ライツ オア ウェイブ
山本アヒコ
濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら、ワインボトルを片手でつかみグラスに注ぎひと口飲むと、つい「ほぅ」と声が漏れた。それが聞こえたのか、角原が笑う。
「へへっ」
「何がおかしい」
「そりゃあ安物のワインを飲んでそんな声を出すからさあ」
「うるさい。お前も安い酒しか飲んだこと無いだろ」
「俺はさ、安酒を愛してるのよ」
そう言うと角原は缶ビールを開けた。炭酸の抜ける音が聞こえた。
「カーッ! シャワーのあとの一杯は最高だな」
「俺には苦いだけで炭酸も嫌いだ」
「ハイボールも有澤は飲まないしな」
角原はうまそうにのどを鳴らすが、俺にはその美味さはわからない。
俺と角原は一緒に暮らすようになって何年もたつが、お互いの好みはバラバラだ。俺は煙草を吸わないが角原は吸う。左利きと右利き。映画を観る観ない。好きな服。音楽。
容姿も似ているところは無い。金髪に染めた短髪で百九十センチの筋肉質な俺。黒髪を肩より長くのばして頬がやせた細身の角原。その見た目から『凸凹バディ』なんていう面白みのない陰口をもらっていたりする。実は角原の身長も百八十センチ以上あるのだが、俺の体がでかすぎるせいで並ぶとかなり違って見えてしまう。
俺はなぜこいつとバディを組んでいるのかと、濡れたまま放置している角原の長い黒髪を見ながら自問してしまった。
「ん? どうした?」
「……時間だ。行くぞ」
角原は残りのビールを一気にのどに流しこむ。
「今回の依頼人は女なんだろ? カワイイ子だったらいいよなあ」
俺は角原の言葉を無視して、汚れたマンションの廊下を歩く。築うん十年のマンションの壁と廊下には、何が原因かもわからない黒いシミがいくつもある。ずっとここで暮らしているが、その数が増えているのか減っているのか、それすらもわからない。
「お前と組んで何年だ」
「さあ? 覚えてねーや」
角原は頭の後ろで両手を組むと上を向く。
今にも壊れそうな狭いエレベーターで一階まで下りると、そこは駐車場だった。このマンションに住んでいる理由は、広い駐車場があるからだ。俺たちの仕事に車は必要不可欠だからだ。
「いつ見てもカッコイイぜ」
角原はシルバーの車体を手のひらで叩く。
やたらでかい古いアメ車。俺は名前すら知らないが、角原があまりに必死でせがむためやむ無く購入した車だ。しかもオープンカー。
硬いシートに座り鍵穴に鍵を入れる。エンジンを始動させるボタンなどという物はこの車に存在しない。鍵を回すと何事もなく動き出す。仕事の前には必ず点検するようにしている。俺が。角原にそんな考えは無い。この車も自分が欲しがったくせに、点検も洗車もせず、それどころか運転免許すら持っていないのだ。
「さっ、行こうぜ」
助手席に座る角原はヘラヘラと笑いながら俺を見る。無言でアクセルを踏み込んだ。
俺と角原が出会ったのは、とある仕事でだった。依頼料がかなり高額だったので行ってみれば俺のような『逃がし屋』だけでも何人も。それだけじゃなくボディーガードや傭兵やらが十人以上、有名から無名まで裏家業の奴らが多数集められていた。これはヤバイと思ったがここまで来て逃げられるはずもなく、嫌々ながら仕事をすることになってしまう。そのときに業界では珍しくソロで仕事をしていた俺は、同じくソロだった角原と無理矢理にバディを組まされたのだ。
「よう! ソロどうし仲良くやろうぜ!」
角原の第一印象はやたら軽薄で長い髪が鬱陶しい奴でしかなかった。
怪しい依頼はやはり疑惑の事故、情報漏洩、裏切りなどトラブルの連続でひどい目にあった。そのなかで単純な、というかバカな角原とバディを組まされたのは幸運だったと思う。何しろ裏切られる心配がなかった。
だからだろうか。ずっとソロでやってきた俺が「一緒に組もうぜ」という角原の誘いに頷いたのは。
「あなたが『逃がし屋』なの?」
依頼人はおそらく二十代前半の女だった。化粧はしておらずショートの髪の毛もずいぶん乱れている。だが俺たちに依頼する人間は切羽つまった奴らばかりで、格好など気にする余裕があるはずがない。やたら綺麗な身なりの奴が依頼人の場合は、報酬がいいかわりに危ないか、罠のどちらかだ。
「ああ、そうだ」
「でも……私が依頼したのは……」
深夜の裏路地で車に乗れと言う明らかに一般人ではない大男と見れば、どこにでもいる小柄な若い女からすれば恐怖の対象だろう。だが今はそんな事にかまっている暇は無い。
「いいから早く乗れ。もうアンタの情報は漏れてるんだ」
複数の車がかなりのスピードでこちらに向かって来ている音が聞こえた。すでに近い。俺はドアを開けるのも面倒で飛び越えると、女の体を有無を言わさず後部座席へ放り込んだ。オープンカーはこういうとき有難い。女が座席に座るのを待つことなく運転席に飛び乗ると、一気にアクセルを踏んだ。
