3,夫婦喧嘩は犬も喰わない
「どうされましたか⁉」
「あのおじさんがお酒を飲んで暴れているんです‼」
「誰かおじさんゴルァ‼」
現場はステラ達が居た道から近かった。
カフェの店員らしき男性が、男を宥めようと必死だ。
「危険ですので下がってください!」
「落ち着くっスよー‼」
顔を真っ赤にした男は、明らかに酔いが回っている。
手に持っている割れた酒瓶が先ほどの音の正体だろう。もしあれで近くの人間を殴りかかったら……。
腰に差したトンファーに手を伸ばす。
「大変だ‼」
今度は何だ。
取り囲む野次馬の間から、今度は別の悲鳴が聞こえた。
青年が青ざめた顔で人を掻き分け、ステラ達の元に駆け寄る。
「向こうで全裸の男が凶器を持っているんです‼」
「事件多発っスね」
「こういう時に限って‼」
フレディはステラを庇うように前に出た。
「悪いけど、ステラはそっちに行って欲しいっス」
「けどフレディ先輩を一人にするなんて出来ません!」
「自分も護身術の訓練は受けてるんで、これぐらいへっちゃらっス。それより殺人事件が起こる方が大問題っス。君は強いっスから、時間稼ぎを頼むっス!」
グッと言葉に詰まる。
行けと言わんばかりに、肘でお腹を押された
「応援もちゃんと呼んであるっス、来たらそっちに回すから、早く‼」
「お巡りさん、こっちです‼」
「気をつけてくださいね!」
「こっちのセリフっスよ!」
信じるしかない。仲間の心配より、市民の安全が優先だ。
案内する青年の後ろを追って、ステラは走り出した。
******
「いや、お騒がせしました!」
「あはははは……」
ステラの口元が引き攣る。
「大体、あんたがそんなややこしい格好をしているから!」
「何を言っている! 俺の一張羅だぞ!」
「まあまあ、お二方落ち着いて……」
もの凄く泣きたくなった。
あの後、青年に連れられてやってきたのは、商店街。
現着するなり全裸で刃物を持っている男性を探すが、一向に見つからず。
何処だ何処だと二人で探していると、青年は叫んだ。
「いた! あそこです!」
「……や、服着てますけど」
「そんなはずは……」
青年が叫んだ先には老夫婦が、連れ立って歩いていた。
そう服は着ている。
ただし全身ベージュ。
だが、手には確かに凶器らしき長い物が握られていた。
指を指し、ステラはすかさず呪文を唱える。
「スパーラン‼ (浮け)」
「うぉっ⁉」
老夫婦の、旦那さんらしき人物が持っていた物が、ステラの元に飛んでくる。
案内してくれた男性にぶつからぬよう、その〝物〟を受けて止めた。
「こ、これは……‼」
驚愕した。
長く芳醇な香りを立たせた熱々な感触。
太陽の光を反射して輝くのは、砂糖。
そう、これは。
「チュロスッ‼」
「だから私が用意した服の方がセンスいいって言ったじゃないか!」
「たまには俺だって自分の好きな服を着たいんだ!」
「だからといって何で上下ベージュなんだい‼」
「自然に溶け込んでいる感じがするだろう⁉」
返却したチュロスを持ったおじさんは、熱く語る。
「申し訳ありませんでした! こちらの誤認とは言え、急に私物を取り上げたことを心よりお詫び申し上げます‼」
「いいんだよぉ、お嬢ちゃん。これはこの人のセンスが原因なんだから!」
心の広い人で助かった。
ひとしきり頭を下げると、案内役の青年もおずおずと頭を下げる。
「あの、すいませんでした。僕と近眼で……」
「いいえ、危険がなかったのなら良かったです。でもあなたが危ないから今度から眼鏡をかけてくださいね」
「本当にごめんなさい! これから気をつけます!」
誰も怪我が無いのが一番だ。
とはいえ、無害な一般人に魔法を使ってしまった。これはド叱られ案件決定である。
「あんたも謝りな!」
「なんで俺が……」
「素敵なお洋服だと思います。今度お会いする時は、是非奥様のコーディネートも拝見させてください」
「素敵だってよ!」
「あんたは長年酒場に通ってるのに、リップサービスの区別もつかないのかい!」
せっかく収まり掛けた夫婦喧嘩が、再発しそうである。
ステラは「では失礼いたします」と言い残して、足早にその場を立ち去った。
夫婦と青年から遠ざかると、自然と駆け足になる。
解決した途端、ステラの頭の中は残してきたフレディのことでいっぱいだったのだ。
「(フレディ先輩……!)」
今頃応援が到着しているだろう。けれどもしもフレディに怪我があったら……!
