45,重い愛


「な、泣いた……え、王族を抜ける⁉」


 情報が渋滞している。

 混乱してきたステラに、レオナルドは容赦なく事実を突きつけた。


「そうだ。前々から話は進めていた」

「お前のせいだ、ちんちくりん!」

「(口悪っ!)」


 先程から随分な言いようである。

 しかし涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で、その上床を拳で叩き付けている。そんな姿を見せつけられれば、いくらステラと言えど怒るに怒れない。というか、なんと声を掛ければ良いのか分からない。


「これ、どうしたらいいんですか……?」

「どうもこうも……」

「そこッ‼ 何を二人でコソコソしているんだ⁉」

「ヒィッ⁉」


 発破を掛けた張本人のエドガーに助言を求めるも、ありがたいお言葉を頂戴する前にぶった切られた。

 充血して真っ赤な目に睨まれると、言葉が奥に引っ込む。


「レオはねぇ‼ それはそれはとても可愛かった! 小さな頃は何をするにしても「兄上、兄上」と後追い! まるで生まれたての子犬のよう、いいや! 子犬よりも遙かに可愛かった! 母上より僕、父親より僕! 生クリームを頬に付けて無邪気に笑うレオを見たことがあるかい? 転んで膝から血を流し、痛みを我慢しながら涙を堪える姿は? 痛みが飛んで行く子供欺しの呪文で、「痛いのが何処かに飛んでいった」と思い込む、その純粋な心! 剣術の大会で優勝し、誇らしげにはにかむ愛おしい顔はまさしく天使‼ 絵を描かせれば絵描きも真っ青になり、バイオリンを渡せばファーのような上質な音を奏でる、天に万物を与えられた特別な存在‼」


 めっちゃ語る。

 なんだこれ。なんか思っていたのと違うぞ。

 

 ステラが口を出すことは許されず、何故かレオナルドの自慢話が延々と続く。

 いい加減止めろよ、とオクターヴに向けて首を捻るが無駄だった。


 厳つい彼の視線は、細やかなモザイクタイルで模様を描いた壁に釘付けだ。

 そして小さく口が動いている。


「(タイルを数えている……⁉)」


 これ、現実逃避だ。


 学生時代に試験勉強に追い詰められたステラは頭がはち切れそうになったことが何度もある。

 その度にしなくてもいい部屋の掃除を始めたり、天井の木目を数えたくなったりと現実逃避を重ねていた。


 つまり、オクターヴは考えることを破棄したのだ。


「師範、これいつまで続くんでしょうか」

「ごめん、余計な事を言ったね。ずっと気になっていたから良い機会かなって思ったんだけど、タイミングを間違えたかな」


 そんなことないですよ、とは言えなかった。


「これは……つまりルカ皇太子はレオナルドのことが好きで好きで仕方が無いと言うことで……?」

「うん。多分だけど、レオをステラに取られるって思ったんだと思うよ。それでステラを遠くに追いやって、物理的に引き離そうとしたんだ。

 まぁ、結局レオが追いかけて行っちゃったから、作戦は失敗だったけどね」

「なんじゃそれ……」


 そう、この任務は只の嫉妬から始まったのだ。

 頼れる婦警さんだから託したとか、関係無い。


 思わず座り込みそうになる所を、横からレオナルドに支えられた。


「だから言っただろう、何を言っても無駄だってな」

「少しは話し合いが出来るくらい落ち着いたと思っていたんだけど、完全に拗らせてるね」

「拗らせすぎじゃないですか?」

「僕も吃驚したよ」


 一番吃驚しているのはステラである。


 レオナルドは頭を乱暴に掻くと、大きな溜め息を付いた。


「どうすればよかったんだか……成長しても鬱陶しい。学生時代、寮に入れたことがどれだけ嬉しかったか」

「(あ、そういえば)」


 昔、レオナルドに何故城から通わないのかと、問うたことがある。

 事情があるとかなんとか誤魔化されて終わったが、このことだったのか。

 数年越しの解答を得られて、妙に納得した。


「寮に群がる女をどれだけ払ってきたと⁉ 卒業試験を見たときから嫌な予感はしていたんだ‼ お前が現れてからレオが可笑しくなった‼」

「お言葉ですが、レオナルドは何も可笑しくなってなんか、」

「お前がレオを呼び捨てにするな‼」


 とうとう床に突っ伏してむせび泣き始めた。

 余程レオナルドの王族脱籍宣言が効いたらしい。


「ほら、レオナルドが王族抜けるなんて変なこと言うから……」

「本当のことだ」

「それ私が聞いてもいい話なの?」


 めちゃくちゃ機密内容な気がする。

 そして疲れた、もう寝たい。


 収拾の付かなくなってきたところで、壁に向かって数字を唱えていたオクターヴがポケットに手を突っ込んだ。


「ようやく落ち着いて来たか」

「今回は長かったですね。兄上の発作、年々酷くなっていませんか?」

「発作って……。ま、まぁ嫌われるよりいいじゃないか?」

「この年でここまで弟に引っ付こうとするのも問題ですよ」

「オクターヴ団長の言う通りだよ。兄弟仲が悪いと国を巻き込んで戦争になることだってあるんだ。君達の仲の良さは、この国の安泰を表しているようなものだよ」

「おいエドガー。この状況を見てどの部分が仲が良いんだ? その綺麗な目は節穴なのか?」


 オクターヴはポケットから一枚のハンカチを取り出すと、ルカに顔に持っていく。

 その手つきは、やけに慣れているように見える。


「ルカが落ち着くまで別室に行こうか?」

「日を改める。こうなると、しばらく話せないからな。それに今夜の宿をまだ取っていないから、直ぐにでも下町に行く必要がある」

「ここが君の実家なのに?」

「兄上が部屋まで押しかけてくるだろう」

「違いない」

「こんな扱いでいいの……?」


 仮にも皇太子じゃないのか。


 さっさと見限って歩き出す二人の後を、気にしながらも置いて行かれないようにくっついた。


「女狐‼ 僕はお前のこと認めないからなー‼」

「落ち着いて下させぇ‼」


 ドアが閉まるか閉まらない瀬戸際。


 オクターヴに押さえ込まれながら暴れる我が国の時期国王が見えた。

 ステラとルカの目が一瞬合い、ポロリと声が漏れた。





「ブラコンじゃん……」


 その呟きは、重厚な扉が只の空気の振動として吸収したのだった。


 

 

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