第8話 対談 その1


 何も無い真っ白な部屋は、床から壁、天井に至るまで見境が無い白さで、まるで内側から外を守ってるかの様だ。一目見ただけでは、その場所が上下の分からない程に無限に広がってる様にも錯覚してしまう。そんな部屋にポツンと場違いなまでに目立つ木製のドアが一つだけあった。


 そして、そのドアに、背を向ける男女は、これまた場違いな鎖に繋がられた灰色の人形マネキンを見下ろしていた。


「…さて、一橋さん。気分はどうかな? そろそろ、話を進めたいのだけど良い? あぁ、今は聞くだけで良いよ。質問は、その後だ。安心してくれ」ノゥは、マネキンの様なノッペリとした姿をした一橋と目線を合わせる様にその場で屈んだ。

 しかし、一橋は、屈んだノゥでは無く、その後ろに立つサェアを見ていた。実は、目の前にノゥが来てからと言うもの、その後ろから思わず背筋が凍りそうになるほどの殺気がサェアから感じられたのだ。


 どう言う訳か、サェアと言う女性は、このノゥに尋常ではない怒りと恨みを持っている様なのだ。先ほど聞いたサェアの“次喋ったら首刎ねる”と言う言葉を思い出す。

 …おいおい、冗談じゃねぇよ…! ってか!何でノゥコイツは平然としてんだよ!? サェアあの野郎、マジで殺る目だそ!? と、固まり呆然とする一橋。


 何かを言いた気に僅かに口が開き、困惑の色を見せた一橋にノゥは、よしよしと言わんばかりに頷いて「…サェア、今だけ時間をくれないか?」と振り返りながら言った。


 しかし、サェアは全くの無言。まるで何も聞こえて無い様で瞳孔の開いた目でノゥを見下ろす様子は、罪人を仕留めるタイミングを見図ってる鬼の様だ。にも関わらず、ノゥは、全く気にも止めてない様子で一橋に向き直りサングラス奥の目を開いた。一橋は、吸い寄せられる様にサェアから視線をノゥの目へと、焦点を合わした。サングラスの奥には、サェアと同じ琥珀色の目があった。その目に、知りたくも無い事実を知った様な気分になった。…やっぱり、と同じ様に…コイツ等も人間じゃないんだな。え…?


 あのガキと言う記憶に無いはずの身に覚えが大きな引っ掛かり。その引っ掛かりに一橋は、目の前が見えなくなる程に困惑した。徐々に脳の機能が起き始める度に体が指先に至るまで痺れが走った。そこで初めて一橋は、ここまでに至るまでに何があったのかを思い出そうとした。

 ノゥは、眇眇びょうびょうたる一橋の変化を面白がる様に歯を見せ始めていた。


    ◆


 ノゥの話は、まるで一橋が辿ろうとしてる記憶が分かってるかの様に進んだ。脳を覗かれてるかの様な。その間と言えば、本当に、不快で気持ちの悪い、虫唾むしずが走る時間だ。


 しかし、そんなクソガイドを通して思い出した記憶は、にわかに受け入れ難い事実モノだった。目を見開いて、固まる一橋は、未だに体に慣れてない様子でカクカクと口を動かしていた。


 ノゥの話では、ここに来る前は────部屋の前で、銃に撃たれて瀕死の状態だったと言うのだ。そこで一橋は、追い付かない思考に固まってしまっていったが、ノゥは、続けざまにこれまたブッ飛んだ話をした。───なんと、倒れていた一橋をノゥとサェアが回収して、その脳を別の体となる人形マネキンに移したと言うのだ。一から説明を聞いても全く知らない言語で話を聞いてる様で正に開いた口が塞がらない。


 しかし、その脳は、殆ど機能が停止した瀕死の脳。今は人形マネキンが発してる微弱な電気によって間接的に脳の機能を疑似的に再起させている……らしい。───


「…まぁ、信じろと言う方が無理があるよね。…君からしたら、一度死んだも同然なのに無理矢理、生かされている状態だからね」ノゥは、一橋に同情する様に肩を落とし気味に静かに言うと少し溜めて「…とてもショックだろうけど、まずは、分かってくれるかな?」と祈る様に言った。


 …分かる訳ねぇだろうが…同情は良いからもっと分かりやすく、同じ言語で説明をしろよ……。


 ノゥは、一橋に寄せた同情を振り払う様に咳ばらいをしながら改まった様子で立ち上がって一橋を見下ろした。


「おほん! ……さて、もう少しで声も出せるだろう。理解が追い付かない所申し訳ないが、本題だ。一橋君? 教えてくれ。アラルは何処にいるのかな?」


 一橋は、アラルが何なのか分からなかった。だが、ノゥから話を聞く前に思った。顔も姿も思い浮かばないの事だと予想は付いていた。とは言え、この質問が本題と言うなら現状況の把握は、後回しにしても良いらしい。一橋は、嫌に冷静な頭に見えない手で探りを入れる様に思い出そうとして。


 徐々にジワジワと浮かび出すシミは、病的な斑模様の記憶。全てを見透かしてる様な深く青い深淵が脳裏を過った。……っ!?


