第4話 アラル
「う……ぅぅ…?」
呻き声を漏らしながらゆっくりと目を開ける一橋。……あれ?いつの間に寝てたのか?
曇りガラスの様にぼやける世界は暗く。唯一、床に置かれたランプの光が目に映る全てを現実だと一橋に教えてくれた。
瞬時に鮮明になる視界と共に一橋は、体を起こした。ガバッ!!
一心不乱に2、3度部屋を見渡すがランプ仄かに照らす薄暗いカビ臭い部屋には、持って入った筈のリュックはおろか少女の姿すら無かった。
「……ゆ、夢だったのか? 何だってんだよ…」
部屋がまだ暗いのできっと帰って来てそんなに時間は経ってないのだろう。しかし、気持ちの悪い嫌な夢だった。でも、一度起きれば、こっちの物だ。
一橋は「はぁぁぁ…」と安堵の溜め息を吐きながら床に転がる鉄パイプを拾って床を付きながら立ち上がった。その時。
背後から何かに服を引っ張られた。一橋は寝ボケて居たのか、気が抜けていたのか、あまりのも間抜けに何気なく振り返った。
「っ…!?」鈍器で全身を打たれた様な衝撃的な光景だあった。ほんの一瞬で頭の中で何度も辺りを見渡した事を反芻する。
そこには先ほどまで、影も形も無かった筈の少女の姿があったのだ。
例の如く、少女は一橋を見つめていた。しかし、不思議な事に、この状況を受け入れる事は、容易い様に感じられた。だが、快くとはいかない物だ。
少女と目が合ってしまった一橋は、まさに蛇に睨まれた蛙の様に震えて固まっていた。「あ…ぁああああ!!」今にも泣き出しそうな声で叫んだ。これが、精一杯の抵抗だった。
その声に少女は、反応を示した。服から手を離したのだ。だが、安心する間も、気付きが起る間も無く、変化は突如として訪れた。
少女が手を離したその直後、少女の右目に突然、斬られた様な亀裂が入って微量の血が涙となり少女の頬を伝い始めたのだ。それだけじゃ無い。
血が伝うその細い首に掴み痣が浮かび始めた。
何が起ってるのか?最早、理解する事は、半ば諦めていた。
一橋は、洗脳染みた狂い切ってるクセに拭い切れない疑問に呆然と少女を見下ろしていた。そして、少女は、力尽きたのか、後頭部を打ち付けられる様にして床に倒れた。ゴン!と言う音と同時に頭からも血が流れ溢れ出した。
遂には、一橋から目を離さなかった少女は、釣り糸が切れたかの様に顔を横に転がした。瞬きすらも、許されないかの様な静寂に一橋は、時間停止でも食らったかの様に固まっていた。
終わったかと思ったのも束の間────ドンドン!
突然、ドアから力強いノック音が部屋に響いた。
◆
「っ!」一橋は、飛び起きた。どうやら寝てしまったいたらしい。起きて初めに脳を埋め尽くしたのは、何がどうなった?と言う疑問だが、次にやって来た、強烈なカビの匂いと腐敗臭に疑問や夢の事や、少女の事など簡単にいとも簡単に、一瞬にして上書きされた。
「うぅっ! ゴホッ!ゲホ!ぉぇええ!」
この匂いが部屋の匂いだと言う事は、分かっていた。慣れてる筈の匂いだと言うのに吐き気と咳が止まらない。マスクが無ければ呼吸どころか、息を止める事すらも難しい。
マスクを…!と、涙目になりながら一目散に手を伸ばしてマスクを着ける。しかし、それは大きな誤りだった。
それは、服の火を消すためにガソリンを被る所業。マスクの方が部屋の匂いよりよっぽど臭いのだ。肥の溜まった
そんな兵器の発明者である一橋は、拷問で受けてるかの様に号泣しながら叫んでマスクを投げ捨てると縋りつく様に壁に這い凭れると嘔吐した。
