第10話 転送


 ズズズゥン…! 決して小さいとは言えない地響きが部屋を揺らして天井の埃が落ちる。一橋は、その揺れにゆっくりと目を開けた。


『ぅぅ…っ!』


 一橋は、透明なカプセルの中に入っていた。頭には、ヘルメットの様な機会が取り付けてあって首が全くと言っていい程に動く事が出来ない。ヘルメットの所為か、微かに頭の奥に熱を感じる。


 辛うじて動く目を泳がす。そこは、病室と研究室が合体した様な場所だった。パソコンの様な機械がある横には、心電計とセットになったベッドが不自然に壁沿いにある。まるで、無理矢理、退かしてあるかの様だ。

 それだけでは無く、カプセルの隣には、大きな棚が倒れていた。床には割れたガラス片と共に透明な液体が流れているのが見える。しかし、肝心のドアが見当たらなかった。


 カプセルの反射に胸から下腹部まで裂けた体の赤色が薄らと見えて、出来立てホヤホヤのトラウマであるサェアの拷問を思い出す。普通なら恐怖する場なのだろうが、一橋が最初に抱いたのは、怒りだった。


 ───ダダダダン…!と、どこからか、銃撃音が聞こえてきた。アイツ等が来る…!と思った途端、声を殺して、周りを見渡した。どこから来る!?来るなら来い…っ!バン!!と突然、近くで音がした。


 その音に驚きつつも一橋は、直ぐに横目で右側を見た。目の端でドアが開いてるのが見えて一橋は、目を見開いた。そこに立っていたのは、左胸から左腕の全てが吹き飛ばされた今にも倒れそうな血塗れのノゥだったのだ。


「…こうするしか無かったんだ。世界を救うには、他に方法は…無い…!」寝言の様に呟きながら振り返る目が虚ろなノゥの頭は、右脳が抉れて右目が垂れ下がっていた。


 ノゥの変わり果てたその姿に『ひっ…!』と思わず悲鳴を上げる。

 バチバチバチ!!とノゥの左脳は、透明な脳ミソの様な、ゼリーの様な物が剥き出しになり、そこから放電する様な稲妻が放たれていた。

 脚を引き摺るノゥが一橋の入ってるカプセルにもたれたその時、まるで夢から覚めたかの様に首を振って、カプセルの中の一橋を見つめた。


「人間…すまない。巻き込むつもりは、無か───」バゴォオオン!!

 ノゥが話をしてるその瞬間、鼓膜が破れそうなほどの爆音と共に壁が吹き飛んだ。その爆風にノゥは、手で潰される虫の様に壁に叩き付けられ、その体をぐちゃぐちゃにさせた。


『うわぁあ!?』ゴン!ガン!!ゴロゴロ…!

 一橋が入ったカプセルも同様に吹き飛ばされ壁にぶつかった後に転がって瓦礫につっかえた。


『っ!何だってんだよっ…!?』と吐き捨てる様に呟いて、煙に包まれた壁の壊れた部屋の奥にユラユラと浮かぶ無数の影をマジマジと見ていた。だが、見えてる影以上の足音が聞こえて来る。一瞬、救助が来たと思ったが明らかにその人数では無い、あまりにも多すぎるのだ。


 感じる違和感は、煙が晴れてハッキリと周りが見えると同時に更に大きくなった。そこには、老若男女問わず、銃を構えた軍服を着た政府の人間も居れば、爆弾を首からぶら下げてる革命軍と思われる人間も。加えて、みすぼらしい姿の一般民も有象無象に混じっていたのだ。

 中でも目を疑ったのは、まだ幼い子供が見えた事だった。

 部屋を取り囲む人の壁は、目測だけでも百人は軽く超えているだろう。壊れた壁の外は、人間で溢れてるに違いない。


 自分を取り囲む無数の人集りの不気味さは、まるで現実味が無いように思える程だった。しかし、ある事に気付いた。サェアが居ない事に。

 既に死んだとも考えられた。だが、サェアは、どう言う訳かノゥに対して誰かの仇かの様な振る舞いを見せていた。もしかして、何かの手違いかで、ソレを拗らせて仲間割れにまで発展してたとしたら──────


 周りの光景に呆気に取られていたが、頭の奥の熱は、心なしか…いや、確実にその温度を上げていた。クソッ…!鬱陶しい!!

 思わず目を食い縛る一橋を囲む人の壁。その誰もが一橋の入ってるカプセルに体を向けていた。さらに不思議なのは、その場の全員が寝ているかの様に目を閉じて首も座ってない状態で、まるで操り人形の様な状態だったのだ。


 すると、一人の幼い少年がフラフラと近付い来ると掻き毟る様にカプセルに爪を立て始めた。その少年に続く様に一斉に人の壁は、距離を詰めて一橋の入ったカプセルに寄りかかった。


 頭の熱に目を食い縛りながら薄らと目を開ける。最初に近付いた少年は、呆気なく後から来る人波に押し潰されて行った。

 そして、あっと言う間に目の前は、バタバタ!とカプセルを叩く無数の手と引っ掻く手に覆われていた。


 な、なんだよ…コイツ等……!