 その深淵は、目だった───途端に記憶が箍が外れた様に溢れかえった。あまりにも急な変化に一橋は、驚きに俯き気味だった顔を上げた。


 一橋は、誰も居ない真っ白な部屋の中に浮いて見える真正面の木製のドアを見つめていた。『は…』と無意識に一橋は、溜め息の様な嗄れた声を出した。しかし、その声は、全く聞き覚えの無い明らかな機械的な合成音声だった。───おいおいウソだろ!?

 この体について、理解は未だに追い付かないが、流石に受け入れざる得ない様だ。だが、頭ではそう思っても生理的拒否反応は起こる物だ。


 一橋は『ぁぁ…!ぁぁああ…!』と声を上げた。気付かない間に奴隷の烙印を押されたかの様だ。藻掻けば藻掻くほど体の烙印がチラついて自分の存在を疑い始める否定してしまう。しかし───顔を左右交互に向けて首の下から伸びる灰色の両腕が目に映った。両手首が壁から伸びる錠に繋がれていた。

 指先からぞる様に目線を落とす。乳首も無ければ臍も性器や体毛すら無い、腕と同じ色をした男性とも女性とも似つかない無機質な灰色の胴体が胡坐を組んだ爪先まで続いていた。


 ふざけんじゃねぇよ…!こんな訳の分かんねぇ事で終わって堪るかってんだよ…っ! そう思い至るや否や一橋は、立ち上がろうとした。幸いな事にあの二人は居ない。今が逃げるチャンスかも知れない。


 普段通りに体を動かそうと力んでみる。───あれ?立ってない…?


 気分は既に立っている気になっていた。しかし、首が動くだけで肝心の体は、全く動く様子は無く、首の動きに釣られて微かに揺れていた。


 立ったよな?今?と何度も床に胡坐を掻いた足を見下ろして、ふと、繋がれた腕見る。腕は、紐蔦の様に柔らかくしなり惰性的に揺れているだけだった。その様子に、首から胴体に掛けてしか骨が無いのだと理解した。


 これなら鎖の意味が無いのでは? なんて冷静馬鹿に考えられる筈も無く一橋は焦り始めた。くそ…! な、何か無いか…!?

 悶える様に唯一動く首で周りを見渡す。チャラチャラと手首の鎖が壁に当たる音が響く中、どれだけ動いて、体が揺れても胡坐が崩れる事が無い事に気付いた。これはと思い試しに大きく首を振って胴体の波を脚伝える。


 ゴン!と壁に後頭部をぶつける音が部屋中に響く最中。肝心の脚はと言えば、物の見事に床から少し跳ねたのだ。それにしても、こうまでも波が足まで伝わるとなると、この胴体は骨らしい物があるだけで、骨では無いらしい。何か、固いゴムの様な物の様だ。しかし、依然と胡坐は、崩れる事は無かった。だが、その事実は、一橋に大きな勇気を与えた。


 行ける…行けるぞ! これを繰り返せば…!


 そこから一橋は、音など一切気にする事無く、一心不乱に後頭部を壁に打ち付けて波を脚に伝え始めた。


    ◆


 ゴォン!ゴォン!ゴォン!ゴォン!ゴォン!……


 あれからどれ程の時間が経ったのだろうか。痛みも疲れも感じない事を良い事に続けた。徐々に壁に寄る胡坐に体を反らしながら跳ねた。どうやら、背骨となってる胴体の骨は、少し硬いゴムの様な物らしく、途中、腹部がくの字になり膝より前に飛び出した。


 しかし、苦労の甲斐もあってか、遂に一橋は、腕が伸び切らしながら、壁に対して垂直に胡坐を敷く状態までになっていた。傍から見たら笑い話のネタとなり得るだろう。

 胡坐の爪先で床に立ち、一橋は、胴体を芋虫の様に波打たせながら、無理矢理、鎖から腕を引っこ抜いた。


 ドサッ!『うっ…!』


 顔と体を床に打ち付けて痛みを堪える様に顔をしかめる。ゆっくりと目を開き頬が床と接触してる感覚にこれ程までに感じた事のない喜びを感じた。


『や、やった…!やったぞ!』と思わず喜びの声を上げて笑みを浮かべる。『よし……!』と胴体を捻らせながら正面のドアを見た途端。笑顔は一瞬で凍り付き、そして消えた。


 何で、何でこの…今、このタイミングなんだよ…っ!


 いつの間にか、知らない間に開いていたドアからサェアが一橋を見下ろしていたのだ。

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