70,知らされた出生



 まだ薬の影響が残っているのだろうか。言葉の意味を理解出来ず、頬の痛みすら忘れてしまう。

 ギレットの言葉に耳を貸すべきでないのだが、両手が縛られた上にこの限られた狭い空間。

 心臓がポンプのように激しく動き、手に汗が滲んで全身に熱い血が駆け巡る。


「実の娘? 誰が?」

「あんた……あぁそうだったわね」


 片方しかなくなった目が、興味なさげな色から狂気のような鋭い色に変色した。

 その光はステラ追い込めるのに十分な威力を持っている。

 聞くな、と遠くで誰かが叫んでいるような気がした。


「あんた、何も知らされてないんだって? そりゃそうだわねぇ!



 他所で作った女の子供にスピカの眼が出ちゃったら、世間体が悪くて言わないわよね!

 国民の父なんて呼ばれても、実の娘に呼ばせられないなんて悲しいわねぇ」

「や、やめて……」


 それ以上聞きたくない。耳を塞ぎたいのに防げない。

 ステラの眼に薄らと涙の膜が張り始めた。

 そんな様子のステラを見て、ギレットはより一層顔に嬉々とした色を深める。


「なら親切な私が教えてあげるわぁ!


 あんたの実の父親はセレスタン王。

 そして母親はドルネアートの王族、オゼンヴィルド家の淫売娘!」


 一粒涙が零れれば、そこからは重力に従うだけだった。

 ステラの頬に幾筋もの星のような雫が伝ってゆく。


「お父さん……? お母さんが、オゼンヴィルド家……?」


 呼吸が乱れて酸素不足の時にみたいに、息が苦しく胸が閊える。

 嘘だ、そんな出鱈目信じない。


 気を確かに持ち直そうとするステラに、ギレットは無慈悲に言葉を浴びせ続ける。


「そういえばたまにあんたに会いに行っていたんだって?

 罪悪感なのかしらねぇ。望んでいない命を生み出してしまった、せめてもの罪滅ぼしのつもりかしらん。


 何も知らない箱庭で、何も知らされないで都合の良いように育ててサ。余計なことは言わずにぬくぬくと育ててきたのねぇ。

 しっかしオゼンヴィルド家の娘も間違えた選択をしたわよねぇ! あんたがこの世に生まれなきゃ、娘もセレスタン王ももう少し生きやすかっただろうに!」

「違うっ‼ ヒルおじさんは私のことを好きって言ってくれた‼」

「ご存じかしらん? そういうのって、洗脳っていうのよ。せ・ん・の・う」


 愉快だとコロコロ笑うオネエさんの声が、狭い車内に跳ね返って鼓膜を震わせる。


「(せんのう……)」


 あの暖かな手も、自分に向けられた笑顔も、全て嘘だったのか?

 それだけじゃない。


 セレスタン王が……自分の父親なら。

 オゼンヴィルド家から追放され、行方知れずとなった娘の子供が自分なら。



 以前遊びに行った、オゼンヴィルド家の屋敷を思い出した。


 あの暖かな屋敷が、母の生家だったのだろうか。

 豪華なお菓子に食事、暖かなお茶、空調の効いた部屋に多くの使用人。

 花壇に植えられた歌いだしそうなほど楽しそうに揺れる花も、煌びやかで夢のような夜会も。あの穏やかで美しい心を持った前公爵夫人達からの深い寵愛を奪ったのは。


「私が、お母さん達の人生をめちゃくちゃにした……?」

「わかってるじゃない」


 怒りや混乱で渦巻いていた心が、ストンと落っこちた。


「ほらぁ。あんたもわかってると思うけど、オゼンヴィルド家のばあさん。娘と縁切ったくせに会いたがっていたじゃない?

 きっと娘……あんたの母親も会いたがってると思ったのよねぇー。だから餌にしたら吊られて出てくると思ったのよん。

 そしたら色々すっ飛ばして大本命のあんたがノコノコ出てきて!

