48,掴めない正体



 久しぶり会った愛弟子は、最後に会った時より一回りも二回りも大きくなったように見えた。

 婦警として辛く厳しい日々を過ごし、荒波に揉まれて逞しくなった姿は師と慕われる者として誇らしく思う。


「(レオも、大人になっていたな)」


 思春期を迎えてからというものの、一向にルカと向き合おうとしなかったレオナルド。

 ルカから聞くには、嫌々ながらも最近では目を見て話せるまで成長したとか。


 酷い時は同じ空間に居たくないとまで言い出した姿を知っているエドガーから見れば、今の状況は随分と好転しているように見えたのだ。


 おそらく、今回の件で大幅に退陣しただろうが。




 エドガーは未だにむせび泣いているであろう、ルカが待ち受ける部屋のドアノブを握った。



「ルカ……何をしているんだい?」

「エドガー⁉ 大変だっ! あの怪力ゴリラ女狐がレオに掌底をっ‼」

「安心してくだせぇ、ゼロ距離でまともに喰らってるように見えますが寸前で防御魔法をかけたみたいですぜ。ほら、立ち上がった」

「ゆ、許さない……僕の大切な大切な大切な大切な大切な大切なレオに‼」

「あの一瞬で嬢ちゃんの掌底を見極めるとは……また腕を上げたな」

「流石レオ! あんな怪力女の手の内はわかっていたってことですね!」

「それでもあの距離吹っ飛んだんですから、掌底の威力も半端ないでしょうな」


 こっちはこっちで問題だ。


 後ろ手で扉を閉めると、エドガーは見るからに高そうなソファーに背中を預けた。


「ルカ、そろそろ君も大人になるべきじゃないか?」

「僕はずっと大人だ、レオのことを除いては!」

「うん、そのレオの部分を言っているんだけどね。ドルネアート王もアーデルハイド王妃も随分困っているみたいじゃないか」

「お二人には感謝しているよ、レオという宝をこの世に産み落としてくれたのだから」


 ダメだこりゃ。

 オクターヴが力無くエドガーに笑いかけた。

 その顔は実年齢よりも老けて見えるのだが、苦労が絶えないオクターヴをいじる気は起こらなかった。


「なんで掌底なんて繰り出したんだい?」

「ふんっ! あんな怪力娘の考えることなんて、わかるものか!」

「なにやらレオ坊っちゃんが近付いたら掌底をかましたように見えましたな」


 いくつかの憶測が頭を過るが、それを口に出すのはよしておこう。

 ルカが血の雨を降らせる予感がする。


「あいつ! レオに掌底かました挙げ句逃走している!」

「もう放っておきなよ、そっちもその内決着がつくよ」

「僕が着けてやる!」

「どうやってつけるんだい……」


 ステラも厄介な人物に芽をつけられたものだ。

 ここから姿を見ることは出来ないが、まだ近隣にいるであろう愛弟子に同情の念を送った。


「ほら、君もこっちに座って。僕達が話せる時間も少なくなってるんだ」

「ルカ坊っちゃん、仕事ですよ」

「グスッ……あの女……!」


 ここからは切り替えてもらわなければ、こちらとて困る。

 オクターヴは窓に張り付いていた主を引き剥がすと、同じように豪奢なソファーの上にルカを座らせた。


 紛いにも成人男性の受ける扱いでは無いだろうが、エドガーにはただ温い微笑みを浮かべるしか出来なかった。




「さて、ルカにも報告が上がっているかもしれないけれど、クロノスの木に異変が現れた」

「あの枯れ葉が浮いているという?」

「そう。ここ半年前まではそれだけだった。


 けど、セレスタンの東にある、尤もクロノスの木に近い離島が異常気象で干魃被害に遭った」


 エドガーの低い声を聞くと、ルカの目に光が宿った。


「此度の天災による甚大な被害、また被災された方々へ心よりお見舞い申し上げますととともに、被災された土地に一日も早く、より良い復興がなされることをお祈り申し上げます」

