二章 恋と仕事と誘拐犯
1,巨大なライバル
ここは、ある大陸に存在する国のうちの一つ、ドルネアート国。
中でも特に賑わいのある街、国王陛下のお膝元・アルローデン。王都というだけあって、お洒落なお店や流行の物が多く、とても華やかな街である。
その分人口も多いので、犯罪やトラブルも必然的に他の街より多発する。
そんな悪を撲殺するための組織とは? もちろん、警察だ。
アルローデンの中心地から、少し離れたところに構えるアルローデン警察署。
建物は厳格な雰囲気を醸し出しており、ルドベキアの花がモチーフとなった警察署が〝正義〟の文字を掲げて輝いていた。
この街の平和を守るための組織は、今日も忙しく回っている。
そんな警察署の窓を叩くのは、春先になると吹く、嵐のような突風、春疾風。
季節の風と共に、今年、一人の女が警察へ就職した。
その張本人は分厚い窓の向こうで――
「ううっ……」
「頑張れステラ、もうちょっとだ!」
「……もう嫌です! なんで入社して早々、こんなに勉強しなきゃダメなんですか⁉」
「特別講習中に言っただろ、勉強は就職後も必要だって」
「昇格試験の時だけって言ったじゃないですか‼」
「……頑張れ‼」
「ほら誤魔化した――!」
上司に噛み付いていた。
「ペンを持て、俺が新人時代の時に作ったレジュメを貸してやるから」
「うわーん‼ もう文字なんて見たくないよー‼」
入社したばかりだというのに早速泣き言を漏らしているのは、赤い髪の持ち主。
翡翠の中に蒼い星と閉じ込めたような瞳を持つ女、ステラ・ウィンクルだ。
「降参です!」と、叫んで、とうとう机に伏せてしまった。
「けどな、このカリキュラムが終わらないと現場に入れないんだぞ? お前だって早く娑婆の空気を吸いたいだろ」
「そうですけど! この間は初日からパトロールに行けたじゃないですか!」
「あれはお前の緊張解すための、ボードン署長の粋な計らいだ」
上司であるアルローデン警察署の副所長、ジェラルド・アニストンは一冊の分厚いファイルをステラの頭の上に置いた。本来の重さの三倍近くにも重く感じて、首が少々埋まる。
「昔はもっと酷かったんだぞ。俺たちの時代はまだ警察学校があったから、細かく専門的な所まで勉強したもんだ」
「……警察学校?」
どうも引っかかる単語だった。
置かれたファイルを払いのけて、頭を上げた。
「なんですか、それ。今はないんですか?」
「まあ、いろんな事情があってな……。そんなことより! これを早く解け!」
「ひぃん……」
アルローデン魔法学校に居た頃から勉強は苦手であったが、今も尚それは健在だ
渡されたファイルを射殺すようかな目つきで睨んでいると、会議室のドアが開いた。
「やってるかー?」
「ボードン署長! 次いつになったら私はパトロールに行けるんでしょうか⁉」
「ステラが例の勉強嫌いを発症しました」
「これはもうアレルギーの一種です‼」
「俺も昔は苦しめられたなぁ。クッキーでも食うか?」
一瞬二人のに会話にも名前が挙がった、署長のボードン・ハイレッドだ。
スキンヘッドに十字の傷が入った、厳つい顔と不釣り合いな可愛らしいクッキーが、ポケットから現れた。
「ありがとうございます!」
「あんまり甘やかしたらダメですよ」
「久しぶりの新人だから、どうしても可愛くてなぁ」
「目線が親戚のおじさんじゃないですか」
呆れて溜め息をつくジェラルドの横で、ステラは何の疑いもなくクッキーを口に詰め込んでいく。
「私って久しぶりの新人なんですか」
何気ない質問だった。
サクサクな口当たりのクッキーはほどよい甘さで、疲れた脳に染み渡る。
一枚食べては飲み込み、また一枚口に含み。あっという間にクッキーは少なくなっていく。
「久しぶりと言うか……うん、三年ぶりくらい?」
「……三年ぶり⁉」
思わずクッキーに伸ばした手が止まった。
「王都だったら人材が欲しいから、毎年入るんじゃないんですか?」
