71,本当は求めていた声



 声には出さないが、ステラは僅かに顔を顰めた。

 なんとも乱暴な御者だ。止まった勢いで関節が軋む。


 腕の後ろで鎖が重たい音を立てた。


「追いつかれたですって⁉

 この娘の魔力は封じているし、私の幻術魔法で馬車も見えていないはず‼

 追跡なんて……ッあんた‼ 何をしたのよ‼」

「ガハッ‼」


 オネエさんの鋭いヒールがステラの脇腹に勢い良く食い込み、嫌な音を立てた。

 呼吸が苦しくなり、少し身体を動かすだけ激痛が走る。

 経験したことは無いが、以前上司のジェラルドから聞いた症状に似ている。これは肋骨が逝ったようだ。


「(こンのっ……クソオカマ‼)」


 この鎖さえ無ければ、その分厚く塗られた化粧が乗った皮膚を五倍ほど腫れ上がらせてやるのに。しかし魔法も使えなければ眼も使えない。

 そして今ここで生意気な口を叩けば、今度こそ足を切り落とされるだろう。


 声帯の上を震わせ、情けない声を絞り出してみる。


「知らないっ……! 私、何もしてない……!」

「うるさい‼ この小娘、少し丁寧に扱ってやれば調子に乗りやがって‼」


 これの何処が丁寧な扱いだというのだ。

 何一つ抵抗が出来ないステラの腹を、ギレットは容赦なく踏みつける。


 大きな舌打ちが、ギレットの口元から転がり出た。


「(確かにこの小娘は救難信号も何も出していない……)」


 ならば、なぜ? と思案が巡りかけたが、今はそれより優先すべきものがある。

 窓越しに御者席へ座る強盗犯二人に低く声をかけた。


「相手はどれくらい居るの?」

「ふ、二人です」

「はぁ? 二人ですってぇ?」


 ギレットの纏う張り詰めていた空気が緩んだのがわかる。

 思ってた以上の軽い回答に、目に見えていた怒りが鎮火されたのだ。

 小馬鹿にしたように小窓から覗く顔を薄く睨め付け、ステラは肩で息を浅く繰り返しながら僅かに零れる強盗犯の声に耳を澄ませた。


「本当に追ってなワケ? あんたたちの見間違いじゃないの? ちょっとソレ貸しなさい」


 窓から手を伸ばし、強盗犯が持っていた双眼鏡を奪い取った。


 その小さな視界の先に、一体誰がいるというのか。

 ステラは身体を起こそうと試みるが、想像以上の痛みに断念して背もたれに沈む。




「……厄介な奴らね」

「いかがなさいましょうか」

「いくら私の魔法が優れていても、素通りが叶うとは考えにくいわ」

「かといって真正面からやり合うわけにもいかないですぜ」

「構っている暇は無いわ。ご主人様が待っているんだもの」


 彼らの敵、ということはステラを助けに来た人間だ。


「(誰……イライザさん?)」


 彼らが厄介と称するのであれば、ある程度実力のある名の通った人物だろう。

 もしくはゲパルかもしれない。


 必死に眼をこらして窓の向こうを観察するが、当然見えない。


「まだ距離はあるわね」

「はい」

「しょうがないわ、本当はこんな所で魔法を解きたくなかったのだけど」


 ギレットが指を鳴らした。

 すると馬車に纏わり付いていた蒼い蛍が消える。


「姿を見せるんですか⁉」

「あいつらの目を掻い潜るより、商人馬車として通った方がまだ安全よん。

 あんた達は外套を羽織って顔を隠しなさい」


 ギレットは腰を上げると、動けないステラの横に腰を下ろした。

 その片手には不釣り合いなほど可愛らしいレースのハンカチが握られている。


「今から一言でも声を出してみなさい。


 ……その時はわかるわね」


 黙って頷くしかなかった。乱暴に口の中へ突っ込まれたハンカチを噛み締める。

 馬車は再びゆっくりと動き出し、緊張感が再び馬車を包んだ。


「やぁ、こんな夜中にご苦労」

「へぇ。旦那方もこんな夜更けに何をされてるんで?」

「人探しだ。こちらに知り合いの娘がやってきたと思うんだが、見ていないかね?」

「娘ですか……見ていませんねぇ」


