8,甘い誘惑
ふわっと意識が急浮上する。
重たい瞼をうっすらと開けると、ようやく最近見慣れた天井が視界に入った。
「……ふぁっ……」
ゆっくりと体を起こして伸びをすると、パキパキとなる背中が気持ちいい。
ステラは寝癖のついた、赤いボサボサの頭を掻いた。
「おはよ……」
「ようやく起きたか」
「夜勤明けはつらいよ……」
「仕事だ、仕方なかろう。パピヨンレターが三匹きているぞ」
ステラより早く起きていたのだろう、相棒のウメボシはシャキっと目を覚ましている。
促されるまま眠気眼で窓を開けると、パピオンレターが舞い込んできた。
「誰からだ?」
「お母さんとヒルおじさんと……師範だ!」
一気に眠気が吹き飛んだ。
トンファーの師匠であるエドガーは、セレスタン国の皇太子。卒業式以来一度も会っていないが、こうして偶に連絡を取り合っているのだ。
歯ブラシを咥えながら、それぞれの手紙に目を通した。
「師範、元気にしてるかな」
「会おうと思って会える相手ではないからな」
「ヒルおじさんやハイジ先生もだけどね」
二人も不定期に村を訪れる人間のため、休みにステラが帰省してもすれ違いで会えないことが多い。
特にハイジ先生は昔から月に一度来るか来ないかのレベルなので、レアキャラ感が高い。
「結局何者なのだ、あやつらは」
「……旅人と非常勤講師?」
「お主もわかっておらんのか。もうすぐ大人になるのだ、親同然の仲なら職業くらい知っておいても良いのではないか?」
「そのうちね」
同じような事を昔、村の子にも言われたことがある。その流れで母にも一度聞いたことはあったが、確かはぐらかされてしまった。
だが二人が何者であれ、ステラを肯定してここまで育んでくれた恩人たちなのは変わりない。
知ったところで何も変わらないのだ。
髪を櫛で解かすと、下でお団子にまとめた。
長いこと着まわして、少し形が崩れた服に腕を通す。
「どこかに行くのか?」
「ちょっと買い物に。ウメボシはどうする?」
「小生は結構だ。森を散歩するとしよう」
「お願いだからネズミだけは食べないで! エキノコックスだけは絶対にダメだよ!」
「小生をそこらの野生狐と一緒にするでないわ!」
勢いよく啖呵を切ったウメボシは窓から転がり出るように出て行った。少しだけ不安を含んだ眼差しで、ウメボシを見送る。
以前この部屋でまるまる太ったネズミが現れたのだが、その時のウメボシの目は完全に捕食者の目をしていたのだ。
その時はステラが捕まえ、外に追い出しが、その目を思い出すたびに不安が煽られる。
信じるしかない、相棒が外で鼠を食べていないことを。
ステラは自室のドアに鍵をかけると階段を軽やかに下りた。
「(さて……と)」
露店でジュースを買うと、人通りの多い道に出た。
近くにベンチに座りながらストローを吸う。
以前迷子になった時に学んだことがある。それは、人を観察する時に睨んではいけないということだ。
あくまで休日を楽しむ、一般人に紛れ込まなくては、目立ってしまう。
「(ふっ……私だって学ぶのさ)」
何故か自己肯定感がプラスされた。
ジュースを飲みながら、薄目で道行く人を観察する。
楽しそうに歩く子どもや、忙しそうに歩く大人、ゆったり歩く老夫婦など様々だ。
そんな、中ステラの目が一点に止まった。その視線の先では、何人かの女の子のグループが楽しそうにお喋りしながら歩いている。
ステラより少し年下であろう、少女達はステラの目の前ゆっくり通り過ぎた。
「……絶対似合わない」
「何がですの?」
「あのふわふわした可愛い……っおん⁉」
