第6話 死


 頭を打ち付けて倒れる一橋を見下ろすガスマスクの汚れた作業服を着た白髪の男性は、上げた膝を下して腰を下ろした。「うっぷすぅ。おぅい、兄ちゃん大丈夫かぁ?」痙攣する一橋の髪を掴み上げる。「ひでぇ面してんなぁ……」


「ぁ~、マジで嫌…」と、しゃがみ込む男性の後ろでは、汚れたローブを身に着けたマスクの女性が不安そうに呟くとチラッと一橋に目を向けた。「えぇ…?やり過ぎじゃない? 絶対内臓やったよね?」


「大丈夫だよ。気絶は予想外だけど…その辺の力加減は、気を付けてるさ。それに…やり過ぎなくらいが丁度良い」バタン。

 ドアが閉まる音に男性は、目の前を通り過ぎる虫を眺める様に顔を上げて床に落ちるナイフに手を手に取った。

「ほら、ナイフが落ちてる。こうしなければ僕達は、殺されていたかも知れないよ? あ、ってかお嬢さん? 遅くなったけど、この人で合ってるの?」


 男性の言葉に女性は、キョトンとまるで理解が追い付かないと言わんばかりに固まった後、急ぎの用事を思い出したかの様に明白あからさまに狼狽し出した。

「はぇ?…… はぁあ!?ちょっちょちょ!待てぇ!? おいおっさん!!何も知らないでここまで来たの!? ま、間違っては……無いけどさぁ! さっきからふざけてんの!?ドア突き破れば良いのに態々、ノックするし声まで出して! いつ死ぬか分かったモノじゃないわ!!」

 女性は、溜め込んだ不満をここぞとばかりに男性にぶつけた。対する男性は、一橋から手を離して、孫娘の駄々っ子に付き合わされてるかの様に、煩わしそうに耳を抑えた。


「…お嬢さん。そんなに大声出さなくても聞こえてるさ。それに違ってても、政府の十八番の隠蔽があるし。死んだとして。そもそも、こんな奴一人の死に誰が目を向けるだ?」


「はぁあ! もう!ほんっっとおっさん嫌いだわ! 何で誰もアンタと組みたがらないのか良く分かったわ! 後、その呼び方は止めてって言ってるでしょ!?」

 女性は、まるで運が無かったんだ、と自分に言い聞かせる様に顔を手で覆いながら言った。女性の様子に男性は「ふふふ」と微笑ましそうに鼻を吹かした。「まぁまぁ、全部僕の所為にして良いから勘弁してよ」


「……何で他のメンバーがあんたと組みたがらないのかよく分かったわ」


 そんな会話の輪の外で一橋は、深海から小さな泡が大きくなりながら浮かび上がる様に意識が起き始めていた。


「……っ! げほっ!おげぇ!ガボッ!!」泡沫は、咳となり口から漏れた。曖昧模糊な世界が明滅する視界に喘ぐ様に首を伸ばす一橋。意識がハッキリとせず、どこまでも首が伸びてる様で、斬首されたのか、と不安が過る。

 何とかと視界のピントを合わせる様に瞬きを繰り返す。同時に空気の塵粉が喉をくすぐる様な感覚と共に苦い粘りが口内に広がり始めた。


 そして、目の前に映る二人の影は、鮮明になった。気を失っていたのか…? …な、何だコイツ等は!?