 反射的にステラの顔が小窓を向いた。

 この声をどうやって間違えようか。


「赤い長い髪の女だ。宝石のように綺麗な瞳をしていて、首に同じ色のチョーカーを巻いている」

「そういえば少し前から巻いていたな……ん? なんで君がアクセサリーの事まで知っているんだ?」

「俺が送った物なので」

「君っ! チョーカーを送る意味を知ってか⁉」


 しかももう片方も絶対間違える筈が無い声。

 というか、こんな時になんの話をしているんだ。


 しかしこれでギレットが警戒心を抱いた理由がわかった。


 外にいる二人というのは、ヒルおじさんとレオナルド。

 どうやってここを突き止めたかは分からないが、〝厄介な奴〟は彼らのことだ。

 今一番聞きたくない声が、御者席に乗っている強盗犯に喰らい付いている様子が伝わってくる。


 ギレットが指示した「外套で顔を隠せ」というのは、レオナルドに顔が割れているから。冷えてきた空気から顔を隠すようにと見せかけて、逃げるつもりなのだ。


「すんませんがこっちも急いでいるんでさ。明日一番にこの荷物を市場に届けなきゃ親方に大目玉だ」

「そうだったのか。忙しいところ呼び止めてすまないな」


 複雑な感情がステラの胸を渦巻く。

 このまま連れ去られてしまえば、ステラは行方不明者として扱われるだろう。

 それで母が実家に帰れるのなら、それも一つの選択肢なのでは?


 座り心地の悪いソファに体重を預け、瞼を閉じた。


「なら手っ取り早く済ませなければいけないな。すまないが馬車の中を改めさせてもらうぞ」

「旦那ァ、それは勘弁してください。こっちも上客の大切な荷物なんでさァ。許可も無しに荷物を見せるなんて、商人道徳に反するってもんだ‼」

「そこをなんとか頼むよ」

「グルルルル……」

「そ、そんな獣を使って脅すなんて卑怯な‼」


 低い唸り声がお尻を伝わってくる。おそらくウルがレオナルドと一緒にいるのだろう。


「この中には荷物しか乗っていませんよ‼ 人間は我々二人だけです‼」

「それはわかりませんなぁ。なんせ随分と元気な娘なもんでね。道端に停まっていた馬車の中に潜り込んで何処かに行こうとするくらい、あの行動力なら十分にあり得るんでな」

「何かの間違いで入っているかもしれない。もし何もないのなら見せることぐらいできるだろう。

 それとも我々の顔を知らないとでも?」




「押し通るわよ」


 ギレットが小さく一言、窓越しに判断を下した。まるで鉄のように冷たく、鋭い指示。

 咄嗟に身体を起こそうとするステラを押さえ込んだ。


「あの人達は関係無い‼」

「私の邪魔をするのなら関係大有りなのよ」


 ハンカチを吐き出し、痛む胸を顧みず声を荒げるが押さえ込まれて終わり。


 ギレットは迷い無く指を鳴らした。


「か、エルぅ。いえに帰るゥ……」

「ごハんの用意しな、キゃ」


 薄い造りのお陰で、外に召喚された人形の声が中までよく通る。


「やめて‼ 人の命なんでしょ⁉」

「うるさいわよ」

「ぐっ……‼」


 羽が折れているであろう箇所に、重たい拳を乗せられた。

 あまりの痛みに悲鳴が喉の奥に張り付く。


「帰ル……あのヒトノとこロニ……」

「オシごトしナキャ、終わラなイィ……」



「だめ、行かないで……」


 稚拙な願いの言葉は何処にも届かず、殺されてしまった。


 以前は恐ろしいと思っていた片言の言葉。

 それは救いを求める言葉だったのだ。


 ステラの願いもむなしく、人形達はヒルおじさんたちに向かってレイピアを振りかざした。



 罪の無い人が傷付く。


 誰かあの人形を止めて。

 今日何回目か分からない涙が床に落ちた時だった。




 ドンッ‼



「キャァッ‼」

「いっ……⁉」


 馬車がひっくり返った。


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