80,恋敵 1
「ステラ嬢」
「………………うっす」
「全然食べていないじゃないですか。少しでも何か口にしないと、元気も出ませんよ」
ステラが目を覚ましたのは、宮殿に担ぎ込まれて一夜明けた頃だった。
治療は既に施されており、顔の腫れも引いてアバラの痛みもない。よほど腕のいい医者の手にかかったのだろう。
ベッドの上で怪我の具合を確かめた次に気になったのは、自分が寝ている部屋だ。
「(ここ、イライザさんの部屋じゃない……?)」
愛着すら沸いてきたあの部屋も十分広くて豪華だった。
しかし今いる部屋は、何処かのお姫様が住むような部屋だ。それこそルカの帰国パーティーでレオナルドがステラのために用意した部屋と似たランク。
軋みすら無くなった肩で、ベッドに手を付く。
それだけだわかってしまった。このマットレス、腰に負担がかからない体圧分散式のめっちゃいい奴や。そして夢にまで見るキングサイズや。
「起きたか!」
「ウメボシ! ここは何処⁉」
あと数秒でも一人で居たら変な汗が噴き出していたぞ。
ベッドの下から駆け上がってきた赤い毛玉に過去最大の安心感を覚えた。
「あれ? なんかちっちゃく……軽っ‼」
「双獣の誓いや本来の姿に戻るのは膨大な魔力を使うのだ。だからカロリー消費が激しく、空腹で目が回るのだ」
「じゃあ今お腹空いてる?」
「正直ステラの心配一割、食い物の事を九割考えておる」
つまり殆ど食べ物のことしか考えていないということか。現金な奴め。
「とにかくお主が目覚めたことをイライザ達に伝えてこよう。そして飯だ!」
「絶対後者が本音じゃん」
そしてウメボシから伝達を受け取ったイライザが食事を用意したということなのだが。
「そうですよね、あんな怖い目にあったんです。そんな直後に食欲なんて沸くはずもありません」
「それは……まぁ、怖かったですけど」
といっても、強盗犯に突っ込んでいくくらいの肝っ玉の持ち主である。
恐怖、というよりヒルおじさんの正体と、何故かギレットが知っていた自分の出生の真実の方に衝撃を受けているのだ。
それも本当のことなのか? 嘘にしてはやけに作り込んだ話だ。
「(ヒルおじさんに聞けるかな……)」
身分の違いの心配ではない。問題はステラの心だ。
ずっと騙されていたと一度考えてしまえば、その考えの成長は早い。
そして、レオナルドも。
「ステラ嬢? まだ気分が優れませんか?」
「いえっ! ちょっとボーッとしちゃって……ところでここは何処ですか?」
「ここは宮殿の客室です。私の部屋だと医療室から遠いので、国王の計らいで一室を設けてもらいました」
「そう、ですか」
罪滅ぼしの一環のつもりか?
なんて、意地の悪い考えが頭を剛速球で駆け抜けた。
「目覚めて直ぐで申し訳ありませんが、国王達がステラ嬢と面会したいと申し入れがありました」
「いいですよ」
「え、軽。いいんですか⁉」
「もちろんです。セレスタンの国民を脅かす悪意を取り除くのに、何を躊躇する必要があるんですか」
「ほお、見上げたポリス魂だ」
口いっぱいに食べ物を詰め込んだウメボシが、椅子の上から野次を飛ばしてくる。
さっきまではあんなにスラリとしていた綺麗な狐は、一瞬にしてポッチャリ狐へ。そのメカニズムはどうなっているのだろう。
「では審問の間に伝えて準備をします。その間に一口でもいいので食事を!」
「本当に大丈夫です! 私とウメボシの胃袋は繋がっているので‼ そこから栄養もらいます‼」
「そうなんですか⁉」
「そうだったのか⁉」
「なんかそんな気がしてきた‼」
適当な嘘は火をつけ、ウメボシまで引火する。
そんなわけあるかと、もみくちゃにされながらイライザにホットドッグを口元に押しつけられた時だった。
コンコン……
「来客? 誰も近づけないようにと言ってあったのですが」
「ぎゃあ‼ ケチャップが垂れてサスペンス‼」
「ええい! そんなに拒否されてはホットドッグが浮かばれん‼ 小生が喰らってやる‼」
「ちょ、毛に付くって‼」
ベッドに上でじゃれ合う二人をそのままに、イライザは取っ手に手をかけた。
「お休み中のところ失礼。ステラ・ウィンクルと面会させていただけないだろうか」
「どうやってここまで来た? この部屋の周りには見張りを立てておいたはずだ」
「わたくしが通してほしいとお願いしたのです」
ふんわりとした声に、ウメボシを撥ね除けようとする手が止まった。おかげでホットドッグとは永遠の別れとなった。
とっさに零れたケチャップを拭き、乱れた裾を直す。
「フェリシス嬢……なぜここに」
「我が国の大切な国民が怪我をしたと聞きました。見舞ってもバチは当たらないでしょう?」
「ですが……」
他国の王族からの慰問に、さすがのイライザもたじろぐ。
「イライザさん」
目的は自分だとわかれば、やることは決まっている。
コソッとベッドの上からイライザにだけ聞こえるように声をかけると、腕で大きく丸を作り頷く。
気を遣ってくれるのはありがたい。だがそれでイライザが冷や汗を掻くくらいなら、庇われるのは忍びない。
「……今目覚めたばかりです。体力も戻っていませんので、」
「わかっておりますわ、長居はしません」
言うが早いか、僅かしか開いていなかった扉は大きく開け放たれた。
「それからイライザ隊長、あと……使い魔も外してくださるかしら」
「それはご容赦ください。我々はステラ嬢の護衛をセレスタン王より仰せつかっています」
「そんな危険視しないでくださいな。ほんの少し、聞かれると恥ずかしいお話ですの」
「しかし‼」
「イライザさん!」
フェリシスに逆らうべきでない。
食い下がるイライザに、食べ物のカスを付けたウメボシを押しつけた。
「ウメボシをお願いします! まだ本来の体重に戻っていなくて」
「むしろ前より大きくなっていませんか?」
「ほんの数分です! すぐに済みますから!」
ステラは見逃さない。
フェリシスの目に宿った光は、一人の女としての目だった。
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