第12話 一橋 里駈


 目を開ければそこは、政府の病室だった。

 ベッドの上で仰向けに天井の証明と顔を合わせる様に目を開けた里弦は、その空間を不思議だとは、思わなかった。


 確かに初めての場所だった。しかし、知ってる場所だった。


 それもその筈、里弦は、目の前の光景が自分の記憶である事を知っていたからだ。だからと言って、体の自由が効く訳でも無い。


 記憶の追体験? 明晰夢?…何はともあれ、目を開けた事により動き出した時間の流れと言う台本シナリオの線路を撫ぞる様に───ボヤけた視界がギコちない動きで天井の照明を眩しがる様に、白いシーツに横たわり───涙が目を撫で、落ちてシーツに小さく染み渡った。カチャと足の向こうでドアの開く音が聞こえた。


 里弦は、近付いて来る小さな足音に寝返りを打つ様に視線を向けた。

「ぉお!?」と里弦が動くに合わせて声が聞こえた。目の前では、ベッドにじ登る、自分と幼馴染みだろうか、白い髪の笑顔の男の子が目を光らせながら里弦を見つめて居た。


「んん…なに…?だれ?」と掠れた声を出す里弦に男の子は心底嬉しそうに「喋ったぁああああ!!」と叫びながら部屋を飛び出した。


 開けっぱなしのドアから次は、何の騒ぎだと言わんばかりに看護師と思われる片腕の無い顔にマスクをした女性が顔を覗かして、目を見開いた。


「せ、先生!先生!!」と声を上げながら慌てた様子で周りを見渡すと里弦に寄り添って「大丈夫?気分は悪くない?」と優しく声を掛けた。


   ◆


 軽い健康診断の後に一橋は、政府軍から事情聴取を受けていた。だが、決して怖い物では無かった。


 話に聞くと自分は、革命軍テロリストの実験体として誘拐され、政府の人間が救ってくれたのだと言う。しかし、その人間は助からなかったらしい。


 目が覚めてから里弦は、体の衰弱と左足の神経が麻痺していた所為で真面に歩く事すら出来ずに居たが、日々のリハビリで杖を付きながらだが、歩ける様になっていた。


「───解離性健忘? 何も覚えてないのか?自分の名前もか」


「そりゃ、何も覚えてないんだから当たり前だろ?」


 廊下の腰掛に休憩がてらに凭れて居ると初めに出会った白い髪の少年と出くわした。少年は、柳元やなもとと言う名前らしい。


「ふーん、何もって言う割に言葉は分かるし話せんだな」


 心配してるのか。こんな自分を気にしてくれるのは、ありがたいが…正直面倒くさい。そう思いながら里弦は、懐から錠剤を取り出して飲み込んだ。

 どうやら、革命軍テロリストに心臓の動きを妨げる効力のある新型薬品を投薬されたらしく、定期的に薬を飲まなければ不整脈を引き起こすそうだ。


   ◆


 自分達の様に身寄りの無い子供達が集まる、沢山の玩具が散らばる床が白い壁も天井も青い広い部屋でいつもの様に里弦と柳元は、人形を蹴り飛ばして他の子に当てたりして泣かして遊んでいた。


 そして、子供達の間でお父さん、お母さんと呼ばれる複数の体罰人から逃げる為にある一室に入った。


 そこは、会議室の様な部屋で部屋の中央を囲む様に連なった長机、プロジェクタースクリーンの掛けられた壁側には、使い古されたホワイトボード、反対側の壁には、壁に沿って資料ファイルなどが整頓されていた。


 急いで部屋の鍵を閉めて「おいどうすんだよ!」と里弦は、左足を庇う様にドアに凭れながら膝を抱えて座った。


 政府ここは、おかしいのだ。元の親から子供を引き剥がして拷問じみた洗脳して、兵士として育成をしていたのだ。今回の様にお母さんとお父さんを怒らして、もし、掴まってしまうと再教育されてしまう。しかし、再教育が終わるとこれでもかと愛でて新しい玩具が貰える。


 ここの皆は、お父さんとお母さんに可愛がられたくて、痛い目に会いたくなくて、元の親の事を本気で忘れようしてるのだ。


「どぉこ行ったんだい? 出てお出でぇ?お父さんもぉ、お母さんもぉ、もう怒ってないからぁさぁ?」


「ええ、そうよぉ?家族泣かしちゃぁダメですよぉ? 仲良くしなきゃぁ、兄弟喧嘩はダメですよぉ? 良い子だからぁ出てお出でぇ?」


 ガチャガチャ!!ドンドン!!