都会であればあるほど忙しい。
一人でも多くの人材確保をするものではないのか? そう思っていたのだが。
「……そろそろ教えてもいいんじゃないですか?」
「え――……まだ伏せておいた方が……」
「何言ってるんですか、知らせるなら早いほうが……」
「うーん……せめて研修が終わるまで……」
「いいえ、講習中に教えなかった俺の罪悪感をここで無くして欲しいです」
「お前の私情⁉」
「どうかしたんですか?」
ステラに背中を向けて、上司二人は何やら小さな声で話している。
別におかしな質問はしていないが、何かあったのだろうか。
「あ――……ステラ? ちょっといいか?」
「はい!」
残り数枚になったクッキーへ伸ばした手を引っ込めた。
真剣なボードンの眼差しは、いつもより凄みを帯びている。
「王国騎士団は、勿論知っているな?」
「はい」
ステラの向かい座っているジェラルドの横で、手を組む姿はまさしく警察官トップ。
何も悪いことをしていないのに、取り調べを受けているようだ。
「じゃあ、まずはそこからだ。王国騎士団とはどんな役割を持った組織だ?」
これは警察採用試験にも出てくるような基本的な質問だ。答えは嫌というほど頭にこびりついている。
「王国騎士団は、ドルネアート王国全体を守る組織です。海上部隊、飛行部隊など各部隊に分かれていて王族や貴族等特定の人物を護衛します。また各地魔物の被害が出ないように警固支援を行い必要とあれば他国との争いを制圧するために派遣する組織です」
どうだ! と言わんばかりジェラルドを一瞥すると、満足げに頷いてくれた。
「えらいぞ、よく覚えていたな」
「もう嫌って程叩き込みましたから!」
警察官採用試験を受けるまで、それはそれは大変だった。
後半の方は文字を見るだけで、身体が拒絶反応を起こしたものだ。
一般常識問題をカルバンに付き合ってもらい、専門課題はジェラルドに付き合ってもらい。最終的には眠らないように、相棒の赤狐、ウメボシに見張ってもらっていたのだ。
その甲斐があって今でも頭の中に覚えたことは、しっかり頭の中に残っていた。
「見事な模範解答だ。では、我々警察とは?」
「国民の生命財産を守り犯罪の捜査被疑者の逮捕。社会の秩序を守るための組織です」
「これもまた満点だ」
この問答は一体何の意味があるのだろうか。
ボードンは椅子から立ち上がると、窓のスクリーンを指で押し上げた。
「あまり君の耳には入れたくなかったが……。最近警察という組織に問題が発生している」
「問題?」
どんな内容かとジェラルドにアイコンタクトを送るが、彼は一切ステラを見ようとしない。
スクリーンの隙間からボードンの睨みを受けるのは、アルローデン警察署のから徒歩十分くらいの場所にある、アルローデン王国騎士団の本部だ。
悔しくも警察署より立派な建物で、威嚇にも近い存在感を放っている。
「実は、年々我々警察の仕事が減ってきている」
「減っている⁉ なんでですか⁉」
衝撃の告白である。
上擦った声を上げて椅子から立ち上がった。
「そんなこと一度も聞いたことありませんでした、秩序を守るためにいる警察の仕事が減るなんて……!」
すっかりクッキーの存在を忘れて、スクリーンの前に立つボードンへ食って掛かる。
この国が平和な国だから、という幸せな理由なら納得しよう。
だが、実際指名手配されている極悪人はいるし、先日起こったひったくりや、詐欺に万引き、痴漢等の犯罪は絶えない。
固唾を飲み込み、ボードンを見守っていると、ようやく重々しい口を開いた。
「……取られているんだよ」
「取られているとは?」
「仕事をな。王国騎士団に取られているんだ」
一瞬耳を疑った。
聞き間違いかとも思ったが、二人の顔を見る限り自分の耳は正常に働いているようだ。
「年々人材が向こうに流れていっている。王国騎士団の方が給料もいいし、何より部隊によっては世界が広い」
