第14話 団欒 その1


「ちょっとあなた! それどう言う事なの!?救急車って! はじめに何かあったんじゃ…… え…?」


 手摺のある一階と吹き抜けた廊下の奥の突き当りの階段から男性と同じ歳くらいの中年の女性が上がって来た。


「あ、あなた…? はじめ、…なにしてるの……」


 廊下の灯りに伸びる影と掠れた小さな声に里弦は、震えを殺しながら振り返る。中年の女性は、状況が読み込めてない様子で唖然と立ち竦んでいた。


 ドッドッドッ!


「ねぇねぇ、何かさ変だよ?電波ゼロだし、さっきまで充電してたのに、もう無いんだけどぉ?」


 呆然と立ち竦む女性の後ろからまた別の、若い女性の声が聞こえて来た。そして「ってかさ、兄貴がどうしたのさ?」と、女性の後ろからヒョコッと頭を覗かしたのは、女性と男性の子供であろう高校生くらいの女性だった。


「え……? あ、兄貴……? 父ちゃん……!?」


 かんぜんに逃げる事は出来なくなっていた。一体どうすれば良かったんだと、里弦は「何だってんだよ……次から次へと、テメェらはぁ!」とまるで泣き言の様に震えていた。


 震えは、声だけで無く全身が震えており、目からは大粒の涙すらも流れていた。

 男性に突き刺さった筈のカーテンレールは、床にめり込み、男性には掠りもしていなかった。


 里弦は、何故か止まらない涙を止めようと両手で目を頭を抱える様に押さえた。カーテンレールから手が離れ、遂に膝を崩すと赤子の様に背中を丸めて泣き叫んだ。


「止めろ!止めろぉ! 俺に何したんだよぉお!?」


 狼狽する里弦を他所に。男性は、二人を見つめて「き、来ちゃダメだ! 逃げろ!!」と訴え掛ける様に声を荒げた。


「あ、兄貴!? な、何してんだよ!!」


 若い女性は、里弦が自分の父親を攻撃した事の状況が読み込めたらしく顔を赤くして涙目になりながら叫んだ。


梨紗りさ! お隣さんに助けを呼んで貴方は逃げなさい!!」


 梨紗と呼ばれた若い女性は、里弦に近付こうとしたが母親に手を掴まれ「助けって!兄貴はどうしちゃったんだよ!?」と母親に言った。


 しかし、それらの周りの言葉は、一橋にとってどんな凶器より暴力的でありながらも温かく感じられた。全く持って初めての感覚だった。


「一…?大丈夫か?」


 フラ付きながら立ち上がった男性は、頭を抱えながら里弦を見下ろして、声を掛けた。再び頭の奥に小さな熱を感じられ、全身に広がる様で男性の言葉に懐かしさを感じた。決して怖くなんか無かった。しかし、何か取り返しのつかない、大切な何かを壊してしまった様な──罪悪感。


“これは洗脳に違いない! あのガキの仕業なんだ!!”


 里弦は、そう自分に言い聞かせて何とか気を保たせようと必死だった。 男性にカーテンレールを突き立てる直前に聞こえた筈の声は、気の所為と思える程に消え。頭の熱は、強まる一方。


「父ち───」


「黙れ!!」


 梨紗の言葉を遮ったその時────アルバムの写真の様な断片的な存在しない筈の記憶がフラッシュバックした。


 この家族の存在。恋人。友達。全てが知らない物だったのに。


 ──全てが事実で自分その物だったのだ。──


「お前ら何なんだよ…化け物め! 俺が何したんだよぉ! おい!ガキ!聞こえてんのかよぉ!?」


 受け入れられる筈が無かった。しかし、無情にも記憶は溢れ止まる事を知らない。


 照辺てらしべ はじめ。それがの名前だった。の名前を思い出したその時。


『思い出したか、ゴミが』


 再び、の声が聞こえると、里弦はあまりのショックに気を失った。



   ◆



 目を開けるとベッドの上で寝ていた。頭の痺れる感覚が少しあり。里弦は、ゆっくりと体を起こして顔を横に向ければ妹の梨紗が椅子に座って涎を溢しながら、コクコクと体を少し揺らしながら寝ていた。

 泣き止んで間も無いのか、目元と鼻が赤い。


 部屋には、自分と梨紗しかいないらしく開きっぱなしのドアの向こうからは、話し声と物音が微かに聞こえて来てる。


「おい、おい起きろ」


 里弦は、梨紗の体を軽く揺すって声を掛けた。梨紗は目を開けると同時に「おわっ!」と声を上げた。


 その反応に顔を強張らせた里弦は、すぐに梨紗の口を押えて「ちょっ!だま!…静かにしねぇと、どうなるか分かってんだろうな…!?」と、ついクセで脅してしまい。しまった!と口をつぐむも、梨紗は、目を見開き恐怖で小刻み震えながら頷いた。


「梨紗!? 大丈夫!?」


 直後、聞こえた母親の声に里弦は、直ぐに手を引っ込めて寝た振りをした。ドダドダ!と近付く足音と共に母親が顔を覗かした。その手には包丁が握られ、背中にはエアガンの自動小銃が背負われていた。


 梨紗は、振り返って「うん。大丈夫! 少し寝ちゃって落ち掛けただけだから! そ、それより父ちゃんの怪我は大丈夫なの?」と言った。


「はぁ…今は安静してるわ。梨紗も休んだら? あたしが見張るわよ。一は?」


 母親は、歩みを止める事無く部屋に入ってベッドの上で目を瞑る里弦を見下ろした。


「う、うん。兄貴も安静してるよ…」


 梨紗の言葉に安心したかの様に溜め息を漏らす母親は、ソッと頭を撫でると少し涙ぐみながら「一…?聞こえる?」と優しく呟いた。


 母親の手の温もりが髪越しにでも伝わって来て伝わり思わず目柱が熱くなり涙が浮かびそうになったその時。不意に母親は、顔を近付けて耳元で「お前…起きてるな?」と先ほどの優しい声とは打って変わって低い声で呟いた。


 その一言に里弦は、思わず体をビク付かせて目を開けた。何故バレたのかまるで理解が出来ず固まる里弦を押さえつける母親は「梨紗!下がりなさい!!」と言って包丁を里弦の顔の横に包丁を突き立てた。


 梨紗は、あたふたと母親の背後に隠れて「母ちゃん!!母ちゃあん!!」と叫んでいた。


 里弦を抑え込む母親は、その怒り顔に涙を浮かべて里弦の顔に溢しながらバチィン!!と平手打ちして胸ぐらを掴んだ。


「何であんな事したのよ!? 誰なのよ!?あなた…?」


 母親は、顔をぐしゃぐしゃにしながら訴えて、里弦から手を離すと後ろから抱き着く梨紗を抱き寄せた。

 まるで、愛する人を亡くしたか様な二人の様子に里弦は「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」と泣きながら呟くしか出来なかった。

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