 叩かれ揺れるドアの向こうからお父さんとお母さんの声が聞こえて来る。里弦は、恐る恐る、顔を上げて、ドアの丸い擦りガラスを見上げた。ゆらぁ、とボヤけた白いマスクを着けた二つの影が立っていた。


「あ、ああぁ…!」と里弦は、溜まりに溜まった涙を震い頬に筋を作っていた。そんな里弦の傍らで柳元は、爪を噛んで周りを見渡していた。すると、何か思いついたかの様に棚に駆け寄って机の椅子の上に乗って棚を開けてバサバサと資料本を薙ぎ落した。

 その様子に「何やってんだよぉ!」と泣き叫ぶ里弦に柳元は「良い事思い付いたんだ」と冷や汗を滲ませながら微笑んで振り返ると里弦に資料本を放った。


 本には、第14 死亡者名簿と消え掛けの文字で書かれていた。


「そこに沢山の名前が載ってる!お前、確か記憶が無いんだろ!?そこから名前を決めろ!それで、自分の名前を思い出したって言え!そうすればアイツらに捕まらないかも知れない!」


 正気か?と疑わずにはいられなかった。あまりに突拍子な発言に固まってると「早くしろ!」と柳元は、本を広げた。


  ◆


 柳元の言われるがままに里弦は、咄嗟に名前を選び、その日から と名乗る様になった。柳元の狙い通り、お父さんとお母さんに捕まる事は免れた。


 俺だけだった。


 そこから数ヶ月、柳元の姿は見なくなっていた。噂によれば更生しなかった悪い子は、実験体にされたり処刑されたりとあまり聞こえの良い話は来なかった。


 俺は必死にお父さんとお母さんの圧に耐えていた。仮とは言え自分の名前を見つけたから。自分の親は、じゃない。と、態度には出さずとも堂々と出来た。そして、俺は何とか政府を抜け出す方法を模索していた。そのついで感覚ではあったが、柳元も見つける事が出来ればとも思っていた。


 ここは、世界のどこよりも安全なのは確かだろう。しかし、里弦にとって政府は───あまりにも地獄に近い場所だった。

 自分の体に打たれた薬は、今や政府内でも作られ既に大勢の人々がその試験体として犠牲になってる事を里弦は、知っていた。


 その犠牲の中に柳元が居るかも知れないと思った時、人生で初めて罪悪感を感じた。とても耐え難い物だった。しかし、尚も死にたいとは、思わなかった。


 そうして、里弦は、政府の隙を虎視眈々と機会を窺っていた。


 ある日、とある光景を目にした。他の子供奴隷達がお父さんとお母さんに褒めてもらうと言うくだらない動機で軍事車両に忍び込んでいたのだ。傍から見れば死にに行く所業に他ならなかったが、それは同時に俺にとってチャンス以外に他ならなかった。


 後日、毎朝の点呼の際に当然、足りない事が政府に知れ渡り。幸いな事に昨日見た子供奴隷達は、車庫で眠ってる所を保護されたらしい。

 当然、政府共はソレを良くは思ってなかった。だから対策される前に早めに行動を起こす必要があった。


 その日から俺は、お父さんとお母さんや、見回りの目を掻い潜りながら急いで荷物を纏めていた。他の子供奴隷達は俺の行動に気付いていたがコイツ等にとっては、お父さんとお母さんに褒められる事以外どうでも良い事なのだ。


 ガスマスクに最低限の缶詰めと水カプセルにナイフ、そして不整脈用の薬と、玩具のランプ。全てリュック一つに納まった。


 ───今夜、この施設を出て行くのだが…。


 夜中。鼓動をゆっくりと刻む心電図の様に仄暗く、赤く点滅する誘導灯が照らす長い廊下。カタン、カタンと何処から聞こえて来てるのか分からない足音の反響が静かに響いていた。


