40,行方不明につきご注意を
「帰ってきませんね」
「いやぁー、ステラがお説教をブッチするとは考えにくいかなーと……」
「わかっていますよ、カルバン先生……いえ、副団長」
大地がパッカリと割れた闘技場では、カルバンとエドガーが仁王立ちで叱るべき対象を待ち構えていた。
二人の背後に黒い炎が見えるのは、幻覚だと信じたい。
「……おじい様は帰ってこないとわかっていましたが、ステラとレオまで帰って来ないのは可笑しいですね」
「エドガー様。ゲパルがいませン」
「なんだって?」
エドガーの後ろに着いていたニーナが、視線を張り巡らせる。
その場に居るはずに隊長は一人居ない。
エドガーは深い溜め息を吐いた。
「恐らく、うちのゲパルがステラを浚ったようですね」
「……あれ、フェリシス様もいないなー?」
「なるほど。
ではカルバン副団長。誰も帰って来ないと思いますので、我々も撤収しましょうか」
「いいんですかー?」
「ええ。おそらくレオもフェリシス嬢に連れて行かれたんでしょう」
ひび割れた大地の側では、ジーベックドが多くの騎士達に指示を出していた。中にはイライザも混ざっていた。
エドガーに付き添うカルバンには一目もくれず、淡々と修復作業に当たっている。
「あー……昨日からフェリシス様、ちょっとご機嫌斜めだったんですよねー」
「おや、どうかされましたか?」
「セレスタンに来るまでの道中に、ずっと蛍が見たいと仰っていたんですよー」
「そういうことですか」
エドガーはニーナに首だけ向けると、こそっと囁いた。
「すまないが、カルバン副団長と少し話がある。しばらく二人っきりにしてもらえるか?」
「かしこまりましタ」
「ではカルバン副団長、こちらへ」
ニーナが恭しくお辞儀をすると、エドガーが柔らかく微笑んでカルバンを促した。
「…………」
遠ざかる主人の足音を聞き届けると、ニーナは頭を上げた。
「ニーナ! すまないが、あっちを手伝ってもらえないか?」
「…………」
「ニーナ?
ちょっと!」
ひび割れ修繕に着手していたイライザが、忙しなくニーナの元に走ってきた。
服の裾に土がついており、気付く余裕も無いようだ。
呼び止めるイライザに反応することなく、屋根の上に飛び上がった。
「すまなイ、ちょっと出掛けル」
「えっ⁉︎ 待てっ!」
聞く耳持たず。
割れた裂け目に興味を持つことなく、ニーナはあっという間に姿を消したのだった。
******
「どうぞ、この部屋へ」
カルバンが通されたのは、客室の一角だった。
何故二人っきりになったのかわからず。だが動揺を見せるわけにもいかない。
示された椅子に、大人しく座った。
「こんな狭い部屋ですいません」
「とんでもない! して、どうされたんですかー?」
「なに、カルバン副団長には伝えておかないとと思いまして」
カルバン自身の教師時代もエドガーとこうして二人っきりで話したことが幾度となくあった。
久しぶりの光景である。
「フェリシス嬢に蛍を見に行くのを止めたのは、父でしたね。おそらく理由を聞かされていなかったので、余計に不服に思ったのでは?」
「お見通しですよねー」
ほとほと困ったように、座ったままのカルバンは項垂れた。
いいとこ育ちのお嬢様は、蝶よ花よと育てられた宝物。
どんなわがままも聞き入れられてきた環境下にいたので、今回の蛍の件でご機嫌が斜めになったのだ。
「言葉足らずで申し訳ありません。
ですが、父も理由があって引き留めたのです。どうかご了承願いたい」
鮮やかな青の柱が並び、天井は明るいグリーンで模様が描かれている。
ラタンの飾りカゴや、貝細工。
窓際に飾られた花が甘い香りを放ち、丸い窓から透き通るような空と窓が見える。
セレスタンの魅力を余すことなく閉じ込めた一室に、カルバンの鎧は浮いていた。
「それで、なんでですー?
