44,宣言


「失礼します」


 ステラの心臓が口から出そうなほど跳ねる。

 やっと任務から解放されるのだという喜びと、命を狙った犯人であろうルカに会うとこの恐怖。


 オクターヴが中に入ると、ルカは奥の椅子に座っていた。


 そしてなにより驚いたのは、学生時代ぶりに見る同色の頭がルカの隣に座っていたことだ。


「エドガー師範⁉」

「ステラ! よかった無事だったのか!」


 彼と会うのは卒業式以来だ。

 それ以降手紙のやり取りを続けていたとはいえ、こうして相まみえることは叶わなかった。

 そして任務中、ひたすらエドガーからの手紙を拒否し続けていたという罪悪感から、ステラの足が躊躇する。


 そんな気持ちを知ってか知らずが、レオナルドはステラの背中に手を添えた。


「ステラ、燈月草を。そのために来たんだろう」

「そ、そうだね」


 そう、エドガーに動揺していては事が進まない。


 ステラは一つ深呼吸をすると、錆びたブリキの玩具如くぎこちなく足を前に出した。

 そして両手に持った小さな瓶を、ルカに差し出す。


「ルカ皇太子。ご所望されました燈月草をお持ちしました。どうぞお納めください」

「そんなもの、本当にあったんだ」


 お前が見たいって言ったんだろうが。


 突き刺さるエドガーの視線を肌で感じ、半ば強引にルカへ瓶を押し付けた。

 揺れる燈月草はその輝きを忘れることなく、生命の神秘を思わせる。


 手から瓶が離れると、腰に誰かの腕が回されて身体が後ろに引かれた。

 こんなことするのは一人しかいない。


「レオ、何を、」

「黙っていろエドガー」


 抵抗する暇もなく、ステラの華奢な身体はレオナルドの腕の中に収まった。

 驚くべきことに、その右手には剣が握られており、迷うことなくその切っ先をルカに向けられていた。


「レオ坊っちゃん! それは謀反だ、今すぐ下ろせ!」

「あなたもあなただ、師匠。いくら兄上の頼みといえど、今回のことは度が過ぎる。何故止めなかった?」


 顔色ひとつ変えないルカ。眉ひとつ動かさず、その鋭い光の向こうのレオナルドを見下ろす。

 尚、一番顔色が悪いのはステラである。


「まずいよ、それはやりすぎだよ……!」

「お前は自分何をされたかわかっているのか?」

「耳元で喋らないでっ⁉」


 忘れるものか。

 命を危険にさらされたことに対し、もちろん怒りはある。

 だがルカやエドガー、オクターヴの前で抱き締めるのはやめて欲しい。切実に。

 羞恥と恐怖が入り交じった、人生で中々経験することのない感情である。


「随分な挨拶だね」

「心当たりはあるでしょう」


 痛いほど張り詰めた空気がステラの肌を刺す。

 それより早く離せ、その後尋問してくれ。


 一番の被害者である筈のステラが、一番居たたまれない。


「あの銀髪の男。あれはあなたがステラに向けた刺客だ」

「銀髪?」


 今まで動かなかったルカの眉が、僅かに上がった。

 視線だけオクターヴに動かすも、彼もまた緩く首を振るばかり。


「身に覚えがないなぁ」

「ふざけるな‼」


 予期せぬ怒号に、ステラの肩が跳ねた。


「(めっちゃ怒ってる……!)」


 常に冷静なレオナルドがここまで怒るのは、付き合いが長いステラでも過去数回しか見たことが無い。

 口を出すに出せない状況で、困り果てるステラ。

 エドガーが制止に入ろうと足を踏み出すが、レオナルドは構わず言葉を続ける。


「あなたは泳げないステラを、突き落として殺すよう命じた。そして証拠を残さないように逃亡魔法で逃げるよう指示を出した!」

「……? 本当に何を言ってるのかな?」

「どこまでシラを切るつもりですか‼」

「(ルカ皇太子、困ってる……?)」


 興奮しているレオナルドは気付いていないが、ルカの目には困惑の色が浮かんでいる。

 共犯のオクターヴへ時折視線を移すが、何も変わらない。


 可笑しい。


 ステラはレオナルドの腕を掴んだ。


「待って!」


 剣を握る腕が下がった。

 というか、ステラの魔法がかかった怪力で物理的に下ろされた。


「ルカ皇太子、あなたは私を殺すつもりじゃなかったんですか?」

「そんなわけないでしょ、仮にも皇太子だよ。



 ――――というか、君泳げないの?」


 それ初めて知ったんだけど。




 レオナルドの手から零れる剣の音と、ルカの言葉が遠くで聞こえる。




 ルカは、ステラが泳げないことを知らなかった。

 じゃああの銀髪のオネエさんは一体……?


