36,太陽の告白



「うぅっ……えっぐっ……!」

「ヒルおじざぁん……」

「ず、ずでらぁ……!」


 晴れ渡った青空の下、とある田舎で暑苦しい抱擁が交わされていた。


 ウツギの花に見守られながら、赤い頭の二人は離れない。


「毎回こんな感じなのよ」

「なんというか、今生の別れみたいですね」

「だっでぇ! 次いつ会えるかわからないんだよ⁉」


 そう、こうやって抱き合うのも実に半年ぶりなのだ。

 仕事が多忙で中々帰省できないステラと、いつ来れるかわからないヒルおじさん。

 今回会えただけでも奇跡に近い。


 おいおいと泣き縋るステラを、レオナルドが無慈悲に引き剥がした。


「そろそろ離れろ。ヒルさんが出発できないだろう」

「おじさぁん……!」

「くっ……! 名残惜しいが、確かに時間が迫っている……!」

「はいはい、また手紙でも書けばいいでしょう。私達も行かないと、果物が傷んじゃうわ」


 ヒルおじさんの後ろでは、大きなカバンを背負ったラナが苦笑している。

 ラナだけじゃない。

 何人かの村人も、トンネルの前でステラ達を見守っていた。


「じゃあレオちゃん、果物の出荷に行ってくるわね。私達は明後日くらいに帰ってくるわ。それまでステラのことをよろしくね」

「お任せください」

「やっぱり心配だ! 妙齢の男女が一つの屋根の下で二人っきりなんて!」


 既に何回か夜を明かしているのだが、油に火を注ぐことは目に見えているので二人して口を噤む。

 まだ間違いは起こっていないので仮にバレたとしても大丈夫だ。多分。


「何言ってるんだいヒルさん! 二人は婚約したんだろ?」

「そうさ、後は籍を入れるだけならもういいじゃないか!」


 飛び交う野次を理解して、ステラの顔が赤くなった。

 それに対して、レオナルドは胡散臭いほど爽やかな笑みを浮かべ、ステラの肩を抱き寄せる。


「二人で話し合ったんです。正式に籍を入れても、少しの間は二人だけを楽しもうと。俺達もまだまだ未熟なので子供については追々相談していきます」


 また新しい設定を追加されている。


 初耳情報に目を白黒させているステラの後ろで、村人達は色めき立つ。


「まぁ! なんて立派なんだい!」

「よかったなぁ、ラナちゃん。こんなにステラちゃんのことを考えてくれる男でよ!」

「全くよ、これで私も安心だわ!」

「お母さんまで⁉」


 よくもまぁこんなアドリブに乗っかれるもんだ。

 泣いていたヒルおじさんの涙もピタッと止み、口元が引き攣る。


「い、いかん! やっぱりなんだかけしからんぞ、やっぱりステラはおじさんがリュックに入れて連れて行く!」

「私、そこまで身体柔らかくないよ」

「本当に詰め込まれるぞ、こっちにいろ」


 ステラは再びヒルおじさんに抱き着こうとしていたが、割と本気でリュックの整理を始めたのを見て思い留まった。


 後ろ手を組んで次々とトンネルを潜る村人の背中を見送る。


「お母さんも行ってくるわね。戸締りよろしくね」

「はーい」


 昔なら迷わずくっついていったが、今はやるべきことがある。

 ラナが見えなくなると、視界いっぱいにゴツイ筋肉が聳え立った。


「ステラ、今度いつ会えるかわからない。だから言っておくぞ!」

「ぶぇっ」


 両手で頬を挟まれ、強制的に上を向かされた。

 もう少しで首の筋がやられるところだった。


「おじさんはいつだってステラのことが大好きだし、どんな時も味方だ!」

「ヒルおじさん……」


 眩しい太陽のような笑顔。

 急な告白にむず痒くて照れるが、真正面から受け止める。


「困った時や疲れた時はいつでも連絡してくるんだぞ、いつでも助けに行くからな! もちろんレオナルド君、君もだ!」

「お気遣いいただきありがとうございます」

「え、冷淡……」


 ステラの頬を離すと、下ろしたリュックを肩に掛ける。


 今度こそお別れだ。


「ヒルおじさん! 今度は私の制服を見てね!」

「あぁ! 楽しみにしているぞ!」


 別れは何度経験しても、慣れることは無い。


 レオナルドに肩を抱かれたステラは、潤む瞳でウツギの花が咲き誇るトンネルを見つめ続けた。




 ******




「で、調査だよ、調査」


