第3話 少女


 暗闇には慣れていたが、暗いは暗い。目の前の開けたリュックの中身が見えるはずが無い。窓代わりの板張りなら猶更。一橋は、声を殺して目の前の開けたリュックの中身から漂う空気に眉胃を潜めた。

 暖かいのだ。これは、本当に驚くべき事だった。まさか、と一瞬でも自分を疑いそうになる。このリュックの中には、どうやら生き物がいるらしい。


 リュックの大きさから子供の様だ。それも生きている。だが、奇妙な事にリュックに居ると思われる子供は、声を出すどころか微動だにしてない様だ。微かな呼吸音が聞こえていた。


 死にかけなのか、眠っているのか…。一橋は、その全貌を確認するために床に置いた玩具のランプを手に取った。恐る恐る、ランプをリュックに近付けて中身を確認する。


 予想通りリュックには子供が入っていた。それも足を抱えた青い目の少女だ。少女は、動く事無くジッと一橋の顔を見ていた。 


「っ!?」ゴトト!


 少女と目が合った一橋は、驚きのあまりランプを落として直ぐに目を反らした。しかし、どこか奇妙に思えた。少女は、間違いなく人間だ。だが、一橋を見つめるその目は何か変に思えた。リュックの中に子供が居るのは、特に良いとして、目の前に居る少女ソレが人間とは思えなかったのだ。


 それは、怖畏と言う物であり殺意の目で銃や刃物を突き付けられる感覚に似て非なる、化け物に魅入られてる様な────怖いとは思わなかった。ただ、恐ろしかった。


 一橋は、少女から目を離さない様に急いで床に転がる鉄パイプを握って再びランプと拾ろうとした。しかし、どこにもランプが無かった。


「あれ…!?」


 思わず声を漏らして少女から目を離して床に目を落とした。

 その一瞬、少女が光った。その光にぐに少女に視線を戻した。

 どう言う訳か少女の両手には、落とした筈のランプが収まっていたのだ。


 少女の持つランプは、最初の小さな光とは打って変わって、部屋の壁に一橋の影を作る程までに輝いていた。


 見た事ない輝きに一橋は「うっ!」と呻きを上げながら両腕で目を庇って体を丸めた。一体どうすれば良いのか分からなかった。……ただ、殺すしかない!と一橋が鉄パイプを強く握ったその時。


「終点がこんなところとは…呆れたモノだ。決死の判断がコレか…。ノゥとサェアも焼きが回ったな。……あっ、と。初めましてだな。猿」


 少女が喋ったのだ。その声は確かに人間の声であったがあまりにも機械的で無機質な…。だが、今の一橋の頭を一度冷静にするには十分だった。


 一橋は、ゆっくりと両腕を下して再び少女を見る。先程までの目を突きさす様なランプの閃光を、一橋の目を受け入れていた。


 少女は、いつの間にかリュックの上に座ってゆっくりと部屋を見渡していた。警戒してる感じでも緊張してる様子も無く少女は、溜め息を着いて目線を落とした。


 何なんだコイツは!?と、一橋は、マジマジと少女を爪先から頭頂部まで眺めていた。


 頬がプクリとした子供らしい整った顔立ち。肩まで伸びた艶のある黒い髪。血色の良い白い肌。細身でありながら骨と皮だけの様な極度に痩せてる訳でも無いければ、障害や怪我がある訳も無く、容姿だけ見れば美少女だ。衣服も可愛らしい動物キャラクターの刺繍が施された淡いピンクの病衣。その上から羽織ってる大人物のチェスターコートが少女の異様さを際立ててる様だ。


 全くの異世界から来た人間?───と言うよりも人間の真似をする機械人形アンドロイド


「あほくさ…」と少女が顔を上げると同時に一橋は、反射的に目を反らした。

 案の定、少女は、一橋を真っすぐ見つめた。ここまで綺麗な人種に遭遇した事が無い一橋にとって目の前の少女は最早、人間では無く。人に限りなく近い別の生物だ。


 黒に近い青いその目は、少女のあどけない容姿に対して死んでるかの様に輝きが無く。終わりの無い深淵の様で生物の目とは思えなかった。

 見られてるだけだと言うのにも関わらず、まるで思考の全てが読み取られている様な言い知れない不快感と恐怖に一橋は、鉄パイプを離して棚に這い寄ると手を伸ばして乱雑に置かれたナイフを手に取ると少女に刃先を向けた。

 確実に殺すしかないと思った。しかし、殺し急ぐ必要も無いと感じられた。


「何なんだ!お前!?」


「ん? …見て分からんか、人間だ。ふあぁぁ…!」


 一橋の問いに少女は、独り言の様に呟いた。刃物が向けられているにも関わらず怖がる様子も無ければ殆ど無関心と言った様子で全くの無防備に大きく欠伸をすると目を拭って一橋を睨み返した。


 人間だ!?ふざけやがって…!化け物の間違いだろ……!!


