72,人としての尊厳を保つため
「あいたたたた……。もうっ! さっきからなんなのよ⁉」
「すいません‼ 馬に逃げられました‼」
「あのライオンにびびったのね……‼」
「いっ……」
何処かに頭をぶつけたらしい。
折角整えた身体のバランスが派手に崩れ、額が痛みと痒みを伴う。
ゆっくり頭を上げると、パタパタ……と水分が弾ける音が聞こえた。薄暗くても分かる、血だ。
「(最悪、おでこ切れてる)」
こんな時だというのに、何故か学生時代を思い出す。
授業が終わって毎度おなじみの筋トレに励んでいるとき、誤ってリタの目の前で額に道具をぶつけたことがあった。
まぁ怒るわ怒るわ。お嫁に行けなくなったらどうする、と怒鳴られながら医務室に引っ張られていったことがある。
「(リタに見られたら怒られるだろうな)」
何処か他人事のように思いながら、呆然と血を眺める。
そんなステラを捕らえる鎖が、乱暴に引っ張られた。
犯人は一人。ギレットだ。
彼はステラの鎖を掴んだまま、馬車の扉を蹴破った。
「やぁ、やはりそこにいたのか。随分と探したぞ。なぁレオナルド君」
「それも荷物に紛れて……という訳でもなさそうですね」
暗い空には星も月も浮かんでいない。曇っているのだろう。
引きずり下ろされたステラは捨てられたように地面へ転がり、呻き声を上げる。
ようやく外の空気を吸えたいうのに、胸が痛くてうまく酸素が確保出来ない。その上額から流れる血が目に入り、涙と一緒になって流れ落ちる。
「こんばんは。セレスタン王。こんな森の中でお目にかかれて光栄ですわぁ!」
やけに芝居がかった声だ。
「その娘を探していたんだ。こちらに返してもらえるかな?」
「申し訳ございませんが、こちらもこの娘が必要なんですよぉ」
「それにしては随分と乱暴な扱いじゃないか」
「ほっほっほ! 活きが良すぎるので少々大人しくさせただけでしてよォ! 抵抗されると私も困るのよん。
……やだぁ、そんな怖い顔して睨まないでください、レオナルド皇子」
地面に付いた顔を上げ、視界の悪い目を必死に凝らした。
間違いない、ヒルおじさんとレオナルドだ。
しかも彼らの頭上で、襲いかかった人形が一つに圧縮されて浮いている。それはオゼンヴィルド家でステラが人形にかけた魔法と同じ物だ。
「(私を助けに来た?)」
自分を欺していた彼らが、今更一体何故。
レオナルドがスラリ……と腰に刺さった剣を引き抜いた。
「お前はオルガナビアの滝でステラを殺そうとした男だな。そこの御者達は先日ドルネアートで強盗犯として捕まえたが、脱走した奴らだ。
何故この国に居る。目的を言え」
「そぉんなに怖い顔をしては折角の美しい顔が台無しですわよ、レオナルド皇子。それに目的なんて言ってもしょうがないですよォ。
だってあなた達……今から死ぬんですもの‼」
その咆哮が合図だった。
ギレットが手を翳すと同時に、オゼンヴィルド家で見た時よりも遥かに多い数の魔法陣が現れた。
ステラは口に砂が入るのも構わず怒鳴る。
「その人形を傷つけないで‼ 人間なの‼」
「だから人間じゃないわよォ。もう肉体が無いもの。
行きなさい」
悲しい命令と共に、多くの人形がレオナルド達に向かって飛んで行く。
「人間だと⁉ しかし傷つけるなと言われても……‼」
「ウル! 絶対に燃やすな!」
「はっ!」
目を塞ぎたくなるような光景だった。
ステラの警告を受け入れた二人は、ただ受け身になるがまま。
片や一本の剣で複数のレイピアを防ぎ、片やナックルで剣筋を流す。
少しでも気を抜けば、二人が血を流すことになるだろう。
「今すぐ止めて! 私は何も抵抗していない、何処だって貴方たちについていくから! あの二人は関係ないじゃん!」
「あー……私のことはどれだけ傷付けてもいいから二人には手を出すなって?」
ステラの言いたいことは直ぐに伝わったようだ。
しかしそれを素直に聞き入れる誘拐犯が何処にいるというのだ。
ギレットがステラの背中を踏みつけた。
「あんたを騙した人間達よん? あんなの心配しなくていいじゃない」
「それはっ……!」
「情が残っているのねぇ。
でもざぁんねん。あんたの言うことなんて聞いてあげない」
「ぐぁっ……!」
和久かに体重を乗せられ、折れた骨に響く。
しゃがみ込むとステラの耳元に口を寄せた。
「それにねぇ、そういうの大っ嫌いなのよね。他人を優先して自分を犠牲にする、悦が入っちゃうタイプ。だから余計聞いてあげない。
あんた達ィ、行くわよ」
「へぇ‼」
「ひー……おかっかねえ奴らだ」
「あの人形をたった二人で持ちこたえようなんて。普通じゃ無いわよ。
ほら、さっさと小娘を担ぎなさいよぉ」
何も出来ずに連れ去られるのか。自分を助けに来てくれた人達を、ただ眺めているだけの無力な女に成り下がって?
