66,シーグラスのストラップ



「私、父親がいないんです」


 老婆の前に座ったステラは、ポツリポツリと話し始めた。


「母親が故郷に居て……たまに母の友人が家に訪ねてきていたんです。

 その人は私に魔法を教えてくれて、夢も応援してくれて……私は、父親みたいだと思っていました」

「そうかい、随分と信頼していたんだね」


 力無く、コクンと頭を縦に振った。

 自分を落ち着かせようと息を吐くと、喉が震えた。

 

「どうもその父親みたいだと思っていた人が、凄く大切なことを私に隠していたみたいで。

 ……誰にでも秘密や言いたくないことがあるって、わかっています。

 でも、あまりにも大きな隠し事で、ちょっと頭が追いつかなくて……。

 それにその人だけじゃなくて、好きな人も共犯だったんです」

「それは疑心暗鬼になる。あんたは何も悪くないよ」


 宮殿に置いてきたヒルおじさんの顔がフラッシュバックした。

 傷付いたのはこちらだというのに、あんな絶望に満ちた顔をしなくてもいいじゃないか。


 折角クリアになった視界が、再び滲んだ。

 太ももにいくつもの水玉模様描かれる。


「ずっと隠されていて、退け者にされて……この国の人たちは皆知っている当然のことだったのに……私だけ教えてもらえなかった。

 そんなに信用されていなかったのかなぁ……」


 最後の一言がブーメランとなり、胸に深く突き刺さる。


 ならば、母は? ハイジ先生は?

 知らないはず、ない。


 彼女たちもステラを欺いていた、ということになるだろう。


「もう昔みたいに顔を合わせられないです……」

「かわいそうに……」


 ズビッと鼻を啜った。

 一つの綻びで、人の心は簡単に折れてしまう。


 老婆は水晶を優しく撫で、ゆっくり言葉を選ぶ。


「何か言えない事情があったのかね」

「もう聞く勇気すらありません」


 なんでレオナルドも教えてくれなかったのだ。

 まず間違いなくヒルおじさんに口止めをされていただろう。

 国王であるヒルおじさんに、レオナルドが逆らえると思えない。


 悩みが混沌とした沼にハマるステラの頭を、老婆はポンポンと叩いた。


「そんな悲しい顔じゃ、せっかくの可愛い顔が台無しさね。

 ……どれ、一つ予言をあげよう」

「やっぱり占うじゃないですか」

「占いは信じんか?」

「変な方向に引きずり込まれたらたまったもんじゃないです!」

「そんなこと言うもんじゃないぞ。引きずり込まれるのは己の心が弱いからじゃ。自分を強く持っていれば、占いごときに心は持っていかれんわ。

 切羽詰まった心を解放するのに、ちょっとした息抜きだと思えば良い」


 そんな気分ではないのだが、この老婆の言うことも一理ある。

 溜まりに溜まったガスを逃がすのは、大切なことだと警察署の先輩方も言っていた。


 老婆が水晶を覗き込むと、淡い光が宿る。


「お前さん……。





 しばらく災難続きのようだね。

 右に行こうが左に行こうが茨の道。まぁ、あんたなら乗り越えられるさ」

「な、泣きっ面に蜂……」


 人生トップクラスで落ち込んでいる時に、なんという結果を叩き出してくれたのだ。

 吃驚して思わず涙も止まった。


「ほっほっほっ! そんな不安そうな顔をするでない!

 そうだ、これをやろう」

「なんですか? これ」


 何が見えたのだと水晶を必死に覗き込んでいると、顔の前に小さな石が翳された。

 土産物屋に売っているような、どこにでもある小さなストラップだった。


 唯一名物らしいといえば、編み込まれている陶器のような不思議な石だろうか。


「これはこの国の海から取れたシーグラスを使ったストラップじゃ。

 この海にはかつての王女、スピカの祈りが眠っている。その波に揉まれ、削られたシーグラスはきっと災いから救ってくれるだろう。

 いつも身に付けておいで」

「でもお金を払っていないので……」

「話し相手を努めてくれた礼だと思っておくれ」


 ありがとうございます、と呟いてポケットに突っ込む。

 これくらいの可愛いストラップなら、宗教にハマったとカウントされないだろう。


 まだにじむ涙を乱暴に擦っていると、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。



 まさか……。



「ステラッ!」

「うわっ……」


 こんなとこまで追ってきただなんて。

 入り組んだ蟻の巣のような細く視界の悪い道の中、どうやって探し出したんだ。


 咄嗟に逃げようとするが、足が笑ってもたつく。


「おやおや。女が泣いてる時に来るとはいい男だ。



 けど、今はお呼びでないね」


 あと少しでステラに追いつくはずだった。

 しかし、それは失敗に終わる。


 彼らの間に、鋭い音を立てた光の槍が立ちはだかったのだ。


「なんだ⁉」

「な、なにこれ……雷……⁉」

「ほっほっほ。青いねぇ」


 声の主は、占い師の老婆。

 彼女の手の中には水晶があった。


 侵略不可の領域を作り出した雷魔法の正体は、彼女の様だ。


「お行き。話したくないんだろう?」

「あ、ありがとうございます……」


 めっちゃいい人だ。

 色々疑ってすいませんでした。

 

 心の中で詫びを入れ、ステラは振り返ることなくヨロヨロと走り出した。







「……あれ。ここどこだろう」


 何も考えたくない、考える力がない。


 あてもなく途方もなく、ただひたすら動かせる足動かし続けていた。


 一観光客のステラが、この広いセレスタンの街を把握しているはずなどない。

 繁華街から抜けた先にあったのは、森への入り口だ。


 この国に着いた時の、ブティックで働くお姉さんを思い出した。




『その青い蛍が現れた日、様子を見に行った人達が何人か行方不明になったんです』




「あ、あかんやつ」


 今はまだ日が昇っているが、地元の住人の喚起を無視するのはよくない。


 戻ろう。


 そう判断したのだが。


「なにあれ……」


 己の目を疑った。


 こんなに日が照っているというのに、森は暗く生い茂っている。

 まるでここから別空間の様。見えない境界線が張られているようにも思える。


 夜のような暗闇の中に、蒼い光がふわふわと浮かんでいた。

 その一つの光が、ステラの手の中に舞い落ちる。


「これって、蛍?」


 母と一緒に見たガイドブックに載っていたものと同じだ。


 何故昼間に蛍が? 普通夜に見えるものでは……ブティックのお姉さんだって、夜に現れるって……。


「(なんか……目が掠れて……?)」


 ステラの思考が、そこで止まった。



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