65,気休め


 自分が信頼していた人が、とても大きな秘密を抱えていた。

 それを、自分だけが知らされていなかった。


「はぁっ……はぁっ……」


 ステラは裏路地に入り込むと、膝に手を付いて息を整える。

 宮殿からどれくらい走っただろうか。

 細かい塵まではわからないが、随分と遠くまで来たような気がする。


「(なんで……どうして……)」


 地面にパタパタと水玉模様が描かれる。

 乱暴に頬を擦った。


「嫌だ、泣きたくない……」


 涙が出るのは、心が傷付いた証。


 しかし、誰にも見られたくなかった

 こんなに惨めで愚かな姿、たとえ知らない人間だったとしても見られたくない。


 壁を背に、地面へへたり込んだ。


「(意識して、私を避けていたんだ……)」


 折角拭った涙がまた頬を伝った。

 少し考えればわかる。何度もこちらから接触しようとイライザやエドガーが計らってくれたのに、ヒルおじさんは敢えて撥ね除けていたのだと。


 あんなに国民から信頼を寄せてられて国王が、たった一人を欺いていた。

 嬉しそうに国王のことを話すイライザやゲパルが、頭の中で黒く塗りつぶされていく。





「おやおやお嬢さん。こんなところで何をしているんだい?」

「えっ」


 不覚だった。


 ここまで入り組んだ裏路地なら、誰もいないだろうと高を括っていた。

 まさか自分以外の人間がいるだなんて。


 反射神経で顔を上げると、そこには小さな箱の前に座った老婆がいた。

 フード目深に被っており、一目で性別は判断しにくいが、声は間違いなく女性。


 箱の上には、大きな水晶が置かれていた。


 成る程、観光客を狙った占い師か。

 表通りにも何件かそういった類いの店を見かけたが、まさかこんな人通りのいない裏路地にまで出店していたとは。


「ごめんなさい、すぐ行きますから……」

「いいよいいよ。客も来ないし、ちょっと話していくかい」

「あの、お財布も持っていないので、」

「お前さん……見たところ何か辛いことがあったんじゃないかい?」


 これ、あかんやつや。


 ステラの中で、アルローデン警察署に保管された事件簿がめくられた。


 それは、精神的に追い詰められた人間が、占い師に心を寄せてとんでもない目にあったという事件だ。

 人生に行き詰まったその人物は、その人の決定権を全て占い師に託し、言われたものを買い言われた所に旅行して言われた物だけを食べて。

 よくわからない馬鹿高い置物や絵画を購入し、身体の汚れを祓うという特別な水を買わされ……最終的には借金まみれになって、破産したという。


 最終的にその占い師は詐欺として逮捕されたが、被害に遭った人物は必要最低限の保護を受けて、あとは質素な暮らしを心がけているという。


 こんなところでカモにされてたまるものか。


 凹んだ心でも、ステラのブレないポリス・スピリッツが顔を覗かせた。


「結構です。では」

「そんな警戒せんでいいよ。変なものも売りつけんさ。

 今日は店の出しどころに失敗しちまってね、誰とも喋れなくて寂しかったのさ。


 そうさな……例えばあんたが泣いていた理由。誰かに嘘を吐かれていて悲しかったから泣いていたんじゃないのかい?」

「……」


 こうやって占い師は弱った人の心に付け込むのか。


 わかっているはずなのに、去ろうとするステラの足が止まった。

 あまりにもピンポイント過ぎる。


「ぜーんぶ、妾にはわかるさ。この水晶が教えてくれるからね。

 知らない人間にこそぶちまけられるものがあるんじゃないのかい? ここであったのも何かの縁。

 伊達に歳は取っとらんよ。お前さんの悲しみくらい、この胸でドーント受け止めてやろうじゃないか」

「占いって、そんな深く見える物なんですか?」

「それは妾だけだがね。どうだい? 少しガス抜きをしておゆき」


 一理あるかもしれない。

 どうせもうすぐドルネアートに帰る身。この老婆と顔を突き合わせるのも、この数分だろう。

 愚痴の一つや二つ零したところで、この後の人生に影響をもたらす事はない。


 事件簿のようになりそうなら、逃げればいい。


 一度通り過ぎた道を逆に戻ると、ステラは小さな箱の前に戻ってきた。




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