9,トラウマだけれど美しい



 目の前に広がるのは、学生時代の無人島でのキャンプ以来の海だ。

 泳げないステラにとって天敵であるが、母なる海は「そんなこと関係ねェよ」と言わんばかりに青く輝いている。


 王都もアルローデンは内陸だが、ドルネアート国とて海に面している部分もある。


 落ちないように少し離れた場所から、その輝きを見つめてみる。




「(広い、綺麗……怖い……)」




 どうしてもオネエさんに突き落とされた湖を思い出してしまうのだ。


 アルローデン警察署へ戻った後、過去のものから近辺の指名手配書を漁った。

 しかしあの風貌に当てはまる人物はおらず、自分の記憶違いかと疑い始めたくらいだ。


 オゼンヴィルド家の事件も聞かせてもらえなければ、自分が巻き込まれた事件の主犯も捕らえられない。

 自分はなんと無力なのだろうか。


「(……ダメだ、折角の旅行なのに!)」


ステラは広大なる海に浮かぶ船を見上げた。


 今日からしばらく、この国を離れることになる。

 オゼンヴィルド家の事件は王国騎士団が、オネエさんは警察が探してくれている。


 本音はこんな時に旅行なんて……と、引っかかる部分もある。

 だが目を付けられないよう、大人しく休暇を消化するしかないのだ。


「こんにちは、お嬢さん。今から乗船かい? もう入れるよ!」

「いえ……まだ連れが来ていなくて。まだ乗船時間は大丈夫ですか?」


苦笑いしながら、二枚のチケットを取り出してみせる。

突然だというのに、快く同行の依頼を引き受けてくれた人物の分だ。


そう、今回の旅行はステラ一人のものだけでない。


「そうか、まだ時間ならあるからな。日に焼けないように気をつけろよ」


何とも乙女心分かっている船員だ。


ガンガンに焼けた腕で、ステラに向けて手をひらひらと降り中に入って行く。


「(本当に半袖でいいのかな)」


 薄い羽織をつまみ、下の半袖に心許なく思う。

 セレスタンは常夏の国と呼ばれるほど太陽に恵まれた国。


 先日ヴォルから聞いた情報を頼りに服を用意はしたものの、ドルネアート国の気候に慣れすぎているステラにこの時期の服選びとして違和感がある。


 ステラの鞄の中に詰め込まれた服の殆どが、半袖のものだった。


「ステラ!」


 今からでも長袖を買ってくるべきだろうか、と海を眺めていると、背中につい最近聞いたばかりの声が飛んできた。


「ごめんね! 待った?」

「大丈夫、まだ時間は余裕があるよ!



 お母さん!」


 こんな急な誘いに乗ってくれる身近な人物は、一人しかいなかった。


 ステラより大きな荷物を抱えた母、ラナが嬉しそうに顔を綻ばせてステラの後ろに立っていたのだ。


「まさかステラとセレスタンに行ける日が来るなんて! 頑張って燈月草を探して休みを貯めておいた甲斐があったわね!」

「貯めていたわけじゃないけど……」


 小憎たらしいルカの姿が頭に浮かぶ。

 しゃらくせェ! と掻き消して、ラナの荷物を持ち上げた。


「ここに来るまで大変だったのよ。馬車がぬかるみにはまって、もう間に合わないかと思ったわ」

「軽い事故じゃん! よく来れたね!?」

「偶然通りかかった荷馬車をヒッチハイクしたわ」

「逞しすぎか」


 流石ステラの母親である。


 ポケットから再び取り出したチケットをラナに渡すと、二人は陸と海を繋ぐ橋に足をかけた。

 徐々に近づく豪華な客船に、胸が高鳴る。


「二人お願いします」

「はいよ、セレスタンまでの船旅、楽しんでくれよ!」

「ありがとうございます!」


人生初の船旅が、始まった。




 ******




「ま、眩しい……!」

「煌びやかね、まるでパーティーみたい!」


 子供のようにはしゃぐラナの横で、ステラは目を細めた。


 これが船?

 城の一角を海に浮かべたんじゃないのか?

 金持ちの考えることはわからない……。


 入口に飾ってある、よく言えば系術的、ステラに言わせると子供の粘度細工みたいな置物をジト目で見下ろす。


「レストランを好きに利用していいみたい、希望があるならケータリングもオッケーですって! でも本当に大丈夫なの? こんな高そうな船……」

「お金の面なら大丈夫!」


 急に陰ったラナの声に、ステラは慌てて声を上げた。


 ラナが心配するのも当然だった。

 この船はアルローデンの中でも指折りの豪華客船でもあり、新入社員であるステラがここまでお金を持っているはずがないからだ。


 ラナの心配をよそに、ニヤリと笑ってみせる。


「大丈夫だよ、ちゃんと出費者は捕まえてあるから」

「その出費者ってまさか」


 鞄から一通の封筒を取り出した。

ペーパーナイフで丁寧に切られた出入り口から、一枚の紙を取り出して差し出す。


「ヒルおじさんに相談したらね、この船のチケットとホテルのチケット送ってくれたんだ! おじさんも出すから、お母さんを労わってやりなさいって!」


 といいつつ、ほぼヒルおじさん持ちだ。


 今回の旅行は親孝行を兼ねた旅でもある。

 村の外に出たステラは、ラナに会う機会がめっきり少なくなっていた。


 会える時間は少なくなったが、使えるお金は今後増える予定。

 なので、ヒルおじさんには今後少しずつお金を返していく予定である。


 親孝行も兼ねたこの旅行は、女手一つでここまで育ててくれた母に少しでも楽しんで欲しいという思いからだった。

 そういうわけで、今回ばかりはお金の面で心配はさせたくない。


「あの人は本当にステラに甘いんだから……」

「まぁまぁ! とりあえず旅行を楽しもうよ!」


 ラナから手紙を返してもらい、半ば呆れつつある背中を押してパーティー会場のような船内を横断する。

 後ろ手でヒルおじさんの手紙を、鞄に押し込んだ。


「そうね、今は楽しまないと! ヒルさんにはまた別の形でお礼をしましょ!」

「そうだよ! ハイジ先生にも沢山お土産買って、あとリタとエルミラにも沢山お菓子を送って……!」


 海を渡って別の国に行くのは、人生初めてだ。


 指折り楽しみを数え、階段を上がっていくと一面の海が窓から輝いていた。


「ここから外に出れるのね」


 ラナは引き寄せられるように扉に手をかけた。

 娘のステラから見ても、いつもよりはしゃいでいる。


「(提案してよかった……)」


 始まったばかりだというのに、満足感が心を満たす。


 解き放たれた扉から入ってくる潮風に、全身を包まれる。


「綺麗ね……こんな海、久しぶりに見たわ」

「落ちたらダメだよ、お母さん」

「落ちないわよ! ……そういえばステラは結局泳げないままだものね」

「もし海難事故にあったら浮くしから大丈夫だよ」


 もちろん水面にではなく空中に、だ。


 出港の汽笛を聞きながら、人生初船旅の幕が開けた。

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