第62話

「はあ……学習能力のない男ですね……」

「ルキさんの仕置きが甘すぎたんじゃなくて?」

「なんの話すか? 仕置き?」


 玲が問うと汐乃とルキは口元を整いすぎた三日月型にする。それを見て、玲はこの話を掘り下げてはいけないと悟った。


 潔子はどうやらまだふたりの空気を察していない様子だった。下手に潔子がふたりに質問をしないように、玲は特に食べたいわけでもなかったがキッチンへクッキーを取りに行くよう潔子へ指示した。


「まあ、また彼が店に来たら知らせてください。管理人として厳重注意しますから」

「いえ……ははは、心強いっすね……しかし、なんで今更こんなことするんだろ。自分で捨ててるくせに」


 玲にとってはその点が不思議だった。裕也が潔子を都合のいい存在として、転勤先にも連れて行こうとしていたのはわかっていたものの、裕也がこの土地を離れて半年は経とうとしているのに。


 その土地で他の女を見つけてしまえばいいし、既に玲と付き合っている潔子にわざわざこだわる必要もない。玲は認めたくないが、裕也は身なりもおしゃれだし、営業マンらしい爽やかさもあるし、女には苦労はしなさそうに見受けられるのに。


「そうねえ……まあ、手に入らないものほど欲しくなるのよ」

「そういうもんすか?」

「それかまあ……玲ちゃんを自分より格下に見ているか、かしらね。かつては自分のものだった潔子ちゃんが、格下に奪われているのが気に食わない。負けを認められない、哀れな子だわ」

「汐乃さん、手厳しいですねえ。ふふ、まあ負けを認められない男は成長する機会を自ら摘んでいるようなものです。僕達が教えてあげたいくらいですね」


 ルキはわざとらしくにっこりと笑う。汐乃も同じ顔をしていて、玲は話題を逸らすのに失敗したなあと思った。


 もう少し潔子にはキッチンにいてもらおうと、コーヒーのおかわりを淹れるように潔子へ伝える。なにも知らない潔子の軽やかな返事が聞こえて、玲は安堵の息を吐く。


 もし裕也がこの店に再び来るようなことがあれば、潔子の病気の再発よりも彼自身の身の安全の方が懸念される。


 先ほどまで玲は裕也を海の底の沈没船に縛りつけたいと思っていたが、汐乃とルキを見ているとそんな感情は萎んでいく。ここから逃げろとだけ、裕也には伝えたくなった。


「まあ、玲ちゃん達のラブラブぶりを見せつければ、さすがに諦めもつくんじゃないかしらね」

「そうですねえ。僕としてはもう一発シメてやりたいとこですが……まあ、それが一番効果的でしょうね」

「あはは……そう、ですねえ……」


 潔子がコーヒーポットとクッキーをトレイに乗せてテーブルへ戻ってくる。四人のカップにコーヒーを注ぐ姿は、もうパライソでは日常風景になっている。


 ──出会った当時は、不安だったけど。


 最近は大分笑顔も増えて、接客も調理も楽しんでいるように見える。玲の考えていることも察して、まるで長年組んだ相棒のようにして店を回している。


 これからもずっと、そうやって生きていたい。迷惑をかけることもあるだろうし、喧嘩だってするだろうし、それでも玲は潔子を支えたいし、潔子にも助けてほしいと思っている。


「頼りにしてんぜ、潔子」

「はあ……いきなりなんですか?」

「これからもめちゃくちゃこき使ってやるってことだよ」

「いや、だからこき使われるのは……」


 潔子はマスクの下で苦笑した。

 コーヒーの香りがこの空間を優しく包み込み、玲は口元を緩ませる。

 潔子はマスクをして顔が半分隠れてはいるけど、玲には優しく微笑んでいるように見えた。


〈了〉

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メゾン・ド・モンストルの住人 来宮ハル @kinomi_haru

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