しかし、マスクの御蔭で部屋の匂いがマシに感じられ落ち着きを取り戻した一橋は、口を両手で押さえながらやっとこれが現実なのだと理解する事が出来た。しかし、何もかもがおかしかった。だが、その違和感は、周りに向けられる事は無く。自分の体に向けられていた。
一橋は、恐る恐る口から手を離して手の平を見つめた。ケロイドで膨れた手を彩る鮮血。そのまま手首を辿る様にゆっくりと自分の体を見下ろす。
心臓が飛び出しそうな光景だ。顎下から大量の血が流れた跡があったのだ。死んだのか…?いや、そんな筈はない。そうだとすれば───「起きたか」
背後からの声に一橋は、全身を強張らせた。呪縛の様な記憶が無意識に掘り返された。その記憶には、夢の内容も含まれていたが、夢と同様。あの少女を恐れる理由は、感じられなかった。寧ろ───
一橋は、胸を掴む様に服を握って壁に凭れつつも振り返った。…このクソガキ。一橋の後ろでは、リュックの上で胡坐を組んだ少女が前髪をクルクルと弄りながら忌々しい目で一橋を睨む様に見下していた。
「この瞬間まで、よく生きて来れたな。死に底無い猿だ。お前の右肺、肺胞が幾つか壊死していた。他の臓器も何故機能してるのか不思議なくらいだ。今頃、別のお前は、訳も分からず死に行こうとしてる事だろうな」
起きて早々、よく分からない事を話す少女に戸惑う必要は無い。一橋が開口一句する言葉は、決まっていた。
「お前、何者だ?」
「…人間と言ったはずだが?」
その言葉に一橋は、這い寄ってその細い首を掴んで勢いのままに少女を床に押し倒した。ゴン!と部屋中に鈍い音が響く。
それでも少女は、逃げる様子も、一切怯む事も、瞬きをする事すらも無く一橋を睨んでいた。
恐怖心は、すっかり薄れていた。きっと、始め恐怖していたのは、疲れていたからだろう。だが、少女の異形っぽさと、思考の全てを見透かされてる様な気味の悪さは、健在だ。出来ればこれ以上の関りは、止めたかった。───だけど……今なら、コイツに敵う。
一橋は、若干引きつりつつも薄ら笑みを浮かべた。
「へっへへ…。そうじゃねぇだろ? 俺の質問に真面目に答えろ。あまり無駄口聞いてると犯すついでに殺すからな?」
口では、そういう物の正直、これっぽちも興奮なんかしなかった。
それは、子供に興味が無い以前の問題に思えた。だが、一橋の言葉に少女は、呆れた口調でただ一言。「好きにしろ」
「このクソガキ…っ!」一橋は、少女から片手だけ離して床の鉄パイプを拾い上げて壁端に転がってるナイフを手繰り寄せた、持ち替える様に鉄パイプを床に置きナイフを拾い上げると、少女の右目にナイフを突きつけた。
「舐めた口きいてるとブッ殺すぞ! 良いから俺の質問に答えろ!お前は、誰だ!? 俺に何をした!? 何が目的だ!?」
「殺したければ殺せばいい。……まぁ答えるくらいは良いか。我は、アラル。人間だ。別の次元のお前と体の一部を入れ替えた。目的は、失敗した」
アラルと名乗った少女は、心底どうでも良い様に一橋の質問に答えた。しかし、次元?入れ替え?何を言ってるんだ…?このガキ?
結局、訳が分からないと言う事自体に変わりは無かった。とりあえず、この少女が助けてくれた事、間違いないのか…?
「助けた覚えは無い。別のお前が死んだだけだ。それに、心配しなくてもお前は、もうすぐに死ぬ」一橋の理解を置いてきぼりにアラルは、当たり前の事の様に話すと少し溜めて「…一橋 里駈」と呟いた。
「っ!?」信じられなかった。一橋は、一度たりともアラルの前で自分の名前を口にしていなかった。もしかしたら、寝言…いや、いやいや無い…無い無い、流石に無いだろ…そんな事…!
