子だとでも言っておけ」

「それでそれで、『このときのためにお前を育ててきた』とでも言えば、オツムの弱いあいつなら舞い上がって山を下りるぜ!」

 熊が大きな手を叩きながら言い足した。

「さて、どうやってその男を山におびき寄せる?」

「そこはオイラが」

 と鴉が名乗りを上げる。

「仲間の鴉を使って人里で噂を流そう。『足柄峠に熊をも投げ飛ばす大男がいる』ってな!」


 こうして京にて金太郎の噂が出回り、例の男の耳にも届いた。金太郎が山から下り、山には平和が戻った。小鳥が飛び回り、鹿も少しずつ戻ってきた。

 そして山姥はその後も他の動物と一緒に山で幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。


 

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