37,満月の香り
「この花がきっとヒントなんだ……!」
明かりの消えた家の門を閉じた。
坂を登りながら、寝静まった村を振り返った。
ステラの家も例外無く暗い。
どうやらレオナルドは完全に寝静まって、ステラが出掛けたことに気付いていないようだ。
ウツギの花の前に立つと、心臓の音が自分の耳にまで聞こえる。
辿り着くかもしれないターゲットに、柄にもなく緊張しているのだ。
「確かここから入ってきたよね……?」
村を取り囲むように咲き誇るウツギの花。
普段外に出るトンネルとは、正反対の生け垣だった。
余程の用事が無い限り、この村に住んでいた頃も立ち寄ることは無い。
ステラはじっとりと湿った手を握った。そして呪文のように、心の中で繰り返す。
大丈夫。絶対オルガナビアに繋がっている。
「よし」
意を決して、生垣に突っ込んだ。
「よかった、ちゃんと着いた」
突き進むこと数十秒。
同期を抑えながら顔を出すと、先日見たばかりのオルガナビの風景が広がっていた。街は相変わらず静かで、空に満天の星が広がっているのは故郷の村と同じだ。
ステラはワンピースについた葉っぱを払う。
たった数日前に聞いたばかりの故郷の秘密を知ってからというもの、少々不安を抱えていたのだ。
「(この魔法、いつか私を弾いたりしないよね?)」
通ってきたばかりの生け垣を振り返り、静かに咲き誇るウツギの花に顔を近づけた。
ラナから聞いた、村を守る魔法の定義は実にあやふやなものだった。
悪意があれば弾かれる?
じゃあもしステラレオナルドの夕食に虹色トウガラシの粉末を混入してやると考えていたら?
もしウメボシのご飯をタナの愛情たっぷり栄養満点食でなく、野菜だけの超絶ヘルシー食にすり替えると企んでいたら?
後者は善意であると言え、考えれば考えるほど不安になる。
ウツギの花を触ろうと手を伸ばすと、近くの木から梟が飛び立った。
「ヒッ⁉ び、びっくりした……」
ネガティブなことを考えると全てが悪く見える。
いかんぞ、レッツポジティブシンキング!
負の感情を置き去りにするように、ステラは触ろうとしていたウツギの花から離れた。
「明かりを持ってくれば良かったな」
火の魔法が使えないため、必死に目を凝らすしかない。
何処かで資料を開けようと辺りを見渡すと、足元がゆっくりと明るくなった。
「(今日は満月だったんだ)」
顔を上げると、まん丸の月がステラを見下ろしていた。
ここに来た時は下弦の月だったというのに、もうそんなに日が経ったというのか。
古ぼけた薪割り場で資料を開くと、どこからか甘い香りが鼻を掠めた。
この匂いは、何処かで嗅いだことある、気がする。
「なんだっけ、この香り……」
暫く記憶を穿り返すが、中々出てこないところを見ると随分昔の記憶だろうか。
というか、この地に来て随分経つが。初めてこんな香りを嗅いだ。
淡い光に照らされた、殴り書きで書いたメモに視線を落とす。
強い香りに大きな白い花弁は、夜にしか現れない。
既に蕾から立ちこめる、柔らかな香りがここまで薫っている。妻も心から喜んでいる……。
「……この香りのこと……?」
もしこの日記に書かれている香りがこのことなら、近くに大きな白い花弁の花があるということだ。
じゃあこの香りはどこから?
匂いを辿っていくと、とうとう街の外れまでやってきた。
そして、ステラはその匂いの元を発見する。
「これ、月下美人だよね」
甘くとろけるように開花する白い花は、母も好む花。
「(そうだ、これが昔嗅いだ香りだったんだ)」
村の果樹園にある、年に数回の夜にしか咲かない花。
夜は眠たくなって寝てしまう健康児だったので、見たのは一回きり。それも半分夢の中だったが、この香りは良く覚えていた。
月明かりを頼りに、絵本のページを捲った。
「そうか、この花が月下美人なんだ!」
手元のページでは、月の妖精が楽しそうに歌っている。
その背景には大きな白い花が描かれており、わざわざ〝大輪の白い花が咲いている〟と、書き起こしている程だ。
こうして見てみると、至る所にヒントがあったのだ。
不意に、一際強く香りが漂いステラの鼻を刺す。月下美人が満開になったのだ。
目の前の茎や葉が、まるで生きているように動きだす。そしてとうとうカーテンが開かれるように、ステラの目の前へ道が現れた。
この日記の通り、ステラは花に導かれたのだ。
「この先に燈月草が……!」
行くなら今しか無い。
だというのに、足が前に進まない。
今日見つければ、この旅は終わる。
やっとアルローデン警察署に戻れて、元の生活を取り戻せるのだ。
頭では分かっているのに、足が動かない。
それは、きっと家に置いてきたレオナルドの存在が大きいのだ。
我ながら女々しいと、眉間に力が入る。
「(行かなきゃ)」
この任務を、終わらせるのだ。
一歩前に踏み出したときだった。
「ステラッ‼」
焦った声が、ステラの耳朶を打った。
「ハッ……ハッ……何処へ、行くんだ……ッ‼」
振り返ると、そこには汗で張り付いたシャツを纏ったレオナルドが息を切らしていた。
「なんでここに⁉」
「眠れなくて、ベッドから窓の外を眺めていたら……お前の後ろ姿が見えたッ……! 急いで追いかけてみれば……‼」
追いかけてきたというのか。
不安に満ちていた心に、喜びが生まれる。
熱い手に腕を掴まれ、そこから感染するようにステラの身体も熱を持つ。
乱れた心を整えるため、持っていた紙を握る。
「心配かけてごめん、でもわかったんだよ‼」
息の整わないレオナルドの鼻先に、紙を突きつけた。
汚い自分の字を読まれるのは抵抗があったが、今はそうも言っていられない。
「なんだと?」
「解読できたんだ! この先に燈月草があるんだよ!」
これでレオナルドとの旅を終える。
ステラの胸は寂しさが陰っていたが、それを隠すように無理矢理笑う。
「私、行ってくる! レオナルドは帰って「行くな」」
強い力に引き寄せられた。
何が起こったのか、一瞬理解が遅れる。
硬い胸板に額を打ち、ようやく自分がレオナルドに抱き寄せられたのだと把握できた。
帰って家で待っていて欲しいという言葉は、口の中に消えてゆく。
「もういいんだ。燈月草を探すのはやめろ」
「今更何で? レオナルドだって、燈月草を見つけるのが夢に繋がるって言ってたじゃん!」
「状況が変わったんだ」
どんな状況だ。
額を胸板から放すと、真剣な眼差しがすぐそこにあった。
「ステラ。俺とあの村で暮らそう」
それはあまりにも甘く、月下美人の香りすら忘れさせる誘いだった。
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