 いつまでもヒルおじさんとの別れを惜しんでいるわけにもいかない。


 自室のベッドの上で、日記を睨みつけた。

 横には例の絵本も並んでおり、ヒントのようなヒントでないような面子が鎮座している。


 ステラはベッドに座り込むと日記を開ける。


「今日は……ここからだ」


 中々進まない解読作業は僅か三日分しか進んでいない。このままでは一生終わりそうにない。

 気合を入れて眼をこすると、ベッドの下から赤い毛玉が飛び出した。


「なんだ、まだ諦めておらぬのか」

「諦めたらダメでしょうが」


 ベッドに飛び乗ったウメボシが行儀よく前脚を揃え、眠たげな目で日記とステラを交互に見比べる。


「ここでレオナルドと一緒に果実を作って細々と暮らせばよかろう。ラナ殿もヒル殿も喜ぶだろう」

「はい復習しよう。私の夢は?」

「婦警になることだ」

「正解。つまりここでずっと居るわけにはいかないんだな」

「一度就職したであろう」

「これからなんだよ! 困ってる人達を助けてこその婦警さんなんだから!」


 この任務を引き受けたのは、レオナルドに思いを伝える箔をつける為というちょっと邪な気持ちもあった。


 しかし! ステラは心を入れ替えたのだ。


 隣の部屋で今頃夢の中にいるであろうレオナルド。

 大切な人を巻き込んだ挙句、人生を引っ掻き回してしまった。一刻も早く任務を終わらせ、王国騎士団に戻してやらなければ。


「ふぁ~……まぁステラがやるというのなら止めはせん。小生は先に寝るぞ」

「すっごい欠伸」


 そう言うや否や、ウメボシは部屋の隅に置いてある専用のベッドで丸くなった。


 寝息が聞こえてきたのは、その三秒後だった。



「(やりますかね)」


 誰が何と言おうとも、やれるのはステラしかいないのだ。


 ベッドに潜り毛布を被ると部屋の明かりを落とす。

 この眼を使って読むと、やはり魔力の消耗が激しい。そして寝落ちに至る。

 何度かこの経験をした結果、いつでも意識が飛ばせるようにこのスタイルに落ち着いたというわけだ。





「(澄んだ夜……星が震え……月が満ちた……)」




 遠い昔の、知らない誰かの見た景色が流れ込んでくる。 見えるのは初老の男性だ。




 今日をどれほど待ちわびた日だろうか。

 この時期、この天気。間違いなく花は咲き、導いてくれるだろう。


 強い香りに大きな白い花弁は、夜にしか現れない。

 既に蕾から立ちこめる、柔らかな香りがここまで薫っている。妻も心から喜んでいる……。




 「(花……燈月草のこと?)」



 核心に近づいている。


 しかしルカから貰った絵はタンポポのようだったが、それすらも違うというのか。

 覚束ない足取りで、一歩男性に歩み寄る。




 白い花が咲かなければ、燈月草への道は現れない。

 そして萎む前に帰らなければ。

 それでもどうか妻に見せたい、あの暖かな花を。


 あの灯りこそ、我が故郷の光……





「(っ……見つけた!)」


 その瞬間、景色が現実に引き戻された。

 ヒュッ……と息を吸い込むと同時に、全身から汗が噴き出す。




「か、書かなきゃ……」


 手探りで紙とペンを手繰り寄せると、殴るように解読した内容を綴る。

 汗が落ちて字が滲むが、読めればいい。


 一通り書き終えると、ステラはベッドに沈んだ。


「(疲れた……)」


 いつもならこの流れが、あと二回ほど繰り返される。

 今日は十分すぎる収穫があった。だが休んでいる暇はない。


 伏せていた顔を上げると、汚い自分の字をなぞった。


「星と月……これを書いているのはきっと夜だ。気になるのが……」


 汗で滲んだ紙面を、親指でこする。

 そこには強い香りに大きな白い花弁と書かれている。


「きっとこの白い花と燈月草は別物だ」


 そしてその花の正体はきっと。




「(……これだ)」


 絵本を開くと、王様と妖精の後ろにファンシーなタッチで書かれている白い花。

 この日記の持ち主はこの花のことを書いているのだ。


「(休んでる暇なんかない!)」


 ステラは日記と絵本を小脇に挟むと、爆睡するウメボシを横にソッと部屋から出た。


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