「このわたくしの顔を見てそんな悲鳴をあげるのは、この世であなたくらいしかいなくてよ」
リボンで束ねたミルクティー色のドリル縦ロールがブリンブリンと揺れている。
上品に扇で口許を隠しながらステラの背後に立っていたのは、卒業式以来あまり会うことが叶わなかった学生時代の友人の一人、エルミラ・クラドラークだった。
「エルミラ‼」
「お久しぶりですわね」
思わず持っていた空のジュース容器を握り潰してしまった。
そんなことお構い無しに、ステラは急いでベンチから立ち上がる。
「なんでこんなところに⁉」
「少し買い出しに街に出ていましたの。そうしたら目立つ赤髪がベンチでメンチ切っているんですもの。何事かと思って、思わず歩み寄ってしまいましたわ」
「すんごい気を付けていたんだけど……」
学んだことを活かすのは、難しい。
どうやら今日も人間観察は失敗に終わったようだ。
そんなエルミラの後ろには付き添いらしき人が何人いて、大きな箱を抱えている。
「めぼしい参考書も手に入れたことですし、そろそろ家に帰ろうと思っていたのだけれど……あなた暇でしょう? 折角ですし、お茶でもいかが?」
「暇暇! 行こう!」
付き添いの人にエルミラが軽く手を上げると、何処かへ行ってしまった。
ステラはエルミラの甘い誘いに迷いなく、頭を縦に振る。
「ゆっくり話せる機会などあまりありませんし、ちょうど良かったですわ。最近近場に良いお店ができましたのよ。あなたが好みそうなお菓子も、何種類かありましてよ」
「やったー‼」
「着いてらっしゃいな」
思わぬ再会と転がり込んできたおやつ。
ステラは本来の目的をすっかり忘れ、浮き足だってエルミラを追いかけた。
エルミラの案内で、活気に満ちた通りを練り歩く。
案内された通りは、アルローデンの仲でも特に観光地として有名な通りだ。
「お洒落なお店が多いね!」
「この辺りは流行に敏感なお店ばかりですのよ。そういえば、あなたと街に行くのは初めてですわね」
「へへ……前はいっつも補修で図書館に籠もっていたから……」
「そうでしたわね……ここですわ」
エルミラに連れてこられたのは、レンガ造りの隠れ家のようなカフェだった。
中に入ると、エルミラは手慣れた様子で二人分のお茶とケーキセットを注文する。
通された席はテラス席で、風が気持ちいい。
「あなたがこの辺に住んでいるのは知っていましたけど、まさかこんなに早く会えるとは思っていませんでしたわ」
「エルミラもこの近くに住んでいるんでしょ?」
「そうですわ。王国騎士団専属の医療チームですもの。レオ様にもよくお会いしますわ」
レオナルドといえば、最後の思い出は巴投げを食らったところで終わっている。
結局あの真相は、闇に葬られたままだ。
「あの方もよく打ち身を……なんですの、急におブスなお顔して」
「気のせい気のせい」
運ばれてきた紅茶を、エルミラは優雅に口に含む。
その仕草は学生時代よりも一段と大人の女性に近づいていた。
そんな大人な友人に、最近の疑問を問いかける。
「エルミラって、何でレオナルドのことが好きなの?」
「まぁ珍しい、あなたが恋愛話を振るだなんて。どういう心境の変化ですの?」
「仕事で痴情のもつれとか色々あって……」
指をかけたカップをソーサーに置いたまるでその姿は一枚の絵画のようだ。
深くは尋ねてこないエルミラは、ステラの質問に少しだけ悩む。
「そうですわね……好きといえば好きなんでしょうけれど、あなたが思っているような好きとはまた違うのかもしれませんわ」
「えっ、違うの⁉」
まさかの展開だった。それは友人に対する好き、ということだろうか?
