27,歓迎会 3
「おはよう、レオ」
「……あぁ、エドガーか。おはよう」
同刻。
ステラとガザンが殴り合っている場所から少し離れた離宮するの一室で、レオナルドが窓辺に座り黄昏れていた。
その凝った意匠の部屋は、それなりの身分でなければ入ることを許されない。
王国騎士団として任務で来国したと言うのに、その身に纏うのは上質の絹の衣装。
光沢があり、掘り出しの呪文がある。
窓から差し込む朝日エフェクトもあり、レオナルドを神秘的に輝かせている。
そう。レオナルドはこの国に騎士としてではなく、王族として向かえ入れられたのだ。
「あいつは?」
「あいつって?」
「ステラのことだ。この宮殿にいるのか?」
伸びた襟足を緩く括り、気だるげな様子のエドガーが近くの椅子に腰かけた。
この様子からして、恐らく酒でも残っているのだろう。
「イライザの部屋に泊まっているよ」
「そうか」
会話終了。
心ここに在らずとはまさにこのこと。
こんな姿をもしステラに見られたら、
「なんで囚われの姫様ごっこしてるのさ」
と揶揄されそうだ。
そんな様子を横目に、エドガーは懐からキセルを取り出した。
「気になるなら会いに行けばいいじゃないか。まだ朝も早いよ、きっとこの近くにいる」
「……どんな顔をして会えばいいか、わからない」
「あっそ」
そっけない返事に、レオナルドは指一つ動かさない。
朝は弱くない方だが、どうにも慣れない空気も手伝っているようで頭が回らない。
刻み煙草を丸める姿を見ながら、窓際に肘を付く。
「我ながら女々しいとは思っている」
「本当だ。僕もびっくりだよ。
フェリシス譲と一緒にいるところ見られただけだろ。別にやましい事は何もしていない」
だが傷付いていた。
この数年間、誰よりもステラのことを見ていたレオナルドにはすぐにわかった。
階段の下から自分を見上げるあの視線に、僅かな悲しみが含まれていた。
直接言われたわけではないが、ステラの気持ちをわかっている。
だからこそ、フェリシスをエスコートした自分がステラを傷付けたと確信したのだ。
「ドルネアート城の庭で掌底喰らってたけど。あの時には振られていたの?」
「あの時はただ気持ちを伝えただけだ。そしたら何故か掌底が飛んできた」
「君達って本当に色気無いよね」
「なんとでも言え」
重々承知の上である。
雁首に刻み煙草を詰めるエドガーの顔は、何の表情も浮かんでいなかった。
「じゃあ何? 君達は今どういう関係?」
「逆に俺が聞きたいくらいだ」
「中途半端だね」
ふと顔を上げた。
違和感があるのは慣れていない空気のせい?
キセルを咥えるエドガーは、一口煙を吸った。
「じゃあこんなところでいじけてないで、さっさとステラに気持ちを聞きに行きなよ」
「俺だって何回も話そうとした。けれど「けれど? ステラが逃げるって?」」
語調を強めた声が、レオナルドの声に圧し掛かる。
「レオがステラのことを特別視していることは、前々から気付いていたよ。
でも相手はあのステラだよ? 向こうの気持ちの整理が付いていないのに急に手を出すなんて無謀すぎるよ。パニックになった彼女がどんな反応するか、君なら大体予想付くでしょ。
そんなんじゃ逃げられる一方だ」
正論に何も返す言葉が無い。
誰よりも鈍くて、そういった感情が苦手分野だとわかっていたつもりだった。
だが予想外過ぎる。
もう一口煙を吸うエドガーの姿を見て、レオナルドは違和感の正体に気が付いた。
「お前、もしかして怒っているのか?」
「逆に怒らないと思う?」
あの温厚で優しいエドガーが、イラついたように足を組み直した。
昔からどんな悪戯をされても、笑って許してくれる大人な人物だった。
そんな彼を、いったい何が神経を逆なでしてしるのだろうか。
「師範と呼んで慕ってくれる可愛い弟子に変な虫が付きかかってるんだよ?
