9,ヴェールの下に潜む思惑



「あなた、いかがなさいましたか?」

「いいや、少し目が凝ってな」

「少し仕事に精を出しすぎたのでしょう。今ハーブティーを淹れます」

「ありがとう。……早く息子達に託して、ゆっくりと隠居生活を送りたいものだ」

「まぁ。その夢を実現するのは、少なくとも十年はかかるでしょう」

「現実的な数字だな」

「その後は遠い地に小さな家でも買ってのんびり過ごすというのはいかがでしょうか」

「夢物語だ、是非とも実現させたいな」


 ここはドルネアート城の中でも尤も奥に聳え立つ、練の一角。


 その塔は、王族の居住区と指定されており、瀟洒な部屋がいくつも連なっている。

 典麗な白磁の壺や、有名画家の手がけた歴史ある絵画の数々、これでもかと言うほど遇われた宝飾剣が、ここに住まう人々の位の高さを強調させている。


 豪奢なソファーに深く腰をかけるのは、ドルネアート国の国王、エリクソン・アダン・ドルネアートだ。

 羽織っていたマントを脱ぎ、指で目を揉みほぐしている。


「君も目元のヴェールを取ったらどうだね? ここに来てまで気を張ることは無い」

「おっしゃる通りですわ」

「……思うのだが、もうレースは良いのではないか?」

「いいえ、これは次の春までの約束ですもの」

「そうか……なら仕方が無いな」


 優れた知能で王を支え賢母と讃えられ、力のある進言で国の流行や発展を切り開く王妃、アーデルハイド・クロエ・ドルネアート。

 公の場に出るときは目元を黒いヴェールで隠しているため、絵姿以外でその顔を目にした者はごく僅かだ。


 王の提案に乗っかり、結ばれた紐を取ろうと手を伸ばそうとした。

 するとその直後、


 コンコン


 重厚な扉から聞こえる、控えめなノック。


「誰だ」

「父上、母上。ルカです」


 ヴェールを取ることをすっかり忘れた王妃は、足早に扉を開く。

 ゆっくり開かれたその向こうには、レオナルドとよく似た金髪の男が立っていた。


「ただいま戻りました」

「長きにわたっての留学、ご苦労だった」

「いたわりのお言葉、謹んで頂戴致します」

「お入りなさい。今ハーブティーを用意していた所よ。色々話を聞かせて頂戴、ルカ」

「はい、失礼致します」


 ルカと呼ばれた男は、色味だけで言えば、レオナルドとよく似ている。


 指通りの良さそうな蜂蜜色の髪に、涼しげなアイスブルーの瞳を秘めた目は、吊り目気味のレオナルドに対して柔らかく目尻が下がり気味。

 バランスの取れた鼻と薄い唇と、絵に描いたような美男子だ。


 ドルネアート国の皇太子、ルカ・マーティス・ドルネアートはその甘いマスクで、数々の令嬢を落としてきたという。それはもう、飛ぶ鳥を落とす勢いで。


「それで、ネブライはどうだった?」

「素晴らしい国でしたよ。それはそれは、まるで夢物語のような国だ」


 浅く腰を掛けたルカの隣で、王妃が紅茶を注ぐ。

 難しい顔を構えたドルネアート王を諫めるように、ハーブの香りが部屋に広がる。


「ネブライ王はとても穏やかな方で、国を慮る聡明な方です。特にあのお方の知識量には敬服の念を抱きました。学ばして頂くことが多く、短い留学期間では全てを吸収することは不可能でした」

「そうか。十年前に細君が崩御された時は、見るに堪えないほど憔悴しきっていたが……」

「今となっては憂いの陰もありませんでした。ネブライを幸せに導くという使命を、なんとしても遂行すると力強く話しておりましたよ」


 王妃に差し出された紅茶を受け取ると、ルカは美しい所作で一口含む。もしステラの実家の隣に住むルカファンのおばちゃんがここにいれば、鼻血を出して卒倒していただろう。


 報告を黙って聞いていた王妃は、落ち着いた声でルカに問いかける。


「国の様子はどうだったのかしら?」

「とても治安が良いです。飢えも無い、人種差別も無い。戦争どころか小競り合いだって何一つ耳に入ってきませんでした。盗みも無い、スリ一つだってありません。平等な教育制度に平等な勤労条件、清潔ね療養場所は完備されており、スラム街もなければゴロツキだっていない、怪しい薬の取り引きなんて以ての外です」

