第1話 ラジオ


 その昔、世界大戦が起った。


 人類が放った戦火は止まる事無く、瞬く間に広がり、遂には、国境すらも消し去った。


 空気より重い毒性のガスが地面を覆い、空気より軽いガスにも空を閉ざされ。


 世界は、一つになった。


 しかし、生き残った人類は、一つになろうとはしなかった。全ては平和のため。

 だが、それぞれが目指す平和が和解し合う事は、遂に叶わなかった……。


  ────人類は、愚かでは無かった。敵が必要だったのだ。────


『最っ高に!!クソッたれな世界だぜぇいえいい!! 糞ラジオッ!・バカ騒ぎバッカーノ!!の時間だぜぇい!! どーも!バースキーだ!』───ブツッ!


 雨が降る夜。歩道に乗り上げ街灯に突っ込んだオンボロ車から響き渡るラジオの男性の声は、あまりにも能天気で明るく。

 こんな夢も未来も平和も無い世界には、場違いもはなはだしくて鼻につく。

 運転席に座る雨合羽を着たガスマスクの男、一橋いちばし 里駈りくは、袖から膿とケロイドだらけの手首を覗かせてラジオを切ると短く溜め息を吐いた。

 ひしゃげた街灯が唾を吐き付ける様に火花を散らしながら一橋を照らしていた。


「はぁぁ…」


 一橋は、軽く深呼吸をすると椅子に深く凭れ、そのままリクライニングシートを倒そうとしたその時───突然───胸に刺される様な痛みが走った。

 堪らず一橋は、胸を庇う様に背を丸めて全身を痙攣させた。痛みは、心臓の鼓動に合わせて釘を打ちつけてるかの様な感じだ。

 余りの痛みに込み上げる吐き気と遠くなる意識の中。声の出し方を忘れてしまったかの様にか細い息が漏れる、開いた口から涎が垂れてくる。

 車内の細く短い呼吸音は、外の雨音に掻き消されそうに響いていた。


 しかし、その痛みも一橋にとっては、変哲もない日々の一部だった。

 だから一橋は、只管ひたすらに痛みが引くのを待っていた。もし、このまま死ぬ事が出来れば、彼にとってこれ程の幸せは無いだろう。


 脈打つ痛みが引き始めると一橋は、ガスマスクをずらして額の脂汗を拭った。

 座り直して椅子に体を沈める。いくら痛みが治まるとは言え、ウンザリしていた。だが、何で自分だけ?と悲観する程周りが幸福じゃないのが腹立たしい。


 しばらく、目を閉じて落ち着いていた一橋だったが、忽然と転がり入って来たノック音に目を開けて舌打ちをしながら振り返る。黒く汚れた車窓の向こうに傘を差した人影が一つ立っていた。


 一橋は、ドアノブの少し上に取り付けてあるハンドルを時計回りに回し始めた。

 ジョリジョリと小さな砂や塵がガラスと擦れる音と共に車窓は、小刻みに揺れながら下がり始めた。その小さな開門により、車内にカビの匂いと腐敗臭は薄れて。代わりに外の匂い、ドブと火薬を合わせた様な匂いと辛味を感じる程の明らかな薬品の匂いに変わっていった。