師として面白くないに決まってるじゃないか」
「俺が犯人か」
「はぁ?」
機嫌が悪かろうと何だろうと、エスニックな煙をくゆらすセレスタン国の皇太子はどこかミステリアスだ。
ステラと母親違いのとはいえ、彼は事実上の兄。
そのことを知っている人物は、この世で一体何人いるのだろうか。
もし目の前の人物がステラの正体を知っていれば、その芸術のような整った顔からこの比でない罵詈雑言を浴びせられたのだろう。
妹と全く似ていない。皇太子からレオナルドは目を逸した。
「生半可な事は許さないよ。
王族を抜けるということは、それなりの覚悟が必要なんだ。
お優しいドルネアート王とアーデルハイト王妃はきっと君の我儘を許してくださるだろうね。
けど、その後は王族という後ろ盾を失うことになる」
普段は優しげな目が厳しくレオナルドを射抜く。
その言葉の節々に重みが感じられ、覚悟を決めていたはずの心が試される。
だが、レオナルドの決心は揺るがない。
「お前が心配してくれていることも、この先の道が険しいこともわかっている」
もちろん、籍を抜いた後に自分が世間からどんな目で見られるかも、全てを受け止める覚悟だって出来ていた。
それでも、レオナルドはステラと生きる道を取ったのだ。
「もう王国騎士団じゃいられないよ?」
「そうだな」
「王族じゃなくなった君は、誰からも相手にされないかもしれない」
「そうか。なら田舎にでも引っ越すか」
「もしステラとの間に子供ができたら? 養うだけの収入が得られるのかい?」
「その時は皿洗いても掃除夫でも何でもしよう」
「君が病気になって先に死んだら、ステラをどうする気?」
「その時は、」
言い出そうと思った言葉が途切れた。
もし自分の方が早く死ぬなら、ステラは泣いてくれるだろうか? 最後の最後までこの手を握っていてくれるだろうか?
もし、そうだとするならば。
「これとない幸せだな」
「は? 誰が幸せを想像しろなんて言った?」
煙管から煙を吸おうとしていたエドガーの動きが止まった。
当然だ。皇太子として諫めているというのに、何でいきなり幸せを語られるのか。
「死ぬ直前まで視界に入ってるのあいつの顔なら、俺はなんだっていい」
「いやそうじゃなくて……。
~っ‼ あぁっ‼ もう‼」
上物であろうキセルの雁首を乱暴に灰皿へ叩きつけた。
そのままキセルを打ち捨てるように机へ置くと、乱暴に頭を掻く。
「誰がもしも話をしてるんだ! 僕は君のそんな幸せそうな顔を見るためにこんな質問してるんじゃないよ!」
「そうだったのか。てっきり幸せな未来を想像させてくれているのかと」
「君は本当に逞しくなったね⁉」
「ならステラのおかげだな」
自分の人生に大きな影響を与えてくれた光。
その光を曇らせたままにしておけない。
尻に生えた根を断ち切るように、椅子から腰を上げた。
「探しに行ってくる」
「はいはい」
自分はいつも行動が遅い。
燈月草の時だってそうだ。なんでもっと早く会いに行かなかったのだ。
後悔はしたくないと、あの手を離したくないと願ったのは自分なのに。
ズゥン…………‼
「わ、地震かな⁉」
「近いな」
内心舌打ちをする。
なんというタイミング。
二次災害にならぬよう、エドガーがタバコの火に水を注ぐ。するとドアがノックされた・
「エドガー様! ご無事ですカ⁉」
「僕達は何も問題ない。宮殿の皆は無事か?」
この声はニーナだ。
すぐに扉が開かれ、そのピンクの頭がエドガー越しに見える。
「今のところ怪我人は出ていませン。今からイライザ達が震源地へ向かいまス」
「わかった。なら僕もすぐに着替えて行こう」
「エドガー、俺が行く」
壁に立てかけてあった剣を取り、腰に帯刀した。
その姿を見て、エドガーが目を僅かに見開く。
「ステラの所に行ってあげないの?」
「行きたいのが本音だ。
けどこんな地震で泣くほど、あいつは柔な女じゃない」
それに、と付け足してその上質なガウンを脱ぎ捨てた。
「国民が不安になっている所を放ってステラに会いに行ったら、今度はバックドロップをお見舞いされそうだからな」
「違いないね」
エドガーの目からは、すっかり厳しい光が消えていた。
その先に居るのは王国騎士団としてのレオナルド。王子でも無く一人の男でも無く、使命を背負った一人の人間だ。
「頼りになるよ。うん、ドルネアートにいられなくなったら二人ともセレスタンにおいで。
職なら紹介できるよ」
「要相談だな」
「何の話ですカ」
ただ一人、ニーナだけが首を傾げていた。
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