「噂は本当だったのね……」

「えぇ、本当ですよ。とても綺麗な国です。……不自然なほどに」


 机の上に飾られた薔薇の花弁が、一枚落ちた。

 和やかとは言いがたい空気の中、ドルネアート王は再び己の目を揉む。


「働いている国民達も、とても生き生きとしていました」

「製鉄か」


 揉んでいた目を、鋭く開けた。

 多くの鉄鉱山を持つネブライ国は、鍛冶業も盛んである。良質な鉄から造られる武器は、どの国に置いても右に出ることない。


「生産量は? どれくらいだったのだ?」

「素人目でははっきりとした数はわかりませんでしたが、異常という数の製鉄所ではありませんでした。その製鉄所の人員ルーティンを見る限り、休憩もしっかり取れていて定時で上がる者がほとんどです。大量の人員を投入していないところを見ると、本当に従業員のことを思って働き方を考えている、素晴らしい政策でした」

「人間は仕事のために生きているわけでは無い……。確か、少し前にネブライ王が新聞の記者に向かって言い放った言葉ね」


 働き方改革というやつだろうが、ここまで徹底できるものなのか。

 ルカは落ちた薔薇の花弁を手に取り、まるで赤子を慈しむかのように手で包み込む。


「仕事の質も、実に素晴らしい。大陸一の鉄大国なだけあり、アイアン調の家具や町並みが美しかった」

「前王妃が尤も愛したと言われる町並みね。さぞかし壮観だったでしょう」


 ルカの口から語られる数々に、ドルネアート王は更にその眉間に走る皺を深く刻む。


「まさに夢物語だな。いや、ユートピアか……。いずれにせよ、お前から聞いたことや報告書に書かれたことは、にわかに信じがたい。どんな魔法を持ってしても、大なり小なり人は必ず争いを生む」

「我が国でも毎日のように何かしらの事件は起こっていますもの。いくら前王妃の平和主義をネブライ王が引き継いだとはいえ、あまりにも無理があります」

「そうだな。一体どんな政策を練ったのか……」

「申し訳ありません、もう少し奥まで探ろうとしたのですが、この短期間ではネブライ王の懐に入ることは叶いませんでした」

「お前を責めているわけでは無い。無事に帰ってきて何よりだ。疲れているというのにすまなかった、自室で休むがよい」

「寛大なお心に感謝致します」


 うやうやしく頭を下げた。

 すっかり空になったカップをソーサーに戻すと、ルカはゆったりとした動作でソファーから腰を上げた。


「そうだわ、明日の帰還パーティーの準備はしておくのよ」

「もちろんです。ところで」


 アイスブルーの瞳が無機質に、王妃のヴェールを捉えた。


「今回のパーティーはレオも来るのですか?」

「当然です。お相手の方も、もう決まっているわ」

「へぇ……」

「相手は学校時代の同級生だ。卒業試験でパートナーを組んだ……」

「あなた」


 ドルネアート王の言葉を聞いた途端、ルカは口元の笑みを深めた。


 とても冷たく、機械的な取り繕った笑み。


「久しぶりに会うのです、今から楽しみだなぁ」

「ルカ、あなたも大人なんだから」


 声を固くした王妃が、ソファーから腰を浮かせた。


「わかっていますよ、母上」


 己を制する声を振り切って、颯爽と扉に歩む。

 肩で風を切り、迷うこと無く扉に手を掛けた。


「おっしゃる通り、僕も大人です。ご安心ください」

「……そうね」

「では。これで失礼します」


 王妃の行き場の無くした手は、重力に従って落ちた。




「……もしや、余計な事を言ったかな?」

「どちらかと言えば。ですが、ルカも成長していると信じましょう」


 そのままの足で、王妃は近くの窓から外を見下ろした。


「……ネブライ、か。我々の杞憂だと良いんだがな」

「それが一番ですわ」


 安心させるように口元に微笑みを讃えてみせた。


 窓の下には数多の旗をはためかせた、馬車が停車している。その旗はドルネアート国のものではなく、二等の馬と双槍が刺繍された、ネブライ国の旗だ。


 ヴェールの下の目は、一体何を考えているのか。

 それは、ドルネアート王にすらわからない。





「絶対に暴いてやる……」


 国王に聞こえない王妃の独り言は、誰に拾われること無く床に落ちていった。


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