「そんな……警察だって公務員だし、地域の皆さんと触れ合えます!」
「そうだな、それが警察の魅力の一部だ。けど多くの若者は地域密着型の警察ではなく、王国騎士団というブランドに惹かれて、年々そっちを受けるようになったんだ」
「ブランド⁉ そんな肩書きで⁉」
「肩書き……そうだな、ステータスとも言うか。結果、王国騎士団は潤沢な人材が揃い、満足な仕事ができるようになった」
「受ける人が……警察は今年、何人採用したんですか?」
「お前だけだ」
「え……」
引いた。
地元の中小企業ですら、もう少し採用するだろうに。
「そんなに試験が難しかったでしょうか……?」
「違う、受けたのがお前だけだったんだ。去年はまだもう少しいたんだが、他の署に配属されてな」
自分が試験を受けに行った時は狭い部屋で、試験官とステラの二人っきりだった。
別の部屋で個別に試験を受けていると思っていたので、結局どれくらいの人数が志望していたのか、ステラは把握していなかったのだ。
それがまさか、自分一人しか受験者がいなかったとは夢にも思うまい。
「ここから俺達を追いやることになる」
「まだ続くんですか⁉」
嫌な予感は止まらない。
これ以上耳が痛くなる話は聞きたくないが、受け入れなければいけない現実もある。
ボードンは引き続き渋い声を捻り出す。
「組織は違えど、国を良くしようとする想いは同じ。そして、一部の騎士団員が地域の人々の役に立とうと、近年では地域の住民に声をかける活動が活発になった」
「ですが地域の住民と触れ合うのは、警察の方が歴史が深いではありませんか! 住民たちも頼るべき存在は警察だと思うのでは⁉ それに、私達の方が親しみもありますし話し掛けやすいと思います!」
ステラの中の王国騎士団は、剣を翳して勇敢に戦うイメージなのだ。
そんな地元民に近いイメージが持てない。
「……だ」
「なんですって?」
髪を耳に掛けた。
弱々し過ぎて、声を拾うことが出来ない。
「制服が……かっこいいから、だ……」
ステラに雷が落ちた。
「制服? かっこいい……確かにかっこいいですが……?」
「戻ってこい‼」
白く灰になりかけたステラの肩を、ジェラルドが激しく揺さぶる。
志半ばで入ったステラにとって、あまりにも厳しすぎる現実だった。
スクリーンを離し、ボードンは大きくため息を吐いた。
「薄々世間もこの事実に気がついている。だが明確に言葉にされないのは、警察の歴史を思慮ことだろう。王国騎士団の制服や鎧が格好いいから、と憧れのような存在になった奴らと、喋りたいと思った住民からも声をかけるようになった。そして王国騎士団と住民は仲を深めていったって訳だ」
「そんなミーハーな……」
「人間そんなものだ。……あと追い打ちをかけるようだが、近々警察は王国騎士団に吸収される可能性があるという話も……って口から魂が出ているぞ! 息をしろ、ひっひっふー!」
「署長、それはお産です‼」
いよいよ人の形を保つのも精一杯になってきた。
ジェラルドに背中をさすられ、譫言のようにぼやく。
「きゅうしゅう……うそだ……」
「あくまで噂だ! 今年はレオナルド皇子が王国騎士団に入り、より一層王国騎士団の熱が上がった。いよいよかと我々も思ったが!」
真っ白になったステラの手を、ボードンが強く握りしめた。
「今年はステラが入ってくれた! まだ数日しか一緒に働いていないが、俺は確信したんだ。警察は返り咲くと‼」
「あは、あははは……」
「めげるなステラ! 一緒に盛り上げていこう! そうだ、クッキーのおかわりいるか⁉」
「いや、これ聞こえてませんよ」
ジェラルドの言う通り、ボードンの言葉は、何一つ届いていなかった。
ただ彼女の頭には田舎に住む母と、育ての親であり魔法の師であるヒルおじさんが〝引っ越し屋開業〟とプレートを掲げて手を振っていた。
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