蛍はセレスタンの名物の一つじゃないですかー。
うちの騎士も何人か楽しみにしていたんですよー。それが見れないなんて……」
「我々としても是非見ていただきたかった。しかし、今は国全体で規制をかけています」
「前見た時、すっごい綺麗で感動したんですよねー。
で、なんで規制してるんですー?」
「……本当は他国のあなたに言うのは気が引けるのですが」
懐からキセルを取り出して、タバコを詰める。
「カルバン副団長もいかがです?」と勧めるも、首を横に振られるだけだった。
「単刀直入に言いますと、行方不明者が出ています」
「行方不明者ぁー?」
「声が大きいです!」
「あ、すんません」
思わず素頓狂な声が出てしまい、自分で自分の口を塞いだ。
しかし想像と違って、なんとも深刻な理由ではないか。
確かにそんな曰く付きの場所に、王族であるフェリシス行かせるわけにはいかない。
口から手を離し、その死んだ魚のような目を細める。
「行方不明者と蛍がどういう関係あるんですかー?」
「発覚したのは、先月からです。
蛍を見に、森へ行った観光客や地元の民が出掛けたきり、帰ってこないという報告が上がってきました。
それも、女子供ばかりです」
「女性子供ばかり……。尚更フェリシス様を行かせるわけにはいかないですねー」
「心苦しいですが、背に腹は代えられません」
苦々しげに吐露するエドガーは、キセルを乱暴に叩いた。
温厚なエドガーらしくないその様子から、中々頭を痛めているように見受ける。
カルバンは額を摩った。
「そりゃあ、セレスタンに取って一大事ですなー。何人ほど帰ってきていないんですかー?」
「現在把握している人数で十人です。最初は家出かと思って捜索願が提出されていたんですが、どうも同じ案件が多い。
そこで捜査してみたところ、全員同じ条件で行方不明になっていました。
奴隷商人の仕業かと思い、近辺に滞在していると情報が入った商会を二つほど潰しましたが、その中にも該当者はいなかった」
「あ、それ凄いですよねー。ドルネアートでもちょっとしたニュースでしたよー。
エドガー皇太子の指揮下、奴隷商会崩壊! ってー」
「そんなニュースになっていました?」
残念ながら、奴隷という違法行為は中々無くならないのだ。
それはセレスタンだけでなく、ドルネアートにも同じ事が言える。
情報が入る度、各地域の勢力が一団となって動き、その頭を叩いて奴隷を解放する。
人が生きるために人の命を売る。
そんな悲しく残酷な行為は、あってならないのだ。
「うーん……奴隷は無くなって当然ですけどー、行方不明者は何処に行ったんですかねー」
「持ち物一つも帰ってきていません。
居なくなった方の家族も心配していますし、早く見つけてあげたいと思っています」
場合によってはドルネアートからも加勢が必要だろうか。
団長であるオクターヴの顔が、これでもかと頭の前面に押し出される。顔圧がヤバい。
「とりあえず、夜は一人で出歩かせない方がいいってことですねー。
若い女性と言えば、ステラもそうかー。ま、あいつはイライザと一緒みたいだから、問題ないでしょうねー」
「イライザには僕からも言ってあります。こちらの都合で申し訳ありません」
「いやいやー。難事件ですねー。
…………あれ」
「パピヨンレターですか」
一匹の蝶が、丸い窓から部屋に舞い込んできた。
優雅に舞うその姿は、まるで本物のよう。
カルバンの指に留まると、その羽をようやく休めた。
「お話中すんません、オクターヴ団長からでしたわー」
「おや。何か緊急事態ですかね?」
「ちょっくら失礼しますー……」
異国の地にいる部下に、一体何の用だろうか。
定例報告は欠かしていないし、特に問題も起こっていないが。
カサカサと乾いた音をたてながら、パピヨンレターの折り目を解いていく。
「…………………………げぇ…………」
「凄いですね、この数秒で一気に老けましたよ」
「はははー……」
カルバンはポケットにレターを突っ込んだ。
「大丈夫ですか? 何か緊急事態では?」
「緊急……ですけれどー。はい、こっちでなんとかしますぅー……」
そう言うカルバンの顔色は紫に近かった。
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