39,弱点



「やーん! 暗ーい! 怖ぁーい!」

「は、はは……」


 初めて接触する人種である。

 ステラの頬が引き攣った。


「こんな人っ子一人いない森に、しかも夜よ⁉ 私みたいなか弱い乙女が来るもんじゃないわぁ! 主の命令じゃなかったら絶対こないんだからぁー!」


 細いステラの腕にしがみつき悲鳴を上げる姿は誰よりも乙女だが、腕に押し付けられる固い筋肉は、残念ながら乙女と言い難い。

 だが本人が自信を乙女と言い張るのに、ステラが否定する権利はない。


 横で姦しく叫ぶオネエさんを見て、ステラは本業を思い出した。


「(不安がる人を慰めるのも、婦警さんの仕事だよね)」


 既に王都へ戻った後の仕事へ気持ちが向いている。

 その眼は制服を着た婦警さんのものだった。


「オネエさんは主さんに頼まれてここに来たんですか?」

「そうよぉ! とぉ~っても怖いけど、すっごくいい男なんだから! あんたもお会いしたら絶対骨抜きになるわよぉ~! 初めてあの冷たい目で見下された時……。あぁっ! 思い出しただけでもゾクゾクするわァ! いつか縛られて蝋燭で……それから鞭やペンチ……!」