 あの時ばかりは神様に感謝したんだけどねぇ」


 これは全部作り話だ。そうだ、そうに違いない。

 目をギュッと瞑り、視界からギレットを完全に消し去った。

 これはステラを惑わせるための作り話。敵の話に耳を傾けてはならないのだ。


 このまま眠ってしまおうか。そうすれば次に起きた時、きっとイライザの部屋にあるベッドの上で目が覚めるに違いない。


 次の瞬間、喉に圧迫感を感じた。


「人が話してる時はちゃんと目を見なさいよ。そんなことも教わらなかったのかしらん?」

「離せっ…!」


 バキッ‼


 再び頬に拳が入った。

 付けている指輪がナックルの役割を果たし、ステラの口の中に鉄臭い匂いが広がる。


「折角人があんたの出生を教えてあげてるのに、礼儀がなってない小娘ね。親も親なら子も子だわ」

「っ……な、なんであなたが私のことを……そんなに詳しく知っているんですかっ……?」

「こっちだって色々と調べたのよう」


 口の中に血が広がって気持ち悪い。

 

 とっさにルカのことが頭をよぎった。彼もまたステラの出生を調べたことがある。

 皇太子である彼すらたどり着けなかった真実。それをなぜ二回しか会ったことのないオカマが知っているのだ。


「私とヒルおじさんが親子……? そんな話、聞いたこともない……」

「けどその〝ヒルおじさん〟とやらがセレスタン王だってこと、あんたに隠していたんでショ? なら実の親子だっていうのも隠していそうなもんだと思わない?」


 こんな男の前で泣くなんて、考えもしなかった。

 乱れた髪に砂埃で汚れた服、腫れ上がった頬でステラは呆然と涙を流し続ける。


 走馬灯のように流れるのは、故郷の何処までも続く空の下で笑うヒルおじさんや母、そしてハイジ先生。

 もしギレットが話すことが本当なら、何故父と呼ばせてくれなかったのか。

 そこまで、自分は隠し通したい汚点だったと言うのか。




 ……なら、何故自分をこの世に産み落としたのだ。




 首を引き寄せられて、肺の中の空気が一気に外へ押し出た。

 耳元に生暖かい吐息がかかる。


「あんたが知らないだけで、色ォんな悪い大人が隠し事をしているのよん。

 それにあんたに後ろめいたことをしているのは父親と母親だけじゃないわぁ。あの名高きアーデルハイト王妃も、随分と裏で糸を引いていたっていうもの」

「知らない……何も、聞いていない……」

「でしょうねぇ」


 アーデルハイト王妃の名まで出てきて、いよいよステラの頭は外部からの情報を拒絶し始めた。。

 卒業パーティーやルカの帰国パーティーで見た、顔の半分以上がヴェールに包まれている顔は想像もできない。

 ましてや一度も話したことがないが、王族の恥を外に漏れないよう何かしらの形で蓋をしていたというのか。


「あんたは誰にとっても厄介者なのよ。誰にも望まれない、人様の人生に転がる邪魔者……」


 ねっとりとした声音が、ステラの粘膜から体の芯に入り込んでくる。

 それはやがて心に届き、誰の侵略をも許さなかった領域を蝕む。


「かわいそうなお嬢ちゃん……でも安心しなさい、もう大丈夫よ。私の御主人様なら、きっとあんたを幸せにしてくれる。

 この世に弾かれたいらないもの同士、仲良く素敵な世界を作りましょ」


 砂糖をこれでもかと溶かしたような、甘い囁きに目眩がする。


「(私、このまま帰らない方がいいの? そしたお母さんはオゼンヴィルド家に帰れる……?)」


 このまま消えてしまった方がいいのかもしれない。


 あり得ない方向に考えが飛躍した、その瞬間だった。




 キキィィィィイッ……‼




「ちょっと何ィ⁉」


 年季の入った馬車は、走れば走るほど脳に響くような騒音が耳を攻撃してくる。

 これ以上負荷をかけたら壊れるのではないかと心配になるような馬車が、急停止した。


「ギレット様……‼」


 緊張で強張った声だった。

 御者台に座る二人の強盗犯は、あくまで車内に聞こえる程度の声を張り上げる。


「どうやら追いつかれたようですぜ‼」

「なんですってぇ⁉」


 馬の興奮した声とギレットの憤慨する怒号が重なった。



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