唇を噛み締め顔上げたとき。森の中に違和感を思えた。
ステラは咄嗟に足を踏ん張る。
「なにやってんのよ」
「……も、漏らしそうです」
「はぁ⁉ あんたっ、我慢しなさいよ‼」
「ダメです、爆発しそうです‼」
「こんな時に何言ってんのよぉ⁉」
「いいんですか⁉ ここで全部ぶちまけますよ⁉」
出血大サービスだ、あと三発くらいの拳なら甘んじて受け入れよう。
これ見よがしに内股になって見せた。
「あんた達、私を犯したいんでしょ? いいの⁉ 色んな物にまみれていても⁉」
「えぇー……」
「嫌だけどなぁ……」
「ならそこの茂みにちょっとだけ連れて行ってよ。職業柄早いから!」
「ギレット様、いかがなさいましょう」
「……服に匂いが付くのは勘弁ね」
ステラのプライドをかなぐり捨てた訴えは幸運なことに受け入れられたようだ。
人形に集られる追っ手を一瞥すると、ギレットは鎖を掴んだ。
「三十秒で終わらせなさいよ」
「おい、ちゃんとケツも拭いておけよ」
「ギヒヒッ‼ なんなら拭いてやろうかぁ?」
言い出しっぺはステラだが、こういう下世話な話に喰らい付いてくる強盗犯達には救いようが無い。
「早くッ‼ もう直ぐそこまで迫っているんです‼」
「うるっさいわねぇ‼」
この場で脱げなんて言われたらどうしようかと思ったが、そこはステラの鬼みたいな気迫が勝った。
ペットのように鎖に繋がれたまま、ステラは茂みに向かってノロノロ走り出す。
「よかったんですかい?」
「ほんの数秒くらいいいわよ。セレスタン王達も暫く足止めされているだろうし、もう少し行ったらご主人様が用意してくださった魔法陣がある。
そこまでに漏らされたら、たまったもんじゃないわ」
「けど鎖も解いていないのに、どうやってパンツを脱ぐつもりなんでしょうね」
「………………あ」
ステラの頭が完全に隠れた瞬間。
白い霧がギレット達を包んだ。
「あらん? 天気が変わったかしら」
「視界が悪くなると移動するのに厄介ですね。さっさとあの女を回収した方がいいかと」
「あいつらを撒くのにはうってつけだけれど……ちょっと小娘ェ‼ 出し切ったァ⁉」
急かすように鎖を揺らすと。
ヒュンッ……
茂みから〝何か〟がギレットの腹に決まった。
「ガッ‼」
「ギレット様⁉」
「なんだ⁉」
強烈な突きを喰らってギレットは、鎖を離して向かいの木に叩き付けられる。
それは僅かな光りしか無い暗い闇夜の中でもわかる、赤く太い獣の尻尾。
凍り付く強盗犯の前をシュルル……と通って茂みの中に戻っていく。
「――――貴様ら」
燃え盛るような赤い毛並み。一度喰らい付いたら掴んで離さない鋭利な爪。どんなに小さな羽音でも聞き逃さないような大きな耳に光りが無くてもギラつく眼。
九本の尻尾の持つ大きな赤い狐……基、ウメボシが逆毛を立てその姿を現した。
「ステラによくも血を流させたな‼」
地面にへたり込んだステラが、安堵の息を漏らした。
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