「うわっ!」
「シートベルトをしろ」
「悪いねー。有澤の運転はちょっと荒いんだ」
オープンカーなので長い髪が風で暴れるが、角原は顔に髪がかかったままで大きく口を開けて笑っている。口に髪が入るぞバカが。
「なあ有澤。後ろから来てるぞ」
バックミラーで確認すると、複数の車のヘッドライトがこちらへ迫って来ている。黒色のボディでスモークガラスのいかにもなSUVという、ベタなアクション映画のような集団だ。意外性が無い。
「シートベルトは?」
「えっ、つけた、けど」
俺はさらにアクセルを踏んだ。しかし後ろの車集団は徐々に差を縮めてくる。深夜なので車も少なく運転しやすいのはいいが、相手にとってもそれは同じだ。さてどうするかと考えていたら、急に角原が後ろへ体を向けた。
「俺にまかせておけっ!」
角原は右手で握った拳銃を撃った。深夜の街中に銃声が広がる。角原の凶行にハンドルを握る俺の左腕が震えて車が蛇行する。
「お前っ! 急に向きを変えるな! 撃つな!」
俺が叫ぶと、後方からも銃声が聞こえた。
「あっちも撃ってきたぞ!」
「撃ち返せ!」
「弾切れだ!」
「撃ちすぎだバカ!」
俺は一瞬ハンドルから手を離し、ベルトポーチからマガジンを取り出すと拳銃に叩き込む。
後ろの敵は角原に任せ、俺は運転に集中する。時おりバックミラーで後方を確認しながら、何度か急に道を曲がり敵を惑わせる。それを何度も繰り返せば後方の車の数は減り、距離も離れていきやがて一台も見えなくなった。
「有澤、車いなくなったぞ」
二時間後、無事に敵の車たちを撒くことができた俺たちは寂れた港に到着した。そこには小さなモーターボートが停泊していて、運転手の姿もあった。ここまでが俺たちの仕事で、ここから先は別の逃がし屋の仕事だ。
「これを」
俺は封筒に入った札束を確認する。事前に半分の金を振り込んでもらい、仕事の際に残りをもらうのが俺たちのやり方だった。
「確かに。これで俺たちの仕事は終わりだ」
「今回は久しぶりに銃を撃てて楽しかったー」
やりきった顔で背伸びをする角原を横目で睨む。
「ありがとう。おかげで助かった。でも、ひとつ聞いていい?」
「何だ」
「私が依頼したのは二人組の逃がし屋だったはずだけど、あなた一人だったのはどうして?」
俺は角原を見るが、ただ笑っているだけ。
「俺たちは二人組だ」
■■■■■■
角原とバディを組んで数年後、俺は白血病になった。しかし幸運なことに、角原がドナーとして適合したのだ。
「なあ? 俺たちがバディを組んだのって運命だったのかもな」
俺は病院のベッドで笑った。
入院中に角原はソロで仕事をするようになった。
「久しぶりのソロでの仕事だからな。注意しろよ」
「平気だっつーの。ずっとソロでやってきたんだぜ」
俺は同じソロでやっていたからこそ角原の実力を信じていた。
よくある仕事仲間の裏切りが原因だ。角原は死んだ。
顔に三発の銃弾を受けて顔はグチャグチャだった。長い黒髪はそのままで、顔の部分だけくりぬかれたように見えた。お面でも被せれば生き返るような気がした。
退院すると、俺の右腕を角原が奪った。急に右手が自分の意思ではなく動きだして驚くと、角原の声が聞こえた。
「おー。無事に退院したんだな」
いつもと変わらない角原がそこにいた。定位置であるソファーに座っている。痩せた頬に長い黒髪、子供のような目に大げさなほど大きく開いて笑う口。
「有澤さー、俺ビール飲みてぇなぁー?」
俺は言われるがままフラフラと冷蔵庫のドアを開けると、右手が勝手に缶ビールを手に取りプルタブに指をかける。カシュッと炭酸が抜ける音。右手はそのまま缶ビールを俺の口へ。
かすかに震える唇を開くと、よく冷えたアルミ缶が触れる。そのまま缶が傾けられるとビールが口のなかへ入ってくる。苦い炭酸の刺激。
「いいから飲んでみろって」
一緒に暮らしはじめた数日後、そう言って強引に飲まされたビールの不味さを思い出す。苦さと同時にのどを刺す強い炭酸に思わずむせそうになる。それを抑え込み、何度も何度ものどを鳴らす。角原がそうしていたように。首が細いからなのか、のど仏が目立っていた。
「……ハーッ! ゲホッ、ゲホッ」
「カーッ! やっぱりビールは美味い!」
口からこぼれたビールを腕で拭いながら振り向くと、ソファーに座った角原が缶ビールを右手に持って笑っていた。
「有澤もたまにはビール飲んでみろよ」
「……ああ……そうだな」
のどに残る苦味に咳をすると目尻から涙が落ちた。
ライツ オア ウェイブ 山本アヒコ @lostoman916
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