86,鉄拳
「大っ嫌い……ステラが、大っ嫌いって……」
「たわけ‼ どんな理由があれど、娘に手を上げるとは何事じゃ‼ 父親の風上にもおけん奴じゃ‼」
山のように積み上げられた瓦礫の前で座り込むのは、上等な服がボロボロになって目も当てられない姿になったヒルおじさんだった。
ガザンの強烈な蹴りをまともに喰らったのだろう。鳩尾をさすりながら側に居た騎士の肩を借りて、顔を歪ませながら戻ってきた。
セレスタン国最強と歌われるヒルおじさんに、ここまでスパイスの効いた一撃を入れられるのはガザン、もしくは王国騎士団長のジーベックドくらいだろう。
「少しは反省せい。
とは言ったものの、これでギレットがお嬢ちゃんに吹き込んだ悪知恵の中身が分かったのお」
「どこからどうやって漏れたんでしょうかね。犯人を見つけ出し、縛り上げなければ」
「その前にもやることは山のように積み上がっておるじゃろうて」
崩れ落ちるように、ヒルおじさんはその場に座り込んだ。
そして自分の手を、茫然と見つめる。
「……初めて、この手でステラを殴りました」
「最低じゃのう」
「はぁ……」
その手でステラを抱き上げ、慈しみ、育んできた。あろうことか、その手でステラを傷付けた。
いつもは真っ直ぐ天に伸びている背中が、珍しく前へ倒れていく。
「あんなセリフを言わせてしまうくらい追い詰めたのは、儂も含めた周りの大人らじゃ。
ヒルベルト一人の責任では無いぞ。
……殴ったのはお前の独断じゃがな」
「なんで最後に一言突き刺してくるんですか」
追い打ちをかける一言が、深くヒルおじさんの胸に刺さった。
あまり公の場で見せない憔悴しきった国王を心配した騎士や召使いが、代わる代わる声をかける。
人望の厚いヒルおじさんだからこそ、上下関係なく色んな人間が声をかける。
だがその心配の声が今はあまり響かないのは、それほど心が乱れているからだ。
「お前さん達、騒がしてしまってすまんかったな。持ち場に戻っておくれ」
「しかし、国王は怪我もされておりますし……」
「何を言っておる、こんな掠り傷ぐらい唾をつけて塩を揉み込んでおければ一発で治るわい」
「父上、塩を揉み込まれては俺も泣きます」
「じゃあ代わりに唐辛子でも揉み込んでやるわい。
ここは儂らが片付けておく、全員仕事に戻るんじゃ」
戸惑いながらも前国王の言いつけを守る忠実な家臣達は渋々背中を向ける。
ガザンは瓦礫の破片を手に取った。
「なあ、ステラって子。国王様の子って」
「そう言ってたよな……」
「ということは、エドガー様の妹気味ということになるのか?」
「とんだスキャンダルじゃないのか……?」
小さな噂話が早速目を息吹いている。
嫌でも耳に入ってくる話は、全て真実が故に否定も出来ない。
「何をしておる。とっとと直さんか」
「壊したのは父上なんですが」
「なーにを言っとる! 誰があの親子喧嘩を止めたと思っとるんじゃ。感謝して欲しいくらいじゃ!」
項垂れるヒルおじさんの背中に、暗い影が漂う。
「いつまでもウジウジするもんじゃないわい。あの子が成人したら話すと決めておったことじゃろうて。
ヒルベルトやオゼンヴィルドの娘の口から話したとて、あの頑固娘の反応は変わらんかったじゃろうよ。
ま、ステラのほとぼりが冷めたら話し合うことじゃな」
「……俺は……どうやってステラに罪を償えば……」
「歯を三分の二ぐらい差し出せば気が済むんじゃないのかの」
ガザンは崩れた建物の一角にしゃがみ込み、細かい破片を掻き集めていく。
例え屈もうが、ご自慢の三つ編みは相変わらず天を指している。
セレスタンの透き通るような青空が隠れた今、なんとも重たい空気の中で瓦礫の撤去作業というこれまた気の重くなる作業に、二人の肩は自然と重くなる。
「よっこらしょっと……ここにおった者達に口封じをしたところで同じじゃ。必ず何処かから漏れ出す。
公にしなくとも、明日には各豪族から詰問が飛んでくるじゃろう」
「そんなもの、痛くもかゆくも無い」
「ごもっともじゃ。肝心なのはステラの心。
ヒルベルトよ、心して聞け」
遠くで鳴っていたはずの雷が、すぐ近くまで迫っている。
「なんですか」
「よいか。
子供の反抗期というのは厄介じゃぞ」
それは、父親という先輩の大きな忠告だった。
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