57,深夜の背徳
「あ、ここ……」
しばらく歩いていると、小さな厨房に辿り着いた。
窯の横に置いてあるザルの中にはいくつか野菜が入っており、完全に熟れている。
新鮮な色艶は、見ている人間の食欲を掻き立たせる。
「うー……限界……」
イライザが案内してくれた時、ここは誰でも使っていい厨房だと言っていた。
置いてある食材は何でも使ってもいいが、使い切ったものは壁に貼ってある紙に書いておくようにとの。
「生で食べたらお腹壊すし、料理するしかないかなぁ」
ジャガイモを手に取り、肩を落とす。
ステラは料理があんまり得意でなかった。
燈月草探しの時も、食事は魚を捕まえてそのまま塩焼きにするか、芋類そのまま焚火の中に突っ込んで丸ごと焼くか。味付け? 塩があればなんとでもなる。
その間、どれだけウメボシからクレームが来たことか。
レオナルドが合流したことによって、まともな食事を取れた日はちょっと泣きそうになった位だ。
「レオナルドの方が料理うまかったんだよなぁ。もう一回食べたいな」
なんだかもう懐かしい。
一緒のテントに泊まったことも、未だに実感が無い。
寝ていると思ってこっそり実行した告白、実は聞かれていて……ダメだ、今のは思い出さなかったことにしよう。
とにかく今優先すべきは己の空腹を満たすことだ。
料理下手な自分でも何か調理できないかと、頭を棚に突っ込んで材料漁っていると。
「何をしている」
「オギャ――ッ⁉」
「何を生んだ」
思いっきり頭をぶつけた。
おかげで涙目だ。
「アイタタタタタ……誰ぇ……⁉」
「凄い音がしたぞ。たんこぶになっていないか?」
頭をさすり、恨めしげに顔を上げると、悲鳴を上げそうになった。
月明かりに照らされて柔らかく輝く、金糸のような髪。
何処までも続く青空を連想させるような天色が、ステラを覗き込んでいた。
「レオナルド! なんでここに居るの⁉」
「小腹が空いたから何か作ろうと思ってきたんだが……お前もか?」
「うっ……」
カッと頬に血が登るのが分かった。
レオナルドの当たっている事は百発百中当たっている。しかし恋をする乙女の身としては、恥ずかしい。
昔ならそんなこと絶対思わなかったのに、恥じらいを感じるようになったのはステラが大人になったと言う証拠でもある。
「ほんのちょっとだよ! ちょっとだけお腹すいて……パン一切れくらいないかなーって思っただけで……」
「じゃあその手に持ってる肉の塊は何だ」
「…………」
ツッコむなって。
折角発見した豚肉の塊は、無慈悲なことにレオナルドに取り上げられてしまった。
「魔法の影響で大量の食事をウメボシと一緒に掻き込んでいたという話を聞いたぞ」
「仕方が無いじゃん、空いたものは空いたんだから……」
「だとしても夜中にこんな肉の塊なんで食べたら身体に悪い。
もう少し胃に優しいものを作ってやる」
「作ってくれるの⁉」
「知っているか? オルガナビアの街でウメボシがお前の料理に嘆いていた。魚の丸焼きや肉の丸焼き、野菜の丸焼きしか作れないってな」
「余計なことを……‼」
事実だが、何故レオナルドに言う。明日の朝ご飯はトマト一切れだけにしてやる。
「こっちに座っていろ。動くと余計に腹が空くぞ」
「そこまで窮地に追い込まれてないし! 手伝いくらい出来るよ」
料理は苦手だが、母親のラナのから野菜の下処理の基礎は教わっている。
厨房に立つレオナルドの隣に、腕まくりをして立った。
「じゃあニンジンを洗ってくれ」
「任せィ!」
手際よく海鮮類の下処理を終わらしていくレオナルドの傍ら、水をバッシャバッシャと飛ばしながら野菜の泥を落とす。
凄まじい女子力の差である。
意気揚々と野菜を洗う様子を横目で盗みしながら、レオナルドが小さく口を開いた。
「魂と賭けた決闘、凄かったな」
「な、何さ、急に……」
今はあまり触れられたくない話題だ。特にレオナルドだけには。
大きくなっていた気持ちが萎み、野菜を摩る手の勢いすら減速した。
「どうせ決闘の意味を知らなかったんだろう」
「知っていたら受けないよ」
「だろうな。
ニンジンを洗い終わったらセロリの筋を取ってくれ」
えらく淡々と調理を進めるものだ。
気まずいと思っているのはステラだけなのだろうか。
大人しく指示された通り、セロリを筋を摘まむとゆっくりと下に引っ張る。
顔色一つ変えないレオナルド。なんだか少しつまらなかった。
「知ってるなら、教えに来てくれてもよかったのに」
「俺が止めに入ったところでお前は引いたか?」
「結果は変わらなかったと思う」
「だろ?」
そこまでお見通しなのも、なんだか腹が立つ。
「勿論気がかりではあったがな。けど、ステラなら絶対勝つと思っていた」
「もし負けていたら?」
「その時は、お前をこの国から連れ出していた」
「別の拐かしが発生してるじゃん」
「じゃあゲパルと結婚するか俺と国外逃亡するか。どっちがいい?」
「私は負けない。例え双獣の誓いを使えなかったとしても、負ける未来なんてあり得ないんだから」
「そうだな、それでこそステラだ」
ちょっとだけ不満げに唇を突き出したステラを、レオナルドは目元を緩めて手元のニンジンを刻む。
驚くべきことに、レオナルドの方は殆ど処理が終わっており、後はステラのセロリの下処理待ちだった。
ひょいと横からセロリが抜き去られて、手持ち沙汰になる。
「以前の強盗事件も、双獣の誓いで制圧したんだろう?」
「気づいてたんだ」
「地上から少し見えていた。ウメボシの尻尾にしては、大きすぎたからな」
「ていうか! その強盗犯が逃げたんだってぇ⁉」
「今ドルネアートでオクターヴ団長が捜査している。兄上からも昨日手紙が来てこっちで何とかすると連絡があった。
……なぁ、この鍋に圧力かけられるか?」
「はぁ?」
レオナルドが持っていたのは、少し大きな鍋だった。
「いいけど、圧力なんか掛けてどうするの?」
「ちょっと試したいことがある。蓋も取れないようにできるか?」
「出来るけど……」
人差し指を振ると、目には見えないがその鍋に圧力がかかった。
その証拠に僅かに指が軋む。
「助かる。あとはこれを向こうで食べて待っていてくれ」
「いつの間に⁉」
ステラが夢中になってセロリの筋を剥いていた、ほんの僅かな間にサンドイッチを作っていたのだ。女子力……いや、主婦力か。
この男、本当に出来る奴だ。
ステラは洗い物をする広い背中と、目映いサンドイッチを見比べるのだった。
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