そうであれば、ステラとエルミラの気持ちは同じだったと言うことか。それにしては執着があったように見える。
「わたくしがレオ様に抱いている感情は、恋ではありませんもの」
「エルミラの思う恋って、どんなの?」
「そうですわね……。一緒にいてドキドキするとか、なのにそれが心地よいとか……。無条件に助けてあげたいだとか、相手のことを知りたい、自分のことを知って欲しい。あとふと下瞬間に思い浮かべてしまう。時には自分以外の異性と話しているのを見ると嫉妬してしまう……とか」
ステラは頭を抱えた。
余計にわからん。
「レオ様はこの国の頂点に君臨される王族の方。わたくし達とはその血の価値が違いますのよ。そんな尊き方を崇拝するのは、当然でしょう」
「……なるほど! つまり動物園のパンダ!」
「全く話を聞いてないですわね」
運ばれてきたマカロンを口の中に放り込んだ。パティシエの腕が光る至極の逸品だ。
咀嚼しながらエルミラから貰った情報を整理していく。
恋愛と尊敬は違う。
そんなとこくらいステラにもわかっていたが、結局個人の感情は個人のもの。
人の数だけ愛の形がある。
以前レティから貰った格言が頭上に乗っかった。
「その尊きお方はこの間巴投げしてきたよ」
「あなた達は相変わらずですのね。けど、そのうちそんなじゃれ合いもできなくなりますわ。今はまだレオ様達も新入隊員でしょうけど、一年も経てば正式な部隊に配属されるはず。来年の配属に備えて、今の時期は体力作りでしょうね」
「羨ましい! こうしている間にもあいつは力を付けていってるんだ!」
「羨ましい……あなたらしい感情ですわね」
学校時代にエルミラがよくやっていたハンカチ噛み。今ならうまくやれそうだ。
「卒業後も皆それぞれの道を頑張ってるみたいですわね」
「そういえばさっき参考書を買ったって言ってたけど、なんの参考書?」
アルローデン魔法学校を卒業して以降、仕事に関する書類以外見ようとも思わなかった。
そんな中、参考書と言う単語を久しぶりに聞き、まだ勉強をする気なのかと耳を疑ったのだ。
「医学書でしてよ。わたくしはまだまだ見習いですもの、どれだけ勉強しても足りないくらいですわ」
「エルミラは努力家だね」
「なんですの、急に。それに努力家と言うなら、あなたもそうでしょう」
エルミラの言う努力とはステラの筋トレのことだろう。学生時代は少し時間があっては筋トレを繰り返した。
仕事で自由時間が減った今でも、隙間時間を見付けては体力を維持するために走り込みを続けている。
「努力というか、あれは趣味というか」
「目的があっての趣味なら、努力でしょう。どうなのかしら、夢が叶った感想は?」
「私もまだ理想の婦警さんにはなれてないけどさ」
この間助けたばかりの迷子の女の子が、頭を過った。
ありがとう、と言われ、憧れを口に出してもらった暖かな気持ちが甦る。
「……ちょこっとだけ。ほんのちょこ――っとだけ近づけたかな? って感じ」
「いいことですわ、そうやってみんな夢を叶えていくんですもの」
まさかエルミラとこんな風に穏やかにお茶を飲む日が来るとは。
鼻孔を擽る紅茶の香りが、いつも嗅ぐ香りより芳しく感じる。
「ところで、今日はあんなところで何をしていたんですの?」
「ベンチでちょっと女の子達の服を観察してたんだ」
「あなたに人間観察の趣味がありましたかしら」
「違う違う。この間成り行きで合コンに行くことになったんだけど、まともな服を持ってなくてさ。だから最近の流行りはどんな服かなーって見てたの」
「まぁ! ようやくあなたもその気に⁉」
一大事だと言わんばかりに、エルミラが手をパタつかせた。
「そういえば最近リタとオリバーが付き合ったなんて話もありますものね。その影響があるのかしら……いいえ、こんなところでお茶をしている場合ではありませんわ!」
先ほどまでの穏やかな空気は何処へ行った。
勢い良くエルミラが立ち上がる。
「ついてらっしゃい! わたくしがあなたをコーディネートして差し上げますわ!」
「ほんと⁉ それは助かる‼」
「そういうことならもっと早く申し出なさい! お相手の職業は? 年齢は⁉」
「そ、そこまで聞いてない……」
かつてない熱量に、ステラはたじろぐ。
エルミラは手帳を開くと、何かをチェックしながら呟く。
「ステラの系統ならこことここのお店……それから何パターンか考えた方がいいでしょうね、小物も揃えて……」
「エ、エルミラさん……?」
「あぁっ! 時間がどれだけあっても足りませんわ! あなたの髪色に合わせたコーディネートなんて初めてですのよ、腕が鳴りますわ!」
「頼もしい限りです、はい!」
「その後のデートにも備える必要がありますわね!」
急かされるまま、まだ熱い紅茶を流し込んだ。どうやらエルミラのお洒落魂に火が付いたようだ。
学生時代、お洒落番長の名を欲しいがままだったエルミラのアドバイスに、外れはないだろう。その名は健在であったのだ。
「デートだなんて、そこまできっと行かないよ!」
「何をおっしゃるの! その可能性は大いにありますわ!」
「もしかしたらちょこっとお茶するかもレベルだって!」
「男女が二人っきりで出掛ければ、それはデートですわ!」
「そうなの⁉」
頼もし過ぎる。
今日一番輝く姿を、ステラは拝んだ。
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