「かはっ…!」声を出そうとした途端、腹部に鉛でも詰め込まれてるかの様な重苦しい痛みが走った。何が起ったのかと記憶を巡ろうとするが、状況は、頭を使うまでも無く、把握できた。ドアを開けたら腹を蹴られた。そして、気を失った。


 こいつらの所為か…っ! 一橋は、歯を食い縛って自分を見下ろす二人を睨んだ。その殺気に気付いたのは、男性だった。「へぇー、大した狂犬だな。おっかねぇや」と、言う男性だが、その声は、お道化る訳でも、馬鹿にする訳でも無く。ただ、一橋自身を安心させようとする優しさが滲み出ていた。だが、マスクの奥から覗く視線は、有無を言わさない、と一橋に杭を刺していた。


 殺気とは違った感覚に固まる一橋の隙を付く様に男性は、腰の小さなポーチから水カプセルを取り出して一橋の口に近付けた。「ほら、水だ。要るか?」勿論だ。一橋は、口を開けて舌でカプセルを手繰り寄せると、噛み潰した。その様子に男性は、一息つく様に溜め息を吐いた。


「はあ……さて、お待たせ。僕達は、政府の者なんだけど……」


 その一言で一橋は、全身の毛が逆立つのを感じた。口から水がポタポタと零れ落ちる。意識がまだ起きて無い所為か、考える事には困難を極めた。そうして、やっと思いついたのは……。やはり、アラルあのガキの仕業か…っ!


「んれ? 動かなくなった?」と女性が固まる一橋を見下ろす。男性は、ポケットから一本の注射器を取り出して「そうだね。少し怖いのかも。あ、悪いけどお嬢さん。部屋の調査を頼めるかな?」と、言いながら注射器のキャップを外して器内の空気を抜いた。「これは新作の自白剤兼鎮痛剤の試作品さ。痛いのは一瞬だから安心してね」


 依然として、何も考えらえないままだが、思考停止した訳では無い。この男性が何をしようとしてるかなんて、考えるまでも無く理解出来た。


 逃げなきゃ…何としてでも。男性が固まった一橋の首に触れたその瞬間───「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」ドカッ!!


 一橋は、飛び掛かる様にして男性の顔に頭突きをした。ガスマスクのゴーグル部分にヒビが入り男性は「うぐっ…!」と籠った声を上げながら後ろに尻餅を着いて倒れた。その隙に、一橋は、決死の思いで、立ち上がろうとした。

 両腕で腹部を抑えながら立ち上がろとするその様は、内臓が零れ落ちない様にしてるかの様だ。しかし、その時。連続する銃声と共に両膝が弾けた。


 ダダン!!「っ!? うぎゃあああああああ!!」一橋は、腹部の痛みを忘れしまう程の激痛に叫び声を上げながらその場に蹲った。撃たれた!?誰に!?

 弾は、貫通していないらしく、体の震えに骨が削れる様な軋みに足を曲げる事も、周りを見渡す事も出来ない。


「おっさん…。いい加減にして。アンタのそう言う所、嫌い」と、女性は、呆れとも、怒りとも付かない声音で呟いて両手の拳銃を仕舞うと、落ちてるナイフを遠ざける様に廊下の奥に蹴って男性の脇を通り過ぎた。


「へぇへぇ。さーせんさーせん。油断してた僕が悪かったよ……」男性は、反省気味に、嫌そうに言いながら、落ちた注射器を拾い体を丸める一橋の首根っこに注射を刺した。その直後、コンクリートの床が急に液体に変わった様な。意識と体が引きな離されて行く様な。それは、鎮痛剤と言うより麻酔に思えた。

 眠気とは違う。ジワジワと意識が侵食されていく様な感覚だ。全くの無意識が巨大な怪物となり自分の体をその大口で飲み込まれ様としてる感覚にあっという間に意識が遠退く。

 一橋は、蜃気楼の影の様な男性を睨んだ。「ごも…!ごも…!」自分の咳の音が気にならない程に遠くの音に思える。ヤバイ…これは……クソが。


「お前に幾つか質問がある。肯定だったら首を縦に。否定だったら首を横に振ってね。……昨夜に居住地で車の爆発があった事知ってる?」


 意識の混濁の中、男性の声だけがハッキリと聞こえた。このまま、眠って仕舞えたら、もう二度と目が覚める事は、無いだろう。意識を保つには、生き残るには、この声に従わなければいけない。ただそれだけ。その理由も意味も考える余地など一橋に無く…焦点の合ってない虚ろな目で男性を見つめながら惚けた顔で力無く頷いた。