「───っ!?」


 それは、気の所為と思える。音…と言うよりは、気配、空気の流れだ。

 声を必死に抑えて振り返ると鉄の扉。謹慎部屋だ。


 ここでは、悪い子とお父さんとお母さんに認定された子供が閉じ込められる場所。中には、掃除道具入れの様な鍵付きの細長いロッカーが壁沿いに並べられてその中に悪い子を入れて暗くて狭い中で放置される。


 当然、里弦も経験者。フラッシュバックするトラウマに思わず立ち止まり顔を青く染める。呼吸が乱れ始めて吐き気が込み上げてくる。早く離れたいのだが───体が固まって動かなかった。


 その時───背後から誰かが里弦の肩を掴んだ。「うっ…!!」叫びそうになったと同時に口を押えられる。思わず腰を抜かして里弦は、振り返ると同時に尻餅を着いてしまった。


 カチャン!


 そこには、お面を付けた子供が立っていた。お面の子供は「何してんだよ…!?馬鹿死にたいのかよ…!?」と小声で吐き捨てる様に言って里弦の体を引っ張り始めた。


 思考停止してた里弦は、その声に驚きを隠せなかった。「や、柳元…?」と思わず呟いてしまう。


「良いから黙ってここに隠れろ…! 来た…」


 里弦は、言われるがままに謹慎部屋に連れ込まれた。パニックになりそうな里弦に対して柳元は、冷静でロッカーの一つを開けた。途端。ロッカーの中から風が吹いた。


「うっ…!」風と共吐き気を催す程の匂いが流れて来て里弦は思わず顔をしかめてその場にしゃがみ込んだ。しかし、その背中を柳元は、力強く押して二人でロッカーの中に入った。


 コッ…コッ。大人1人分の足音が部屋に入り込んできた。しばらく無音が続き「良い子ね。おやすみぃ」と女性の優しい囁き声が聞こえ足音が遠ざかって行った。


「…? っ!」柳元は、ロッカーの隙間から外の様子を確認して咄嗟に顔を引っ込めた。部屋には、誰も居なかったがドアは開いたままで、廊下から不気味に首を傾げたお母さんが屈み込んで脚を抱えたまま部屋を見つめていたからだ。


「クソが…!ありゃあ夜が明けるまで動かない気だぞ…。おい一橋、ガスマスク着けろ」


   ◆


 ロッカーの床は外に繋がる洞窟になっていたのだ。毎日、柳元が見られてない事を良い事に床のパネルを外しては、爪が剥がれるまで掘り進めていたのだった。

 しかし、代償として柳元は、その顔に土を被り顔中の皮膚がただれていたのだ。


 洞窟の中は、外のガスと湿気で満たされて土に触れただけで気触かぶれた様な痒みが手の平に広がった。出口は、解体された車のドアが蓋の様に被されていた。

 柳元に手を引かれ、初めて出た外。服の土を払い、顔を上げた里弦は思わず「はぁぁ…」と溜め息を着いた。しかし、そこはこれっぽっちも開放感の感じられない鬱屈とした廃界だった。振り返れば霧の中に黒い巨大な建物。政府だ。


 里弦は、ゆっくりと歩き出した。柳元はと言えば。やる事があると言い。再び政府に戻って行った。


   ◆


 生きる為になんでもした。死にそうになった事も数え切れない。薬は切れ不整脈に白目を剥き。左足の古傷が開き腐り始め───一橋に染まり切った里弦は、今まで生き延びて来た。


 それも、あの少女に会うまでは……。


 ────サェアとノゥが死に絶え。壁に張り付けにされた一橋だった人形の割れた頭部に、────


 意識は、深く暗い深海を漂う様に潰されそうに消えそうになっていた。だが、意識は、体の感覚をしっかりと認識していた。

 そして、体は───水面に向かって加速し始めていた。それと同時に意識も強くなる。しかし、浮上とはとても言えない。───落ちてるのだ。


 瞬間、まるで体自体が爆発したかと思える衝撃が全身に走り里弦は、深海から空の海に突き落とされた意識のままに目を開けた。

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