第5話 訪問者
「はぁ!はぁ!はぁ!」一橋は、肩を上下させながらアラルの首から震える手を離す。その首には、くっきりと手痣が付いていた。
あれから幾ら頭を叩きつけたのだろう?ここまで力を使ったのは、初めてだ。既に腕は、痺れて持ち上げるのも一苦労で額から汗が流れる。その汗を逃すまいと舌を鼻先に伸ばす一橋の目下には力無く横たわる目を開けたままのアラル。
首でも折れてるのか、顔を横に転がすその痛々しい姿は、誰がどう見ても死体と呼ぶに相応しいだろう。
しかし、一橋は、今のこの状況に対して、初めてアラルと会った時とは違う。それでもそれに相当する程の違和感を感じていた。
まるで自分は、この状況を初めから知っていた様な…それか、誰かの描いたシナリオを撫ってた様な……。
一橋を取り巻く違和感は、暫くの間、一橋を困惑させた事に満足したかの様にその正体を突如として脳裏に過らせた。
アラルの頭から床に広がる赤い血。それを呆然と見下ろす自分と言う存在──目の前の光景が夢で見たモノと同じだと気付いたその時。気が遠退く程の寒気を感じて一橋は、アラルの体を蹴り押して距離を離した。
始めっから…
その相手が誰なのかアラルと関わりのある人間なのか定かでは無い。だが、本当に夢が正夢だとするなら間も無く。最早、アレをただの夢で偶然とするのは、最悪の現実逃避だ。だが、一橋が素直に受け入れられるはずが無かった。
忌々しくアラルを睨み付けると、一橋は、ナイフが床に転がるナイフを再び手に取ってアラルに突き立て様とナイフを振り翳した。コイツを殺せば、止めを刺せば何か変わるかも知れない。そんな事を思う一橋を殴り受ける様な、あの夢と同じノックの乱暴な音の波が部屋に広がった。
───ドン!!ドンドン!!「…ッ!」ナイフは、アラルの胸に刃先だけ刺さり骨にその刃を止められていた。苦虫を噛み潰した様な顔をする一橋は、震える手で握るナイフを刺し傷を抉る様に捩じり抜いた。ゴリゴリと骨を削る様な感覚にナイフが震えた。
壁際に追い込まれた溝鼠が牙を剥く様な怯えてる顔を更に強張らす一橋は、震えながらドアに顔を向けた。依然としてドアからは、ドンドン!!と、ノックの音しか聞こえず外に何人居るかすら把握出来ない。
今、自分から出るのは危険すぎる。しかし、ベランダも無いこの部屋に逃げ場なんて物は無い。だが、居留守しようにもあまりにも物音を発て過ぎた。この部屋の唯一のセキュリティーである錆びた針金をドアノブと壁に何故か刺さってる釘に引っ掛けてるだけの鍵が突破されるのも時間の問題だ。……それなら、強行突破しか無いか…?そんな事を考えていたその時だった。───ドンドン!!「おい開けろ!!居るのは分かってんだ!! 出て来ねぇとドア潰すぞ! ……」
これは予想外の事だ。その声は、初老を既に過ぎたと思われる男性の物だ。その声に一橋は、外に居るのが年老いた老人一人だと分かると拍子抜けると同時に疲労にも似た安心感を感じた。別に、何かもっと恐ろしい化け物が居ると予想していた訳では無かったが、とにかく恐ろしかった。
とにかく、外に居るのは……少なからずアラルよりは、断然マシな人間だろう。と、一橋は思った。それなら、相手は、政府の人間か?と、一瞬だけ警戒してしまいそうになるが。
その心配は、要らなさそうだ。なぜなら、政府の人間なら間髪入れずに突撃して相手が動く前に制圧するだろうからだ。
ジジィ一人くらいならゴリ押し出来る。と、一橋は、アラルの着ていたチェスターコートの袖をナイフで切って口周りに巻くと杖を付きながらドアに向かった。ナイフを持った手を隠す様に後ろに回して…
ドアの前に辿り着いた一橋は、カチャカチャとドアノブを空振りさせて今から出る事を知らせる。するとノックの音は止んだ。外に居るのが老人男性は確定してる。
途中で夢から覚めただけで、本当は、このドアの先すらも自分が見る筈だった夢だとしたら?そもそもジジィとは言え、姿を認識した訳じゃない。余計な不安は、
一橋は、ゆっくり開けたつもりだった。対して動くドアは、凄い勢いで開けたのだ。引っ張り出されるのでは無く、投げ出される様に。
その一瞬で一橋は、確かに抱いていた殺意を振り落とし忘れてしまい、コンクリの灰色。部屋の闇色。ドアの焦げ茶色。そして、外に居る人影。目に映る全てが尾を引いて混ざり合う視界の中、殺した筈のアラルが部屋の奥から此方を見てる様な気がした。嘲笑われれる訳でも無く、むしろ呆れられてる様な… しかし、そんな一瞬は、文字通り気の
部屋から投げ出される体。そんな一橋を待っていたと言わんばかりに、一橋の無防備な腹部に黒い膝が容赦なくめり込んだ。
ゴヂュ!「かひゅ……っ!?」
内臓が押し潰された。今まで体験した事の無い様な衝撃に肺の空気が全て漏れる。頭の中で何かバチンブチンと切れる様な感覚がした。ソレが痙攣だと理解する隙など与えられる事無く、一橋は、苦痛に白目を剥いて箍が外れたかの様な吐き気の中、口から胃酸を涎の様に流しながらその場に崩れ落ちた。
「か……ぁ…」目の前が白くなっていく中、一橋は、決死の思いで自分を見下ろす影を見つめた。
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