「まぁそうだよね。それで調べていたら大きな問題が出て来たんだ。その爆発の原因は……あ、お嬢さん。コレ」

 女性を呼び止めた男性は、胸ポケットから小型の無線機トランシーバーを取り出して女性に渡した。無線機トランシーバーを受け取った女性は『あーあー…ありがとう』とマイクテストを兼ねて礼を言うと一橋の横を通り過ぎた。


「それで爆発の原因は、荷台に入っていた爆発物なんだ。それでいて車には、争った形跡と弾痕が見つかったんだ。おっと、ごめん」男性は、そう言ってドアの前に居る一橋を引き摺った。


「それでね。車内から一人の焼死体が見つかったんだ。それはね……僕の同僚だったんだよ。しかも、この死体にはね、殴られた跡だったり、頭蓋骨にヒビが入ってたりで完全に他殺だったんだ。それで事情聴取を始めると、君があの車に乗っていて、もう一人と話をしていたって話を聞い───」「きゃあああああああ!!!」男性が話をしてるその時、突然、部屋の中から女性の悲鳴が聞こえた。その悲鳴に男性は、反射的に立ち上がると同時にバンとドアを開けて部屋に入った。


 洞窟の様な暗さの中、居間に転がる玩具のランプの小さな灯りが蹲る女性ともう一つ影を映している。駆け足で向かえば、そこには、服の開けた女の子が頭と目と胸から血を流して倒れていた。


「君!しっかりして! おっさん!ゲホッ!早く医療班を呼んで!! ゴホッゴホッ!息はまだあるよ!!」女性は、来ていたコートを上から被せてマスクを外すと女の子に付けてあげた。


「……ダメだ。その様子だと、搬送中の死ぬ可能性がある。余計な面倒と騒ぎを起こすだけだ。楽にさせてやれ。それがその子にとっての救いだろ」


「ゲホッ!ふ、ふざけんな!!死ぬのが可能性の内なら生きるも可能性の内だろ!! この子は、絶対に私が助ける!!」女性は、アラルを抱えながら部屋を飛び出して一橋の足を踏み、転びそうになりながら階段を駆け下りた。


『はぁ……お嬢さん。君のそう言う所、嫌いだよ。頼むから大人しく待っててくれ無いか?』男性は、無線機トランシーバーを取り出して、呆れ口調のまま、部屋から出て一橋の前に立った。

 懐から銃を取り出し、一橋の頭を踏み付けて背中に銃口を押し当てる。


「いや、申し訳ないね。正直、僕の予想だと車の爆発に君は関係はあまり無いと思う。…でも、全て君が主犯で処理させてもらうよ。原因の解明より隠蔽の辻褄合わせが政府の美徳。これが一番人を安心させられる、悪く思わないでね。クソ野郎」


 子守唄でも聞かせるかの様な優しい口調で言うと引き金に掛かる指に力を加えた。ダァン!!ダァン!!ダァン!!ダァン!!ガン!!


   ◆


 冷たいコンクリート。静寂に包まれた廊下。広がる血溜まり。部屋の開いたままのドアは、留め具が歪み傾いている。ぽっかりと開いた部屋の暗闇の奥からアラルは、冬眠から覚めた小動物の様にゆっくりと現れた。アラルは、見下す様に一橋に視線を下ろしていた。

「“この世界”を生きるお前の最後を見届ける事が出来なくて残念だ」


 その言葉に世界は、眠りに着く様に暗闇に閉ざされた。しかし、ただ一体の死体だけがその暗闇に残る事を許された。それが、最後に見えた景色だった。間も無くして、何処からともなく声が聞こえた気がした。


 曖昧模糊とした、揺らめき響き渡る風波の様なその声に死体は、揉まれて消えた。替わりに、次に聞こえた声は、思わず飛び上がりそうになる程にハッキリと聞こえた。


 ────「全部お前の所為せいだからな」



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