そんな思ってるとふと、脳裏に小さく薄い…だが、見落とす事も見逃す事も許されない疑問が過った。それは、この少女が政府の人間なのでは、無いか?と言う疑問だ。
どんな目的で?何故少女を一人で? など普通に考えてあり得ない考えだ。せめて片隅に置いておく程度の予想となり得る疑問だった。
だが、一橋は、そんな疑問に紛れもない確信を寄せていた。それも寄せてる自覚も無く、疑問から確信を…自信を感じていたのだ。
「寝ボケてるのか、バカなのか…」とアラルは、小さく呟くが、幸いな事にその声は、一橋の耳に届く事は無かった。
一橋は、額を伝う汗が頬を滑り床に落ちるのを待っているかの様にアラルを見つめて固まっていた。
ポツと頬を伝う汗が少女の頬を濡らした。一橋は、少女からナイフを離して溜め息を吐いた。臭いに慣れて来て軽く深呼吸をした。
無意識での行動だったが、冷静になった脳で状況を整理して受け入れようとしていた。不思議な気分だ。たかが呼吸一つが楽になっただけだと言うのにこの落ち着きだ。まるで自分の体じゃ無い様な…。
しかし、少女が政府の人間と言う可能性は、消える事は無かった。
「……おい、お前に最後にチャンスをやる。生きて帰りたかったら質問に答えろ。お前たちの目的は何だ!?どこで俺の名前を知った!?」
「はぁ…失敗したと言ってるだろ。そんなに名前を知ってる事がそんなに怪しいか? 先に言っておくが我は、政府の人間では無い」
まただ…!と一橋は思った。一橋は、一度たりとも政府の人間を口にしていない。一体どうやってそれを理解してるのか…? 寝てる間に脳を弄られたか…いや、馬鹿馬鹿しい。そんな、事があって堪るか!…だけど…。
ただの質問だと言うのに聞いては、いけない様な気がした。気持ち悪くて怖かった。怖い…何で?───一橋は、声を若干震わしながら聞いた。「テメェ。…何をしやがった…!?」
「別の次元のお前と体の一部を入れ替えた」さっき聞いた言葉だ。最早テンプレ。何を聞いてもこの調子だろう。それでは埒が明かない。そうとなれば……。
「っ……」
一橋は、アラルの首を絞め付ける様に手に力を加えた。アラルは、息の詰まる音を漏らした。その様子に一橋は安心した。
しかし、アラルは怖がる様子も無ければ体の震えすら無かった。全く変わらないのだ。所詮は、子供。いつまでその強がりが持つか…。
一橋は「暴れたら殺す」と囁く様に呟いてアラルの病衣の中に手を突っ込んだ。当然の如く少女は、全くの無反応だ。
一橋を見つめるその目に輝きは、無くまるで死体を相手してるかの様な気味の悪さを嫌悪が沸き上がる。
インナーを押し退けて。最初に感じたのは、心地の良い体温だ。二の腕を軽く揉みながら肩を撫でて脇を指で軽く撫でる。汗を掻いた様子も無い。そのまま、膨らみの無い胸部の小さな突起を
その後、背中に肩甲骨、臀部に至るまで
体温、感触……生物なのは間違いない様だ。だが、あり得ないのだ。今、首の手の力は抜いてない、一橋は、少し困惑気味に床のナイフを拾ってそのままに少女の目に突き付けた。
「さっきから何がしたいんだ?」
「…っ!?」
手の力は、抜いていない筈だった。それにも関わらずアラルは、声を出したのだ。首を握る手から伝わるはずの声帯の震えは…無い。
あまりの事に驚いた一橋は、思わずナイフの刃先でアラルの目を突いてしまった。
しまった!と、直ぐにナイフを手放す一橋。だが、アラルは、やはり痛がる様子も瞬きをする素振りも見せる事無く、縦に切れた血の滲む目で一橋を見ていた。そもそも…
「馬鹿で猿か…救えないね」
……殺さなきゃ……
少女のその声は、そよ風の音の様な取るに足らない物に思えた。しかし、今の一橋の虚弱な心を靡かすには十分だった様だ。一橋は、力一杯に少女の首を掴み上げてそのまま床に少女の頭を打ち付けた。
ゴン!!
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