「初対面だと言うのに化け物とは、酷い言われようだな」


 まるで心を覗かれた様な少女の言葉に一橋は「なっ!?しゃ…喋んな!こっち見てんじゃねぇ!」声を震わしながらナイフで空気を薙いだ。


 ふざけやがってこのガキ…!これ以上はダメだ!!その目が向けられているだけで飲み込まれてしまうかも知れない!!と、言う馬鹿げた考えですら疑う余裕も無かった。


 顔を恐怖で強張らして体の震えを必死に押さえる。その様子は、傍から見れば少女一人に男性が逃げ腰でナイフを向けながらの脅してると言う情けない光景だろう。


 しかし、一橋にとっては、それが少女に対する抵抗の限界だった。


「情けない猿だ。逃げたければ逃げれば良いだろ。どうせ失敗するなら、こんな畜生小屋じゃなくてもう少しマシな場所が良かったものだ」


 少女は、少し不満そうに溜め息混じりに言うと一橋を見る事を止めて、わざと隙を見せる様にランプを掲げて部屋を見渡し始めた。


「あー、ただの玩具おもちゃかー。これなら我の持ってる物の方が明るいなぁー。まぁ猿騙しには丁度良いかー」


 少女の見事なまでの棒読みだが、その妙な人間味が返って不気味さを際立たせた。一体何なんだこのガキは!?狙いがなんだ!? そう思考を巡らすも取る行動は、逃げるの一択。決して勝てない訳じゃなかった、殺そうとすれば簡単に殺せた。


 しかし、何故か敵わない気がしてならなかった。


 一橋は、少女の作ってくれた隙と部屋を仄かに照らすランプの光を頼りに床の鉄パイプを手に取ると、崩れた態勢を立て直そうと床に鉄パイプを着いた。

 その様子を見届けた少女は、ランプを下して一橋に背を向けて、暇そうに足をパタパタと動かし始めた。対する一橋は、ガッ!ドン!ガッ!ドン!と壁にぶつかりつつ、必死に床を漕いで廊下を暴れ牛の様に駆け抜けてドアを開けて部屋から飛び出した。


 床の鉄パイプを手に取った一橋は、リュックに座って背を向ける少女の姿に警戒しつつ逃げようと立ち上がろうとしたその時。胸に内側から熱した釘が飛び出て来る様な痛みを感じた。一瞬で頭が真っ白になった一橋は「かはっ…!!」肺を握り潰されたかの様に息を吐きながら床に倒れ込んだ。


 あまりの痛みに体を丸める事しか出来ず息も出来ない。聴覚を自分の鼓動音に支配され口内に血の匂いが広がり始める中。一橋は、定まらない焦点で曖昧模糊とした目の端に映る部屋の光源に陰る少女を見つめた。


「ゲボッ!ゲホッ!」


 咳の一つ一つが爆竹の様で、激痛が胸から全身に広がる。あまりの痛みに吐き気を感じる。これまでも何度も胸に痛みを感じる事は、あったがここまで酷い症状が出た事は無かった。痛くて苦して一層、殺してほしいと思いはするが、その苦しみから逃れようと死を意識すればする程、本能は生きようとしていた。


 一橋は、最後の力を振り絞って少女に顔を向けた───「ゴブッ!!」

 その時、体に溜まった血の塊が逃げ道を見つけた様に一橋の口から吹き出した。


 飛び散る血飛沫は、背を向ける少女の服にも飛び散った。しかし、少女は一橋どころか喀血により顔に付いた血にすら気に留める事無く、ランプのゼンマイを回しては、床に置いて暇そうにその光を眺めていた。


 死ぬのか?俺……? 黒くにぼやける視界の中。生きようとする本能だけが暗くなり行く視界に映る蛍の光の様なランプの光を求めていた。


 しかし、遂に蛍の光は、消える。


 動かなくなった一橋の前に立つ少女は、首を少し痙攣させながら涙を一筋流しながら見下ろした。

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