76,炎の拳



「いたイ……イタイぃぃィいイ……」

「それはお前が痛いのか?」


 地面に落ちた赤い破片を、丁寧に拾い上げて炎に翳す。

 怪しくも美しいその赤い破片は、炎の明かりを不気味に反射している。


「ふむ、初めて見る石……宝石? ガラスか? 少なくともこの近辺で発掘されるような物では無いようだな。もしくは特殊な魔法道具か何かかね?」

「アッ……が……あぁ……」

「なんだ、教えてくれないのか。まぁいいぞ!」


 笑っているが、笑っていない。ステラでも初めて見る、怒りを含んだ表情だ。

 一際大きく燃え上がった炎が、ヒルおじさんの拳を纏う。


「ここで言わなくでも、牢屋の中でしっかりと聞いてやるからな」

「かえル……カエルぅ……。


 イえにカエるぅゥゥゥゥウウウウ‼」


 鼓膜が破れそうなほどの願望が、ステラの肌に痛いほど伝わってくる。

 何倍にも膨れ上がった腕が、ヒルおじさんへ目掛けて振り下ろされた。


「があぁぁァぁぁぁあ‼」

「中々のパワーだな」


 しかしそんな大雑把な攻撃が当たるはずも無く。

 ヒルおじさんが軽く後ろに飛ぶと、ギレットの鋭利な爪は地面をえぐって終わった。


「パワーはあるが……。こんな程度で俺は倒せんぞ。

 これ以上の拳をずっと受けてきたからな」


 やけにステラの耳にその言葉が届いた。


「さて、我々も君と同じでそろそろ帰りたいと思っていたんだ。

 ここで捕まって貰おう」


 自由に燃えていた炎が、拳の一カ所に集中する。

 元々レオナルドの物であった炎は、すっかりヒルおじさんの物となっていた。


 ステラは痛む身体を僅かに持ち上げ、その背中を見つめる。


 まるで英雄だ。


 炎が浮き立たせる背中が頼もしい。

 燃えさかる拳を振りかざしたその姿を、ステラは網膜に焼き付けた。


「歯ァ食いしばれ‼


 フレイム・ディ・グランメテオ‼ (豪火の流れ星)」


 それは、ステラの初めて見る顔だった。

 いつものほんわかと纏っている空気は何処へ行ったのか。


 これぞましさく〝王の顔〟なのだろう。


「アガァァァアアァ……ッ‼」


 拳は鈍い音を立て、ギレットの頬に決まった。

 重い拳を受けたギレットの身体に炎が燃え移り、暗い夜空を怪しく照らす。

 ステラが瞬きをして再び瞼を開くと、その長い睫に何かが当たり視界を遮っていた。


「お前は何も見るな」

「…………」

「イッ⁉ なんで噛み付く⁉」


 絶対口は聞いてやるもんか。

 意固地になったステラは歯形がクッキリと残ったレオナルドの掌を、ペッと吐き出した。

 もちろん、謝るなんてことはしない。




「安心しろ、殺すなんてことはしないからな。……半殺しで済ませてやる」

「セレスタン王、やり過ぎです! ちゃんと喋れる程度に留めてください!」

「優しすぎるよレオナルド君。まだこれから……おっと、ついでにステラの耳も塞いでおいてくれ」

「あいにくですが、俺の手は二本しかないのでこれ以上は不可能です。それに今こいつの前に手を出すと、噛まれます」

「小生よりも獣らしいぞ」

「(なんとでも言え)」


 恨みがましくジトッとした目で、レオナルドを睨み上げる。


「あっ……ハ、ガ…………」

「お、大体燃えたな」


 まるでゴミ処理を熟すかのような発言だ。


 ヒルおじさんの言う通り、踊っていた炎が徐々に小さくなっていく。


 やがて炎は収まり、地面には辛うじてボロ布が身体に張り付いているギレットが倒れていた。


「では宮殿に同行を願おう。レオナルド君、すまないが手伝ってくれないか」

「……ん……とこ……でぇ……」


 ギレットの肥大化した腕の筋肉が、僅かに動いた。

 背中を向けているヒルおじさんは、気づいていない。


 ステラが声を上げるより先に、レオナルドが走り出した。


「終わってたまるもんですかぁぁぁあああ‼」

「セレスタン王‼」


 ザクッ……‼




 肉を絶つ嫌な音がステラの耳にこびり付く。


「あ……」


 思わずステラの口から声が零れた。

 その鋭い爪は、レオナルドとヒルおじさんに届く…………ことなく。