嫌な妄想に掻き立てられ、気が急くばかり。
強張った顔で元来た道を戻る。
「……あれ? こんな橋渡ったっけ」
可愛らしいアーチを描いた橋が、向こう岸へと続いていた。
無我夢中で走ってきたから、覚えていないだけだろうか。
「(いや、やっぱり……渡ってないよ……ね……?」
渡り掛けた足を引っ込める。
もう一度引き返そうと後ろを振り向くと、やはり見覚えが無い気がしてきた。
「……もしかして迷った⁉」
最悪の展開だ、これは非常にまずい。
すぐさま指を鳴らして、呪文を唱えた。
「ケアハート・ヘルマイ! (召喚術)」
ステラの足元に小さな魔法陣が現れた。唱え終わると同時に煙を立て、小さな赤い毛玉が出現する。
「飯か?」
「さっき食べたばかりでしょ‼」
たっぷりとした赤毛の小さな狐。
学生の頃に、ステラが召喚に成功した相棒のウメボシだ。
素早く、その鞠のような身体を抱きかかえる
「まずいことになった、迷子だよ!」
「大事だな。で小生にどうしろと?」
「フレディ先輩の匂いとかわからない⁉」
「そうだな……」
ステラの腕の中で目を閉じた。
静かに鼻をならし、何か閃いたように鋭く目を開ける。
「わかったぞ!」
「どっち⁉」
「あっちだ!」
「流石ウメボシ! 格好いい!」
小さな前足で道を示した。なんと心強い、持つべきものは頼れる赤狐である。
ウメボシの案内に嬉々として、全くの別方向に走り出した。
「ここだ!」
「ここにフレディ先輩が⁉」
先ほどの橋からそんなに離れていない場所だった。
店の目の前には大きく〝カフェ・リザ〟と看板が出ている
ウメボシは声高らかに叫びを上げた。
「今この店でマフィンが焼きあがった!」
「マ……はぁ⁉」
全くの見当違いである。
ステラは頭を抱えた。
「食欲の権現か‼ って違うよ、焼きたてのマフィンじゃないよ! 探して欲しいのはフレディ先輩なんだって!」
「小生とてこんな場所は知らん。大体こんなに多様な匂いが混じった町で、一人の人間の匂いを追うなど、不可能に近い」
「仰るとおりですがね⁉」
この町の地図を覚えきれていないステラは、ウメボシを責める権利などない。
一歩入れば街全体が大きな迷路に成り代わるのだ。
ガックリ肩を落として、ウメボシを地面に降ろした。
「箒はどうしたのだ。上空から元の場所を探した方が良いのではないか?」
「急いでいたから置いてきちゃったんだよ」
あちこち走り回ったおかげで、完全に方角も分からなくなった。
勤務初日からこんなピンチに追いやられるとは微塵も視野に入れていなかった。
ステラはこの街の土地勘が全くない。
「詰んだ……」
「野宿でもするか? 警察官が一人で薪をすれば通報されて仲間に見つかるのでは?」
「名案! とでも言うと思った? おバカ!」
当てもなく歩く町並みは、嬉しいほど活発だ。
珍しいステラの髪色に、何人かの視線を感じるが、警察官の服を着ているからか誰も声はかけない。きっとパトロール中だと見られているに違いない。実際は只の迷子だが。
途方もなく、重い足取りで続く道を辿る。
「……おい、この建物は先程も見たぞ」
「そんなことないよ!」
「そんなことある。ほれ」
なんて不吉なことを言うのだ。
ウメボシがステラの肩に飛び乗り、尻尾を揺らした。
「先ほどのカフェだ」
「うっそん……」
違うとすれば、焼きたてマフィンが窓辺に飾られていることぐらいか。
グルグル歩き回り、自分の勘を信じて歩き続けた結果、大幅な時間を失ってしまった。
「恥を忍んで誰かに道を尋ねるしかないのでは?」
「許されるかな? 警察官が逆の立場になるって」
「許すも何も、帰らなければ皆が心配するだろう。青頭と分かれてから随分と時間が経っているのではないか?」
「そうなんだよ!」
ステラの焦る要因の一つだ。確実にあれから一時間以上は経っている。
きっと現場は撤収作業に入っている頃だろう。
それに、応援を寄越してくれると言っていた。駆けつけた同僚が、現場にいないステラを心配しているとしたら……。
