37,猫の名前



 猫だ。


 ステラの脳内で、一瞬にて処理が完了した。


 しなやかな体躯、独特な模様、短い毛。

 見たこと無い模様で見たことないサイズだが、猫だろう。

 それももの凄く筋肉質な。


「迷子の猫?」

「お前はこれがどうやったら猫に見えるんだ。

 こいつはチーターだ」

「チーター……?」


 聞いたことはあるぞ。

 地上最速のスピードを数十秒間継続出来る最も優れたハンター、だったか。


 幼い頃、ヒルおじさんがお土産として持ってきてくれた動物図鑑を、毎夜毎夜寝る前に眺めていた。

 本は嫌いだったが、可愛いイラストが乗っている図鑑は別だったのだ。


「そう、チーターね。チーター……。




 ってアカ――――ンッ‼」

「グフッ‼」


 レオナルドにタックルが決まった。


「な、なにを……‼」

「チーターって言ったら肉食じゃん‼ 喰われるって‼」

「いや、こいつは「ガザン様ー⁉ 戻ってきて下さい‼ チーターが何処から脱走していますー‼」落ち着け‼」


 どうやらレオナルドにかましたタックルは攻撃でなく、距離を取るためのやむを得ない措置だったらしい。


 ステラは彼を担いだまま、チーターから大きく飛び退いて十分な距離を取っていた。

 その顔はまさしく人を守る婦警さんだ。


「レオナルド‼ 目を合わせちゃダメだよ‼」

「大丈夫だ‼ あいつは何も危害を加えないから下ろせ‼」

「レオナルドの言う通りだゾ。そいつは俺の使い魔だ。

 人間は襲わなイ」


 今日だけで何度聞いただろうか。


 騒ぎ立てるステラの後ろから、人影がヌッと現れた。


「ゲパルさん⁉ ダメです、こっちに来ちゃ……使い魔?」

「そうだ‼ 安心しろ、牙は剥かない‼」

「因みに名前はタマ。良い名前だロ」


 ステラも相当のネーミングセンスだが、ゲパルもドッコイドッコイだ。


 暴れるレオナルドを肩から下ろし、手摺りのチーターを観察する。


「筋肉が美しい……」

「だロ‼ チーターは太股の筋肉がたまんねェよナ!」

「初めましテ。タマでス」

「喋った‼」

「あんたンとこのウメボシ? だって喋るだろうがヨ」


 根本的なところを忘れていた。


 興味深げにタマを観察するステラの鼻先に、なにやら綺麗なシルクの布が現れた。

 乱れた息を整え、服を整えたレオナルドだ。


「で、ゲパル。何の用だ?」

「そろそろじい様との用事が終わったかと思ってナ。様子を見に来たんダ」

「そうか。それなら丁度さっき終わったところだ。

 エドガーの様子はどうだ?」

「カリカリしていたゼ。

 別に戻らなくてもいいんじゃないカ? こういう時はとんずらするのが一番だロ」

「ガザン様も同じこと言ってましたよ」


 これはエドガーの苦労が偲ばれる。

 口には出来ないが、この国は問題児ばかりか。


 羽のように舞い降りたタマの頭を、ゲパルは慣れた様子で掻き撫ぜる。


「ステラは今からどうするんダ? 戻ったところで怒られるだけだゾ。

 用事が無いなら、このあと俺が街を案内しようカ?」

「私は調べたいことがあって……」


 なんとなく。

 直ぐ側に居るレオナルドを見てしまった。

 別に悪いことしていないのに、なんか、こう……。あれ、さっきと立場が逆転しているぞ。


「いいや、これからエドガーの待っている場所に戻って説教だ」

「それはそれでやだなぁ……」

「安心しろ、顔面蒼白のカルバン副団長も後ろに控えていた。ありがたい説教が二倍だ」

「余計戻りたくないなぁ⁉」


 何が安心だ。恐怖しか待っていないじゃないか。


 ダブル説教を取るか、ゲパルととんずらするか。二択に一択。


 正義感の強いステラの、取るべき道は一つだった。


「……素直に謝りに行く……」

「それじゃあ行くぞ」

「エー……真面目ちゃン~……」


 ステラの性格をわかりきっているレオナルドには、全てお見通しだった。

 最初からエドガーの元に戻るという選択肢以外、ステラの中に存在していなかったのだ。


 差し出されたレオナルドの手を取る。


「ドルネアートの人間は素直だナ。こっちの人間は大抵こういう場合に出くわすと逃げるゾ」

「それはお前とガザン翁だけだろう」

「やっぱり? イライザさんとかエドガー師範なら絶対ドロンしないと思う」

「ヤー? あいつらは特別真面目ダ。この国の人間はこういう傾向が強いと思うゾ。

 そうだナ、現国王もきっとこういう時は逃げるナ」

「それいいんですか?」


 前国王と現国王が揃いも揃って……。口に出すと不敬になるので、もちろん心の中で零す。


「早くここから出るぞ。居住区に王族以外の人間が立ち入ることは禁止されている」

「ん? じゃあなんでゲパルさんここに入ってるんですか?」


 ガザンに連れて来られたステラとレオナルドはまだしも、彼はここに呼ばれていないはず。

 そんな疑問に、ゲパルはあっけからんと回答を寄越した。


「各隊長は緊急事態時のミ、王族の居住区に立ち入ることが許されていル」

「今緊急事態じゃないですよ」

「緊急事態ダ」


 腰の辺りでゴロゴロと喉を鳴らす相棒を示す。


 まさか。


「肉食獣の相棒が逃げ出しタ。第三者を傷付ける前に確保しに来ただけダ」

「という作戦か」

「使い魔に危険も何も無いですよ!」


 そもそも人語を解し、契約を結んでいる動物がそんな行動を取るものか。

 ステラはゲパルを指さした。


「隊長さんなのに悪い人ですね! イライザさんとエドガー師範に怒られますよ⁉」

「もう諦められてるからナ。手遅れダ」

「改心の予定は無しですか⁉」


 なんという自由度の高さだ。


 カルチャーショックを受けながら居住区から出ると、ステラの鼻に強く甘い香りが掠めた。

 花でも果物でも無い、人工的な香り。


 思わずくしゃみが出そうになる。


「レオ様。こんなところにいましたの?」


  数年前、アルローデン魔法学校に入学した頃を思い出した。

 あの頃は自然の匂いしか知らなかったので、貴族の同級生が愛用していた香水が苦手だった。


 数ヶ月すれば慣れたが、ウメボシは未だに苦手としている。

 それにエドガー主催のキャンプでも、エルミラが付けていた香水で熊が反応してしまった等少々苦い思い出もある。


 今となっては過去の話だが、エルミラは極力忘れたいようだ。


「フェリシス? こんなところでどうした」

「レオ様を迎えに参りましたの。ガザン様に連れて行かれるのを見ておりましたので、この辺りにいらっしゃるかと思って」


 プラチナブロンドの髪を靡かせ、後ろにメイドを侍らすフェリシアが天使のような笑みを讃てレオナルドに歩み寄った。

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