「ギャアッ‼」


 ギレットの腕が、レオナルドの剣によって切り落とされた。


「悪く思うな。今ここでこの方を失うわけにいかない」


 冷酷な天色が、苦悶の表情を浮かべるギレットを見下ろす。

 頬に跳ね返った血を拭い、その刃にこびり付いた血を振り払った。


「いやぁ、すまない! つい油断してしまった!」

「貴殿らしくもない。……まあ、その気持ちはわからなくも無いですが。

 ここまで痛めつけたんです、俺の手は必要ないでしょう」

「そうだな、これなら捕らえなくても簡単に回収できる。ついでにあの人形達も連れて帰ろう。

 ステラが言っていた〝人間だった”という言葉も気になる」




「ステラよ、どういうことだ。あの人形が元人間だと?」

「う、うん……。なんでも魂をすり潰して作ったとか……」

「命を愚弄した禁術か。ここに来るまでに何体か対峙した。相変わらず嫌な匂いがしたが、そういうことだったか」


 いくつかトラップがかけてあったのか。

 思わず手元にあった毛並みを撫でる。


「……っていうかさ、どうやって私の居場所突き止めたの? あいつの魔法で馬車は消されていたんじゃなかった?」

「お主の付けているチョーカーだ」


 はて。

 キョトンと目を開く。


「なんか変な念でも感じた?」

「違う。レオナルドがそのチョーカーに追跡魔法をかけていたのだ。

 時間はかかったが、おかげでなんとか間に合った」

「は……? 追跡魔法……?」


 拘束されているのを忘れ、思わず利き手を動かした。


「私、なんにも気づいて無かったんだけど……?」

「どれだけレオナルドの追跡魔法が高度ということだな」

「これストーカーとして然るべき機関に訴えられてもおかしくないよ」

「結果としてお主は命を救われた。

 その然るべき機関とやは、むしろ感謝すべきと判定を下すぞ」


 ごもっともである。

 とりあえず、警察署に帰ったら追跡魔法とやらは解いてもらおう。絶対にだ。





「……元気そうですね」

「タフに育ってくれて嬉しい限りだ。


 今セレスタン王国騎士団がこちらに向かっている。こいつを連れて「ふ……ふふっ……」」


 背中が粟立つようなか細い笑い声が森に響く。


「私を連れ帰る……? 馬鹿な……」


 禁術とやらの効果が切れたのだろうか。

 自我を取り戻したギレットが、肩を押さえて立ち上がった。


「ほう、思ったよりタフなんだな」

「色々改造しているもの……。でも、いくらタフでも今は不利ね。


 だから、撤退させてもらうわ」

「ッステラ‼」


 ギレットが指を指す。その意味を、わかってしまった。


 二人の声が重なるのは同時だった。

 ウメボシの背後に人形が召喚され、レイピアが冷たく振り下ろされる。


「舐めるな‼」


 ウメボシの尻尾がレイピアと捉えた。

 だがその陰に、もう一体の人形が現れる。


「フラグマ・キテラ! (支配の炎)」

「パラキエ・ピート! (沈殿)」


 ウメボシの死角に迫った人形は、あっけなく地面に叩き落とされた。


「間に合ったか……」

「ステラに怪我は無いようです」

「ふふっ……アハハハッ‼」


 ハッと後ろを振り返った。

 標的がステラになったことで、ギレットに対する警戒心が僅かに逸れてしまったのだ。

 そして最悪な結果に結びつく。


「お嬢ちゃん、あんたは必ず私達が奪ってあげるわん……。ご自慢の眼で視てご覧なさい。

 この世はやがてご主人様の物となる」

「ッ貴様‼」


 ヒルおじさんが声を荒げた。


 ギレットの足下に、紫の怪しい色を放つ魔法陣が現れていたのだ。

 気付きはしたが、もう遅い。


「まぁたご主人様に怒られちゃう……ふふふっ……! 今度はどんなお仕置きが待っているのかしらぁ……!」

「待て‼」

「今回はここまでねぇ……。けど、また会いに来るわぁ……」


 レオナルドの振るった剣はむなしく空を切る。


 残ったのはギレットの不気味な笑い声と、身体の失った悲しい魂達だけだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る