85,決裂
ステラの中で、ヒルおじさんという人物は温厚な人だった。
怒った顔は見たことない。ハイジ先生にいじられての困り顔や別れ際の泣き顔こそ見たことあるものの、怒った顔など一度も見たことがない。
そんなヒルおじさんが今まで見たことないような怖い顔をして、宮殿の中から出てきた。
「ステラ、まだ話していないことがあるだろう」
「何のことでしょうか」
取り繕った笑顔の仮面をかぶり、内心舌を巻く。
船の時間に間に合うといいんだが。
「隠しても無駄だ。全て話してもらう」
「もしかすると、まだ記憶が混在してるのかもしれません。ああ、そういえばギレットという男がご主人様とか言っていたような」
「その件に関しては俺の方で動いている。聞きたいのはそこじゃない」
まるで狐と狸の化かし合い。
「ステラ、ギレットと何を話した?」
「少し与太話を。セレスタン王のお耳に入れるようなお話ではありません」
「今は国王として話しているんじゃ無い。とにかく俺の部屋に来なさい」
「行きません」
強く掴まれた腕を振り払った。
その様子を黙って見ていたイライザとゲパルは慌てて声を上げる。
「落ち着いてください!」
「そうですヨ! なんで二人が喧嘩なんてしてるんですカ⁉」
「これは我々の問題だ」
睨み合う二人の間に飛び散る火花に、王国騎士団の隊長二人は口をつぐんだ。
宮殿の奥から騎士達が走ってくるが、ステラには知ったこっちゃない。
「私が何を隠していると言うんですか?」
「それを聞いている。俺が立場を隠していたことは今から気が済むまで詫びよう。だから全てを聞かせてほしい」
「は? 立場を隠していた? それだけ?」
警察官とは中立な立場を保つため、いかなる時も心を乱してはならない。
どんな危機が迫ろうとも冷静な判断を下し、国民を守るためだ。
そういったメンタルトレーニングも定期的に講習が行われているが、今回ばかりはそのトレーニングも無駄となった。
「私にまだ話してないことがあるって言うんなら、そっちもなんじゃないの?」
「ならばもう一度審問の間へ。スピカ姫の名のもと、お前が知りたいことはすべて教えよう」
「っ……私は‼
セレスタンの国民じゃない‼」
何かあればスピカ? もうその名前はうんざりだ。
信仰する姫の前なら何を懺悔しても許されると思っているのか?
無理やり蓋をしようとしていた醜い感情が再び顔を覗かせる。
「スピカ様の名前を借りないと何も喋れない?
じゃあ喋らなくてもいいよ、全部知ってるからッ‼」
「知っている……? な、何を……」
「私の両親のことだよッ‼」
感情のままに言葉をぶつけてやった。
怖かったヒルおじさんの顔は驚愕と絶望の色に染まる。
その表情こそが、ステラの言葉を肯定していた。
「待て‼ それは誰から聞いたんだ⁉ ギレットか⁉」
「そうだよ‼ 私の父親がヒルおじさんということも‼
お母さんの実家のことも‼
私が望まれてなかった命ってことも‼」
認めたくなかった。
どれだけ聞かないふりをしようとしても。 深く突き刺さった棘は、ステラの心の中に埋まったままだったのだ。
「違う‼ お前は祝福を受けてこの世に生まれた‼」
「そんな後付けの理由に意味なんて無いよ‼
私とヒルおじさんがお母さんの人生を台無しにしたんだッ‼」
ステラの糾弾に、とうとう押し負けた。
ギレットの言うことは本当だったのか? 激しく捲し立てる一方、心のどこかで冷静な自分がいた。
「なんでお母さんをあの村に閉じ込めたの? 私が……この眼があったから⁉ だからオゼンヴィルド家とも縁を切らせたの⁉」
「頼む、落ち着いてくれ……」
「前公爵夫人がどんな気持ちでお母さんに会いたがっていたかわかる⁉
ヒルおじさんが私の実家に遊びに来て帰った夜、お母さんずっと一人で泣いていたんだよ」
子供心に触れてはいけないと思っていた、その理由がようやく分かった。
それと同時に ギレットの言うことが正しかったのだと思い知らされる。
「私が生まれなければよかった‼
なんで私を、この眼を生かしたのッ⁉」
パシンッ
乾いた音が響いた。
ジワジワと頬が熱を持ち、やがて痛みが遅れてやってくる。
遅れて理解した。
叩かれたのだ。
「その言葉を取り消せ‼」
「やめんか」
突如目の前にいた巨体が消え、 代わりに重力に逆らった三つ編みが 視界いっぱいに現れた 。
少々遅れて、遠くから何かが破壊される音が聞こえる。
眼球だけを動かして理解した。
ガザンがヒルおじさんを殴り飛ばしたのだ。
「国王‼」
「何をなさるのですか、ガザン様‼」
ぴょこぴょこと三つ編みを踊らせながら、そのしわがれた手をステラの頬に当てた。
「おお、かわいそうに……。しかしヒルベルトも勉強になったじゃろうて。公の場で親子喧嘩なんぞするもんじゃないわい」
ガザンに撫でられて気付く、
どうやら、自分は泣いていたようだ。
「すまんのお、お嬢ちゃん。儂もお前さんのことは知っておったんじゃ。それも生まれた時からな」
もう驚くことにすら疲れてしまった
今は赤く腫れた頬を慈しむ手を、受け入れる。
「混乱して当然じゃ。じゃが儂からも一言添えさせておくれ。
お嬢ちゃんは望まれてその世に生まれ落ちたのじゃ。それだけは疑わんでくれ」
「…………」
遠くてヒルおじさんの救出作業が行われている。
きっと彼は瓦礫の中に埋もれているのだろう。どれほどの馬鹿力で殴り飛ばしたんだか。
ガザンの言葉が地を這うミミズの様に、ゆっくりとステラの鼓膜に辿り着く。
「さあ、今のうちにお行き。また近いうちに会おうぞ」
背中を軽く叩かれると、おぼつかない足取りで荷物をかき集める。
数センチでもいいから、早くヒルおじさんと離れたい。
だけど。
助け起こされたヒルおじさんを、もう一度だけ振り返った。
「ヒルおじさんなんて……ッ‼
大っ嫌いッ‼」
言い捨てると、逃げるように王宮から駆け出した。
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