「フレディ先輩を心配してたのに、掛ける側になるなんて!」
「現実は変えられない。出来る限り優しそうで、動きがゆっくりした声かけやすそうなマダムを狙うのだ!」
「それひったくりが被害者をターゲットにするときの基準だよ!」
最終作戦に入るため、ベンチに腰を掛け、人の選定に入った。
が、ステラだけ気付いていない。
必死になるあまり二人(一人と一匹)の目付きが悪くなり、話し掛けがたいオーラーを放っていることに。
もちろん道行く人は関わってはいけないといわんばかりに、そそくさと足早に去り行く。
「……誰も目を合わせてくれないんだけど」
「可笑しいな。こんなに我々が困っているというのに」
「受け身ばっかりじゃいけないんだ、あの人なんてどう⁉」
「よいではないか! 早速行くぞ!」
「ガッテン‼」
勢いよくベンチから立ち上がると、周りの市民がちょっぴり遠ざかった。
狙いをマダムに定め、大きく一歩踏み出そうとしたら。
「おい」
「ッギャ――――⁉」
後ろから肩を掴まれた。
人間は本当に驚くと、このような腹から出した雄叫びのような悲鳴を上げる。
そんなステラを驚かせた張本人は、小指を片耳に突っ込んだ。
「何をしているんだ、こんなところで」
「レ、レ……⁉」
「言葉を使え、言葉を」
「レオナルド――‼」
「やっぱり黙れ、五月蠅い」
なんということだ。頼れる人が一人もいないというこの状況で、まさかの旧友に再会するとは。
アルローデン魔法学校では衝突ばかりだった、ライバル。そしてこのドルネアート国の第二皇子である、レオナルド・ウル・ドルネアート。
すっかり幼さは消え失せ、そこにいるのは成人に近い男だった。
太陽の光を十分に浴びて輝く金髪、何処までも続く遙かな空を切り取ったような天色の目は勝ち気に吊り上がり。高い鼻梁と薄い唇は男らしい。
そんな彼が王国騎士団の鎧に身を包んで、ステラの後ろに立っていたのだ。
この時だけは神に等しく見えた。
「なんでこんな所にいるの⁉」
「仕事で近くを巡回していた。そしたら、向こうで警察官の服を着た赤毛の女が一般市民にメンチを切っているって、すれ違った市民から聞いたから見に来ただけだ」
「え? 何処に居るの? 不審者?」
「どう見てもお前だろう」
「嘘だ、私が不審者だなんて……!」
「小生達はただ迷子になっていただけだ! 不審者など、失礼な!」
「迷子?」
「何で言うかな⁉」
慌ててウメボシのマズルを押さえるが、もう遅い。
怪訝な顔をしたレオナルドは、後ろで成り行きを見守っていたもう一人の騎士団員に、小さく耳打ちをした。
「もうちょっとオブラートに包むとかしてよ!」
「まずかったか?」
「まずくはないけど、恥ずかしい!」
「この際捨ててしまえ、ちっぽけなプライドなど。ちょうどよいではないか、レオナルドに道を聞こう」
「とうとう奴に借りを作る時がやってきてしまった……」
こちらもこちらで作戦会議。
しかし、ステラと梅干しの無意味な会議より、レオナルド等の打ち合わせのほうが早く終わったようだ。
納得したような騎士団員は、小さく頷くと箒にまたがって空へ飛んでいってしまった。
「何をやっている、乗れ」
「え」
腹を括ってレオナルドに道を聞こうとするが、彼は何故か箒に跨がっている。
それも箒の少し後ろの方に乗り、前に人一人乗せられるスペースを空けていた。
「送って行く」
「いいよいいよ! 流石にそれは悪いから、道だけ教えて!」
「いいから乗れ。ここからアルローデン警察署までどれだけあると思っている」
「なんで私がアルローデン警察署所属って知って……そうだ、私が手紙に書いたんだった」
「早くしろ鳥頭」
「思い出したから鳥頭じゃない!」
「はいはい、そうだな」
やむを得ない状況だ。そう、これは! 仕方なく‼
ステラは自分自身に強く言い聞かせ、レオナルドの箒に半ばやけくそで飛び乗った。
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