59,あの日の顔



 嘘でしょ。


 ステラはテーブルに並べられたシチューを見て、目を疑った。

 ほかほかと白い湯気を立てるのは、煮込み時間がかかるシチューだ。


 いくら料理上手なレオナルドといえど、こんな短時間で?


「上手く出来たな」

「美味しそうだけど……」


 皿の中にスプーンを突っ込むと、オニオンのトロッとしたビジュアルと優しい豆乳の香りが食欲をそそる。


「シチューってもっと時間かからなかったっけ? お母さんが作るときはいっつも一時間はかかっていたような……」

「ステラが鍋に圧力をかけてくれたおかげだ」

「私の魔法?」


 あの鍋に圧力をかけたことだろうか。

 鍋にしか魔法は使っておらず、野菜になんらかの影響を与えた覚えは無い。


 まじまじと料理を眺めるステラに、急遽レオナルドによる特別講座が始まった。


「ここから遠い東のほうに特別な鍋があるそうだ。

 さっき鍋の蓋が取れないように圧力を掛けてくれと頼んだだろう?

 あれは蓋で内部を密閉したんだ。そうして火にかけると、鍋の中の水分から発生した蒸気が外に出られない。

水蒸気のエネルギーが増えて温度が上昇し、圧力も一層高くなって沸点が高くる。

 温度が高いと一気に加熱できるから、調理の短縮ができるという仕組みだ」

「美味しい‼ お肉ホロホロ‼」

「お前、本当こういう手の話は昔から聞かないよな……」


 ステラが最も苦手とする分野である事はわかっていたが、相変わらずの勉強嫌いには安心感すら覚えた。

 美味しそうにシチューを頬張るステラを、頬杖をついて観察する。


「レオナルドは食べないの?」

「味見したらもう満足した。それにお前の食べている姿を見たら、腹がいっぱいになった」

「物理的に満たされてないじゃん」


 それでいいのか。



 たわいもない話をしながら食べる時間は、とても暖かな物だった。

 まるで燈月草を探している時に追いかけてきてくれた、安心感に似たようなものもある。


 そんな心地よい時間は、あっという間だ。



「全部食べきったな」

「本当にレオナルドのご飯美味しい! ずっと食べていられるよ!」

「毎日でも作ってやるぞ」

「毎日は悪いからいいよー。前みたいに作り置きして欲しい!」


 ニブチンステラ。


 何処かでリタが叫んだ、ような気がした。


 レオナルドのかけた魔法が、皿や鍋を綺麗にしていく。

 こびり付いた汚れが徐々に落ちていく様子を見るのは面白い。


 ステラが興味深そうに洗い場を眺めていると、頭にポン、と手を置かれた。


「腹が膨れたなら戻るぞ。もう遅い」

「んー……ん⁉」

「なんだ」


 レオナルドの言う通りお腹が満たされ、暖かなシチューのお陰で身体が温まって眠たくなってきた。

 戻ると言うことに特に反論するつもりもなく、大人しく従うつもりだった。


 だというのに。


「ちょ、手……⁉」

「戻るぞ。送っていく」


 何故手が繋がれるのだ。


 この魔法は、仕事が終わったら使われていた皿を元に戻し、鍋を綺麗に拭きあげて棚の中に戻すだろう。

 魔法がしてくれているとわかっているのに、なんだか申し訳ない。


 後ろ髪を引かれる思いで、ステラとレオナルドは厨房の火を落とした。




「……ねぇ」

「なんだ」

「なんで手を繋いだままなのさ」


 何もこんなだだっ広い廊下で、わざわざ手を繋ぐ理由が見られない。

 なんなら時折擦れ違う見張りに立つ兵士に、生暖かい目で見られている。


「迷子になったら大変だろう」

「こんなところでならないって!」

「前科があるからな」

「……」


 それは、以前アルローデンでフレディとはぐれた時のことを言っているのだろうか。

 あの時受けた巴投げの衝撃は忘れもしない。




 王国騎士団の寄宿舎に繋がる廊下に出ると、ステラは足を止めた。


「見て! 星が凄いよ!」

「星?」


 来る途中は空腹でよく見なかったが、一度満足してしまえば心の余裕が出来てくるというもの。

 微かな潮の薫りが鼻をくすぐり、太陽が眠る空を星たちが犇めき合っていた。


「セレスタンはドルネアートより自然が多い。その分ここでも星がよく見えるな」

「ちょっとだけ歩こうよ!」

「おい……」


 繋がれた手を解き、中庭へ躍り出た。


 頭上に広がる満点の星空が、ステラ達を照らし出す。

 ぼんやりと浮かび上がる花のシルエットが、何処か現実離れしている。


「ちょっと懐かしくない? 魔法学校でもさ、キャンプの時こうやって夜中に語り合ったよね」

「あぁ、夜な夜な半笑いでビーチダッシュしていたやつか」

「忘れろって言ってるのに!」


 いじわる、と言いたいところだが、事実不審行動を起こしたのは自分だ。


「確かに、懐かしいな。

 あの時は土砂降りの流れ星に驚かされた」

「今回は……残念、なさそうだね」

「眼、か」


 レオナルドは噴水の縁に腰を掛けると、空を見上げた。

 目映く光る星に、眼を細める。


「あの島を思い出すな」

「でしょ? あの時流れ星にお願いした事だって覚えているんだから」

「言い切ったよな、肉を三回」

「しかも叶ったし」


 ニヒヒ、と笑うステラが、数年前と重なった。



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