「お心遣い痛み入ります。島民は既に本土に移動させたため、幸いにも人命の被害は出ておりません」

「しかしその土地を故郷と呼び、その地の水で生きてきた島民にとって安寧の地を奪われた。彼らにとって今回のことは身を引き裂かれるような出来事でしょう」


 ルカはその頭を下げ、オクターヴも共に腰を折る。

 その姿は、先程まで泣いていたとは思えない皇太子としての姿であった。


「……今回被害にあった島は、とても水が豊かな場所でね。本土からかけ離れた場所にあって、観光目的で訪ねる人も多かったんだ」

「水が豊かということは、雨も多い筈。何か予兆はあったのかな?」

「それが、何もなかったんだ。ある日突然雨が降らないことに島民が気付き、あれよあれよと言う間に土地が干上がった。本当に、僅か数日の出来事だったよ」


 その間にも島の保存水は無くなり、それでも我が故郷を守らんと最後まで残ろうとした島民。

 美しかった島は砂漠となり、生きる光の太陽が凶器になる。

 動物は死に絶え、育んだ野菜が枯れる。色鮮やかに踊っていた花も消え、人の笑い声もまるで遠い過去のよう。


 エドガーの話を聞くだけで、ルカは耳を塞ぎたくなるような気持ちだった。


「発覚したのは一ヵ月程前なんだ。島民の移住を含め、ようやく生活の基盤が固まったかというくらいかな」

「一番の問題は島民の心だね。さぞかし辛い思いをしているだろう」

「そこのケアが一番重要だからね、父も気を遣っているよ」


 苦々しげに語られる数々は悲惨なものだ。

 同じ立場の人間として、ルカはエドガーに労りの言葉と物資資源の申し出をするくらいしか出来ないことを悔しく思う。


「このことは後でドルネアート王にも報告するよ。いつまでも伏せておくわけにはいかないからね」

「そうだね……あぁ、僕も父上に報告があったんだ。一緒に行くよ」


 ルカはポケットから小さな袋を取り出すと、エドガーに見えるよう掲げた。


「それは?」

「手紙に書いた件だよ。我が国のオゼンウィルド家を襲った、謎の人形の残していった鉄粉さ」


 エドガーの顔にあからさまな嫌悪感が現れた。


 その袋に入った、僅かな銀色の粉は鉄粉。

 ルカの瞳に、温度は感じられなかった。


「この鉄粉、ネブライのものだってさ」

「ネブライ、か……」

「鉄の生産はこの大陸一。留学してみてわかったけど、出荷量も相当なものだよ。

 それだけ大量に国外に出していたら、誰だって簡単にネブライの鉄を手に入れることができる」

「難しいね。下手にネブライの名を出せば国際問題になり得る。ドルネアート王も判断に困るだろうね」

「平和主義を掲げるネブライ王だから、戦争にはならないよ。けれどこの国の魔法をもってしても分析出来ないなんて……」


 唇を噛み締めるルカを、エドガーはこっそり盗み見る。


「(レオさえ絡まなかったら完璧なのにな……)」


 人とはそうそう上手く作られていないものである。

 神様とは残酷だ。


「なんとしても捕まえたいんだけど、鉄の産地だけじゃどうにもならないな。父上も母上もさぞかし肩を落とすだろうな」

「……その件、ステラとレオも絡んでいたんだっけ?」

「奇しくも、ね。


 そういえば銀髪の男がどうとか言っていなかった?」

「言っておりましたな。なにやら突き落とされて殺されかけたとか」


 後ろに控えるオクターヴがルカの後ろ手で伏し目がちに口を開く。


 エドガーはついさっき教えて貰った情報を、頭の中で一つにまとめあげた。


「銀髪の長髪で口紅が特徴的。ステラが言うには、主の命であの地に赴いたらしい」

「……一応覚えておくよ。それらしき人物がいたらこっちもそれなりの対応をするように努める」


 ルカがオクターヴを一瞥すると、彼は頭を下げて部屋から退室していった。

 

「銀髪って珍しいよね。セレスタンでは見たことが無いな。ドルネアートも系統が違うだろう?」

「僕も見たことが無いけれど……」


 ルカの目が細く開かれた。




「ネブライで、たまにいるとは聞くね」



 鏤められた不穏なピースの正体が掴めぬまま、日が暮れる。


 ルカの机の上に置かれた燈月草だけが、何も知らない無垢な光を讃えていた。

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