 車の外には、一橋と同じ政府から支給されてるガスマスクを着けた白髪の男性が立っていた。


「…? 何してる降りろ。交代だ」


 男性の言葉に一橋は、無言でドアを開けて車から降りた。

 開くドアに煽られて足元の雲海が波を作りながらうねった。一瞬の雲間、硫酸をぶちまけた様な液体スライムの様な地面がチラとその顔を覗かした。


 一橋は、助手席に立て掛けてあった錆びた鉄パイプを杖の様に地面に突き立てると車から身を出して足早に離れようとした。


 この車は、ただのラジオだけが取り柄のオンボロ車とは違う。この車の荷台には、革命軍テロリストの隠し武器庫となっているのだ。

 そして、俺達は、政府にバレない様に当番制で武器庫となってる場所の管理をしている。


「おい」


 白髪の男性の声に一橋は振り返った。車に乗り込んだ白髪の男性は、車窓から袋に入った箱を差し出していた。報酬だ。

 一橋は、ガッガッと鉄パイプを付きながら近付いて男性から箱を受け取った。

 白髪の男性は、何かを確かめる様に一橋の姿を見てると、膿だらけの手を目にして憐れむ様に溜め息を着いた。


「酷いな…その手も、左脚も…。痛み止めならあるが、いるか?」


「ぁ?…あぁ、余計なお世話だ。それに、の方がよっぽど効くぜ? お前こそどうだ?」と、一橋は、痰の絡んだ声でポケットから錠剤の束を取り出して見せた。


 白髪の男性は、呆れたと言わんばかりに椅子に体を沈めると「要らねぇよ。お前もいらねぇ、病気が移るから失せろ」と言って素っ気なく車窓を閉めた。


   ◆


 とある廃ビルの吹き抜けた階段の踊り場に腰掛けていた。ここならガスも届くまいと、一橋は、ガスマスクを外して街灯の僅かな光を頼りに白髪の男から受け取った箱を開けた。


 箱の中には、政府で配給されてる三日分の食料だった。


 乾燥した麩菓子の様な棒状の米が6本。薄氷うすらいの様なペーストが入ってる薄っぺらい缶詰めが6個。そのまま摂取できる水カプセルが3つ。氷砂糖が入った小さな缶詰が一つ。


 一橋は、ペーストの缶詰と棒米を一つずつ取り出した。

 パン!なるべく音を立てない様に慎重に開けたつもりだったがペーストの缶詰めが開くと同時に乾いた音が響いた。


 外で食べるのは少しマズかったか?と思いながらも一橋は、棒状の米でペーストを掬って食べ始める。

 棒米に味は無く少し硬い、涎で少しふやかして食べる。ペーストは、ほんのり甘く、溶けないバターを食べてる様だ。味と食感は、ゲロだが栄養はあるのだ。

 眉間にシワを寄せる一橋は、吐きたくなる様な不快感を流す様に水カプセルを噛み飲んだ。


 ザス…「っ!」


 上の階から何かがズレ動く音が聞こえた。一橋は、咄嗟に手を止めて顔を上げた。階段の手摺に寄りかかる人影が一つ、窓の街灯を逆光にガンギマリの目で一橋を見下ろしていた。その手には、血塗れのガラス片が握られて宛ら獲物を狙う餓えた猛獣の様だ。相手が人とは言え、話の通じる相手では無いのは確かだろう。

 一橋は、床の鉄パイプを手に持って壁伝いに立ち上がった。しかし、人影は、糸が切れた操り人形の様にガシャアン!と一橋に近付く事無くその場に倒れ込んだ。


 一橋は、床に転がる食べ掛けの棒状の米とペーストの缶詰めを食べ終えると、動かなくなった人影に缶詰めを投げ付けた。パコッ!と頭に缶詰めが当たるも人影は、動く様子が無かった。死んだかと思った矢先、何かを呟いている事に気付いた。

「お願い……こ…どもに…」外の微かな雨音すら騒音に思えてしまう程に小さな声。


 一橋は、箱を閉じて人影に近付く。鉄パイプで頭を小突いて顔を見ると衰弱しきった女性だった。最近、発散してなかったから犯してやろうかと思いはするが。ミイラの様にけた顔、服の隙間から覗く体の病的な斑点模様に一橋は、顔をしかめて女性から離れた。呼吸も小さく、朝を迎える前に死ぬだろう。

 その時。廊下の向こうから子供が近付いて来てるのが見えた。振り返った一橋は、目を見開いて思わず腰を抜かしてしまった。


「かぁか…?」と呟くその子供は、血塗れだったのだ。子供が怪我してるかと思ったが違った。子供が両手に抱えてるのは、噛み千切られた跡が幾つもある人の腕だったのだ。人を食ってるのだ。


 しかし、これもまた、あり溢れた光景だ。壁伝いに立ち上がった一橋は「きも…」と小さく呟きながら子供に近付いた。子供は、床に倒れる母親と思われる女性の姿にショックを受けた様子で腕の肉を落とした。

 一橋は「ビビらせんなよ」と呟くと子供の頭に目掛けて鉄パイプ思いっ切り振り下ろした。殺す理由は特に無かった。だが、人としての思いやりだった。

 響く肉を打つ音。砕ける骨。床に広がる液体。飛び散るピンク色の肉片。各部屋から覗く目は、見て見ぬふりをして寝息を殺した。


 一橋は、深く深呼吸して階段を降りようとしたその時───ドォォオン!!と言う爆発音がどこからか聞こえて来て地響きが廃ビルを揺らした。

 一橋は、壁に寄りかかりながら揺れが収まるのを待っていた。だが、窓から建物の向こうの空が明るくなってるのが見えて息を飲んだ。


 その方向は、あのオンボロ車がある場所だったのだ。

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