「オクターヴ団長からも、そんな報告は上がってこなかったよ」

「ここいらじゃ遊泳できる場所なんて限られてますし、まさか金槌だったなんてこの短期間では流石に気付きませんな」

「君達の見間違いじゃ無いの? 幽霊じゃ無かった?」

「そんな筈ありません! だって足もちゃんと着いていました‼」

「なんか急に顔色悪くなったね。もしかしてそっち系苦手?」

「こんな時に人の弱点を探さないで下さいっ‼」


 ハッとするが、時既に遅し。

 皇太子に向かって怒鳴るなど‼ と、自責の念が押し寄せるが、肝心のルカは何も動じない。

 それどころか、とんでもない一人言を繰り出している。


「それにしても、本当に燈月草を持ってくるとは思わなかった。じゃあ別の任務を……」

「ルカ」


 遮ったのはエドガーだった。

 成り行きを見守っていたが、その足はとうとうレオナルドを庇うように前に出た。


「これ以上君の我が儘にステラを巻き込むのはやめるんだ」

「随分とその小娘の肩を持つんだね」

「弟子だからね。レオ、君も君だ。昔に言っただろう、一度二人で話すべきだ、と」

「(我が儘……?)」


 レオナルドの腕に収まっていたステラは、エドガーに保護されることとなった。

 銀髪のオネエさんの件も解決していないが、手短な問題から解決していこうという魂胆か。


 ステラは少し離れた場所から、傍観者となって睨み合う二つの金色を見守る。


「俺はあなたに何も言うことはありません」

「僕はいっぱいあるよ」

「時間の無駄だ。ステラ、行くぞ」

「ま、待って!」


 エドガーから無理矢理引き剥がされるが、それくらいじゃテコでも動かない。


 ステラには、二人が少し羨ましかったのだ。


 仲が良くないことは察していた。だがこの世に二人しかいない兄弟なのだから、仲違いしたままにしておくのは寂しい。


「私は、喧嘩できる相手がいるのが羨ましい! 血が繋がっているからって、全員が全員仲良く暮らすことが出来ないっていうのもわかってる。けれど何も話し合わないまますれ違ったままっていうのは違うでしょ!」

「話してわかる相手じゃない」

「どうして決めつけるの!」

「じゃあ兄上と話したらお前の次に住むアパート、俺が決めていいか?」

「いい……え、待って、全然良くない」



「……そうやって、君は僕の弟の心に入り込んだのか」


 ついさっきまで聞いていた声から、温度が抜けた。

 ハッとステラはレオナルドの後ろに視線をずらす。


 そこには、いつかの冷たい目をしたルカがいた。そうだ、これは初めて会った帰国パーティーの時と同じ目だ。


「女狐、僕の弟から離れろ」

「私ですか?」

「そうだ、お前だ」


 なにやら様子がおかしい。

 大人しく離れようとするが、それはレオナルドによって許されなかった。


「兄上。今、ステラのことをなんと?」

「女狐って言ったんだよ。あぁ、可哀想なレオ……そんな、ちんちくりん女に騙されてしまって……」

「ち、ちんちくりん女……」

「さぁ、そんな女なんて捨てて、お兄様のところへ戻っておいで! 大丈夫、君が変な考えを起こしたのも、一時の迷いだよ」

「手紙も書きました通り、俺は王族から籍を抜きます。今後とも関わり無きよう、何度も申し上げましたが」


 エドガーの横で、ステラの息が止まりかけた。


「(え? なんて……?)」

「そんなことを言うのは女狐の悪影響を受けたからだ‼ 僕は許さない‼」


 がなり声を上げ、目を吊り上げる姿は皇太子とは思えない。いつもの穏やかさは荷物を風呂敷に包んで何処かに旅立ったらしい。


 ルカに対抗するように、レオナルドも声を張り上げた。


「なんと言おうと俺は覆さない! 来年の成人式を目処に、籍を抜きます‼」

「そ、そんな……」



 とうとうルカが膝をつく。


 その頬に、一筋の涙が流れた。


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