 ピシッ…!とカプセルにヒビが入ったその時───バドォオン!!と言う発砲音の様にも爆発音の様にも聞こえる大きな音が人の壁の奥から聞こえたと思うと、一瞬にして目の前の無数の手は、爆炎と血飛沫に掻き消された。


 爆発は一度に留まらず連鎖的に起きて人壁を文字通り粉砕した。


 宙を舞うカプセルの中。全く状況の理解も追い付かないまま、呆然とした一橋は、連鎖する爆発にヒビが大きくなっていくカプセルから飛び出した。


 煙に細かい瓦礫と火の粉が飛び交う中、手を伸ばす影が一橋の右腕を掴んだ。放心状態の一橋をその胸に抱えたのは、サェアだった。


 サェアは、一橋を右肩に担ぎ上げると左手に持った拳銃型の大砲を投げ捨てて部屋を飛び出した。


 サェアは「はぁ!はぁ!はぁ!」と息も絶え絶えな様子で別の部屋に飛び入った。鍵を閉めて一橋をソッと壁に凭れさせると「っ!? ヒドイ熱…! おい!しっかりしろ!!」と一橋の額に手を当てた瞬間、顔を青染めさせた。


 頭の熱は、急に強くなった様な気がする。頭が痛くて吐き気がする。平衡感覚もあやふやで、目の前で心配そうに此方を見て口を動かすサェアの声は聞こえて来ない。あぁ…やっと死ねるのか……。一橋は、ゆっくりと目を閉じた。その様子にサェアが泣きそうな顔を見せた。「お、おい!だ、ダメ!寝ちゃ!! 我を見ろ!!おい!!」


   ◆


 頭の熱に慣れて来たのか、不快感が消えてふと、目が覚める。目の前には、自分を庇う様に立つ、所々体に風穴が開いた血塗れのサェアの姿があった。


『ぇ……?』


 目が覚めても理解が追い付かないのは、変わらない様だ。ただ、一つだけ分かる事は、サェアが自分を庇ってくれていた事だ。

 サェアの後ろには、銃を構えた軍服の姿が見える。


 まるで時が止まったかの様な静寂は、一瞬にして次の発砲音に掻き消された。ダァン!!

 目の前でサェアの頭の半分が吹き飛んだ。小さなゲル状の肉片が飛び散り、その断面からは、ノゥと同じ様な電気がバチバチと放電していた。ドチャ!と遂に膝を崩したサェアは、一橋の肩を掴んでいた。


「なんで…人間お前なんか、庇ったんだろ…?」


 力無く微笑むサェアは、諦めた声にも関わらず、一橋を見つめるその目は、その一切の迷いも感じさせなかった。「お前しかいない……。あの子を救えるのは……! だから、生き────」ダダァン!!


 サェアの声と頭は、二発の発砲音と共に消えて、その頭を一橋の目下に落とした。


 唖然とする一橋に、部屋に集った軍人は、一斉に弾を装填して一橋に銃口を向けた。『ま…っ!』ダダァン!!


 唖然とする一橋に、部屋に集った軍人は、一斉に弾を装填して一橋に銃口を向けた。え…?なん────ダダァン!!間髪入れずに響き渡る銃声に一橋は、咄嗟に腕で頭を覆いながら体を丸めた。

 しかし、その体を丸めた感覚に、大いに戸惑った。はぁ!?と思い目を開ける。体が動く感覚がある、それも確かな。


 だが、その驚きは、目に映る光景に一瞬に塗り替えられた。


 時が止まっていたのだ。いや、遅くなってるのだ。銃口のフラッシュバンはゆっくりと白から赤。赤から黒に変わるのが見て取れると同時に此方に真っすぐ銃弾が向かってくる。今なら避けられる!と思い立ち上がろうとした。

 一橋は、立ち上がった。確かに立ち上がったのだ。立ち上がって、床に足が付いてる感覚もある───それにも関わらず体が動く事は無かった。その時、頭の奥からまた熱を感じた。


 それも今までとは違う。まるで脳自体が熱、と言うよりは光を放ってるかの様に視界が一瞬真っ白になり───殴りつける様な銃声が聞こえて視界が戻った。


 しかし、これまた理解が置いてけぼりにされ兼ねない程の奇妙な光景が広がっていた。


 ダダダダダダダダダダ!!と一発の銃声が何重にも重なった様な音と共に視界が、画面の乱れたノイズ塗れのモニターの様に目の前が切れ細かくズレ出していたのだ。


 思考が追い付かず感覚だけを頼りに一橋は、頭を抱えた。徐々に目の端から色が失われて白くなって来てる。何も理解出来ず狼狽してると、一橋は、自分の視界が浮いてる事に気付いた。

 それと同時に目下には、座る自分の姿が見えた。聞こえていた銃声は、徐々にその音を加速させて、最早、銃声とは思えない───ノイズ音になっていた。


 そして、一橋は、急に後ろにが引っ張られるのを感じた。まるで重力だ。


 今、は、傾いて一橋を振り解こうとしてるのだ。後方に落ちていく一橋は「うわああああああ!!!」と成す術も無く叫びながら落ちていく。遠ざかる自分の背中に手を伸ばそうも、一瞬にして白色に溶けて消えていった。


    ◆


 どこまでも続く白は、一切、広いと感じられず全く無に等しい。ただ、息苦しい。一橋は、最早、落ちてるのか、動いてるのかすら分からなくなっていた。


    ◆


 どれだけの時間が経ったのかは、分からない。

 姿も形もその跡すら無いの一橋は、若返り、赤子までに幼くなっていた。そして、次の瞬間には、胎児になっていた。そのまま、退行は進み───最後のは、泡の様に溶けて消えていった。


 しかし、一橋の形を模っていた感情や思考の元となる、は、消える事無くそこに存在していた。現に何を考える訳でも無いが、試しに思考の元を巡らせば静寂な湖に広がる小さな波紋の様に周りに伝わりそのまま此処で溶けていった。


    ◆


 そこに存在する一橋───人間と言う「生物」は、世界から“放された者”となって、来たる次の世界を見据えていたのだった。

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