48,相見えるまで 2
そして今に至る。
ステラの身体よりもずっと大きな姿鏡。その中に一人の女が立っていた。
髪は編み込まれて花が差し込まれており、耳元には大ぶりの宝石が加工されたイヤリングが
輝いている。
オフショルダーの重いサテンドレスは腰で絞られて、スリットの入ったマーメイドライン。
砕かれたパールが胸元に仕込まれて、艶やかな光沢が光の加減で生まれる。
首に変わらず輝くチョーカーは、威嚇に威嚇を重ねてそのまま。
所々裾に宝石が鏤められており、これではまるで……
「ウェディングドレスみたい」
こんな広い部屋だというのに、やけに大きく自分の耳に独り言が届いた。
女の子なら誰だって一度は憧れるウェディングドレス。しかし婦警さんになりたいという一心で過ごしてきたステラの場合は……割愛しよう。
あれよあれよと言う間にこんなことになっていたが、質問する暇すら与えてくれなかった。
まさか自分がそれらしきドレスを着る日が来ようとは。そしてどうしろというのだ。
何処からか脱出できないかと窓の鍵を弄っていると、どうも外が騒がしいことに気が付いた。
怒鳴り声も聞こえる。
扉に耳を欹てようと近付くと、ノックも無しに開かれた。
「ステラ嬢‼」
「ステラさン‼」
「お、おおおお主‼」
「ぎゃあっ‼」
ニーナとイライザ、そして朝方散歩に出かけていて部屋にに居なかったウメボシが転がり込んできたのだ。
目を白黒させるステラの肩を、イライザはガッチリ掴むと一瞬言葉を詰まらせる。
「っ……綺麗です‼」
「あ、ありがとうございます?」
こんなドレスを急に着せられてすっかり困却していたが、自分以上に取り乱している二人と一匹を見ると返って落ち着いた。
今度はニーナが血相を変え、ステラに詰め寄る。
「なんでゲパル⁉ あなたの想い人はゲパルだったのですカ⁉」
「馬鹿な‼ あれほどレオナルドを慕っていたというのに⁉ 異国の地で出会って間もない男に乗り換えるなど! そんな尻軽女だったとは見損なったぞ‼」
「なに勝手に好きな人暴露してんの⁉」
慌ててウメボシの口を押さえ込むが、一度出た言葉は戻るはずも無い。
ワナワナと肩を振るわせたニーナが、ステラに詰め寄った。
「どういうことですカ⁉ レオナルド皇子が好きなラ、何故ゲパルを選んだのですカ⁉」
「な、なんのことですか⁉」
「確かにゲパルはセレスタンでも指折りの戦士でス! ですがその恋心を封印してゲパルの嫁になるのハッ……‼」
「待てニーナ‼」
視界がグニャリと歪んだ。
その正体は水が入ったコップだ。
イライザがニーナとステラの間に、並々と注いだ水を突き出していた。
「これを飲んで落ち着け。
ステラ嬢は、このしきたりを知らないんだ」
凄まじい剣幕に、ステラは黙ってただコクコクと頷く。
「(私、またなんかやっちまってる?)」
足元のウメボシですら神妙な面持ちだ。
不意にドルネアートから旅立つ直前に、ボードンから頂いたありがたいお言葉を思い出した。
『頼むから大人しく観光だけして帰って来い! 絶対揉め事起こすなよ!』
『わかっていますよ!』
『もし何かあったら……わかっているな?』
「(あ、終わったかも)」
〝何かあったら〟というのは、何処までなら許容範囲だろうか。
昨日のやらかし、今日のこの騒ぎ。一般常識で言えばクビだ。
いよいよ本格的に引っ越し屋家業を始めるときが近付いてきたかもしれない。
一気に水を飲み干した二人が、同時にコップを机に叩き付けた。
「……ステラ嬢。今あなたは自分が置かれている状況把握していない。そうですね?」
「そうなんです、説明お願いします!」
ここまで来るのに随分と時間がかかってしまったが、ようやく教えて貰えるのか。
落ち着いたはずの気持ちが、再びざわめき立った。
ステラは固唾を飲んで、イライザとニーナの言葉を待つ。
「昨日、ゲパルに魂を賭けた決闘を申し込まれましたね?」
「魂……あ、そういえばそんなこと言っていたような」
さっきのさっきまで頭から吹っ飛んでいた、あの喧嘩のことだ。
「魂を賭けた決闘とは、その名の通りお互いの全てを賭けた決闘なんです」
「死ぬまで戦い続けると言うことですか⁉」
「そういう意味の決闘ではありません。魂は自分自信のこと、つまり人生を賭けているのです」
「人生を賭けている……」
なんだそのまどろっこしいやつは。
言うならもっと直球に言ってくれ。
見えない話に、ステラの鼻にシワが寄った。
「せっかくの化粧が崩れまス!」
「ああっ……‼ もう、いいですか‼
魂の決闘というのは、この国のプロポーズです‼」
時が止まった。
「にゃんですってェ……⁉」
「だからプロポーズです! しかもそれを受けたという事は、八割方芳しい答えを返したのと同じ!
今からの決闘で、ステラ嬢が負ければゲパルの伴侶となるのです‼」
「知らん知らん‼ なにそれ‼」
「それも厄介なことニ、聞きつけたフェリシス様が騒ぎ立てていまス!
そのせいで各貴族や王族までも宮殿の詰めかけているんでス、今日の夕方にでも新聞が発行されて国内に知れ渡りまス!」
「…………」
「ステラ嬢?」
「ふ、ふふ……」
「わ、笑っている」
かかったベールが揺れた。
小刻みに肩が震え、グロスで色づいた艶めかしい唇が吊り上がる。
「なるほど……力でねじ伏せて奪うってやつですか」
「強い男に娶られるのが幸せだト、故人は考えていましたかラ……」
通りでウェディングドレスにしてはスリットが深めだと思った。少しでも花嫁が抗えるための良心か。
「知らなかったとはいえ、承諾してしまった。けどまだ八割ですよね? あと二割は?」
「ステラさんが勝利した場合、結婚の決定権利は移行され断ることができます。けれどこれはほぼ決まった決闘! 覆すのは不可能です‼」
「出来レースなんてまっぴら御免なんですよ」
覆われていたベールを引っ張ると、案外簡単に取れた。
履き慣れないヒールも脱ぎ、揃えて端に寄せる。
肩を回し、首を左右にコキコキ鳴らした。
「ウメボシ、行くよ」
「う、うむ……」
その頼もしい背中は、まるでリング状に立ち向かうボクサー。とてもではないが、花嫁と呼べないだろう。
何がステラをそんなに掻き立てているというのか。
トンファーを持ち、ステラは扉を潜った。
「ステラ嬢‼ 待って下さい‼」
「そうでス‼ 事情を説明すれば、まだ取り消しできるかもしれませン‼」
「いいえ、私は行きます。
行って、一発殴ってやります」
「怒る気持ちはわかりますが、ここは一度距離を置いた方が……!」
「いいえ、これは警察として行くんです」
「け、警察ですカ?」
事情を知らない婦女を欺し、無理矢理婚姻関係を結ぼうとする。
結婚詐欺。
ステラの頭に、でかく四文字が浮かびあがっていた。
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