 ステラは知っていた。この世には十人十色の性癖を持った人間がいることを。


 アルローデン警察署にあった、性犯罪の事件簿にも数多くの癖を拗らせ、事件に発展した例を思い出す。

 経験は無いが、特殊な癖の知識だけならこの半年で嫌というほど蓄えた。


 そしてこのオネエさんもそういった類の癖を持ち合わせているのだろう。

 将来事件化されないことを願うばかりだ。


 無理矢理頬の筋肉を上に吊り上げた。


「オネエさんが言うくらいだから、きっと凄くいい人なんでしょうね」

「当然よ! あの方は路頭に迷っていた私を助けてくれた恩人なんだから! これくらいの我儘、可愛いもんよ!」


 恩返しの一種に見たがっていた燈月草をプレゼントするということか。

 主からの依頼という部分は共通しているのに、現場の人間のモチベーションの違いが激しい。風邪を引きそうだ。


 しかし路頭に迷うとは、どんな状況だ。


「就職か何かをサポートしてくださったんですか?」

「そんなチンケなもんですか! こっちとら命救われてんのよ! ま、あんたみたいな生娘臭い子供には、私の気持ちなんてわからないでしょうけどねぇ~」

「き、きむすっ……⁉」

「あらやだ、本当に生娘だったの?」


 図星であるが故、動揺してしまった。

 そんなステラの様子をオネエさんは面白そうに覗き込んだ。


「でもその反応なら、好きな男の一人や二人はいそうねぇ~?」

「そ、そんなわけないじゃないですか!」

「言っちゃいなさいよ! どんな男なのよォ!」

「教えません!」


 その剣幕は気迫迫る物だ。教えたら最後、骨の髄まで聞き出されるだろう。

 というか、なんでこんなところ女子トークが始まるんだ。


「私の好きな人なんかより、さっさと燈月草を探しに行きましょう! 早く行かないと、あっという間に日が昇りますよ!」

「あら、大丈夫よぉ。だって夜は始まったばっかりじゃない」

「そ、それでもあまり遅くなると危ないので!」


 左腕に抱える資料を気にする。


 日記の中にはこう書いてあった。


 白い花が咲かなければ、燈月草への道は現れない。

 そして萎む前に帰らなければ。

 それでもどうか妻に見せたい、あの暖かな花を。


「(月下美人は一晩しか咲かない……!)」


 ステラの中で、日記の信憑性は確信的な物になっていた。


 この日記が本当なら、月下美人が萎む夜明けには道が絶たれる。

 月下美人の入り口が閉ざされるのか、道が無くなるのかはわからない。

 けれども、リスクは減らすことに越したことは無い。


 そして婦警さんとして、なんとしてもこのオネエさんを主の元に無事戻してやらなければ。


 より一層使命感が燃え上がる。


「ところで、あんたはさっきから大事そうに何を持っているの?」

「これですか?」


 オネエさんから隠すように、日記を自分の体の陰に隠す。

 秘匿捜査員として、調査資料を一般人の目に晒すのはよろしくないと判断してのことである。


「これは……この道に来るまでの道が書かれた本です!」

「ふーん随分と古そうなものだけど。よくそんなものあったわねぇ」

「私、考古学者なので」

「あー……それで燈月草なんかを探しに来たのね」


 なんで都合のいいワードなんだ、考古学者。

 しかし恋愛話から逸れると随分テンションが落ちる。


 前に進むのに必死で、ステラはオネエさんの冷たい視線に気づくことない。




 余程の大好物なのだろう、繰り広げられる恋愛話をのらりくらりと躱しながら進んで行くと、 ステラの耳に水音が掠めた。


「オネエさん、湖ってどこら辺ですか?」

「もう少し先よん……あ、そこだわ」


 空気が少し冷たくなった。これは水辺が近い証拠だ。

 ふと、ステラの鼻に先ほど嗅いだばかりの甘い匂いが掠める。


「月下美人の匂い……」


 目的地は近い。


 ステラは一瞬緩んだオネエさんの腕を優しく解くと、一目散に駆け出した。


「ちょっとぉ! こんな置いていくなんて酷いわよォ!」

「早く行かないと取られちゃいますよー!」

「こんなところ、私達以外来ないわよォ‼」


 一直線に走るステラに、オネエさんの叫びは届かなかった。





「(どこ?)」


 近い。


 一層強く薫る月下美人の群衆を見付けた。

 目の前のつるを掻き分け、首を突っ込む目を見張った。


「湖だ……」


 オネエさんの言う通り、夜空を映した鏡のような湖が広がっていた。

 夜だというのに空に浮かんだ月と星のお陰でよく見える。


「(ここにあるのかな……)」


 持っていた絵本を開いた。

 そこには月の妖精が歌い、湖の水辺で白い花が踊っている。


 残念ではあるが、絵本には妖精が燈月草になってどのように咲いたのかは書かれていない。 ここからは自分で紐解かなければ。


「このシーンはきっとこの湖だ。あとはどうすれば……」

「いたいた! 急に走り出すんじゃないわよォ!」

「すいません、つい嬉しくて」


 口ではそう言うものの、視線は絵本に落ちたままだ。

 息が軽く上がっているオネエさんの気配を感じながら、慎重に湖に近づく。


「タンポポみたいな花……ないですねぇ……」

「そうねェ……。もっと湖の近くかしら」


 ここまできて燈月草の姿が全くの別物とかいうオチはやめてくれ、頼むから。


 特に宛先の無い祈りを心の中で掲げ、足場の悪い水を含んだ草を慎重に踏む。

 すべって転んで資料をぶちまけることは避けねば。


「どこかしらァん……。もしかしたら湖の中とか?」

「それなら最早花っていうより、水草じゃないですか」

「でも見る価値はあるんじゃなーい?」

「……無いとは言い切れません、かね……うわ、深そう!」


 足場の悪い縁に立ち恐る恐る水の中を覗き込むが、暗くて何も見えない。


 そういえば。


 オルガナビアで見た夢を思い出した。


 何処かの水の中で、泳げないステラが自由自在に泳げる夢だ。

 あの夢ではビッチリ水草が生えていて、結局その向こうに何があるのか確認できないまま現実に引き戻されたのだ。


 何故今更、夢のことを思い出すのだろう。


「落ちたら危なそうですよ、何にもなさそうだし」


 違うところを探そうと、顔を引っ込めようとした時だった。


 ステラの眼が、熱くなる。


「そうね、落ちたら大変よォ。




 ――泳げないあんたは、特にね」


 ドンッ



「……え?」


 引き上げようとした身体に、大きな衝撃が走った。

 一体何が起こったのか、眼は何を視せようとしていたのか。


 何も確認できないまま、ゆっくりバランスを崩す。


 視界の端では、オネエさんが不敵な笑みを浮かべて手を突き出していた。

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