30,一番星


「キャ――‼」

「刃物を持っている‼」


「ひったくり……⁉」


 ステラの前から去ろうとした母親が、青ざめてマリーを抱き締める。


「道路の端へ逃げてください!」


 ステラは腰に差していたトンファーを引き抜いた。

 構えると、大勢の逃げ惑う人間の間から、男が飛び出してきた。手元には包丁が握られている。


「退け‼」

「誰が‼」


 がむしゃらに振り回す包丁を持つ手元を、トンファーで正確に叩き落とした。

 石畳と金属のぶつかる甲高い音が響く。


「いでぇ‼」

「おりゃ――‼」


 トンファーを回転させ、男の首を引っ掻けた。

 体重を掛けて、足元に男の身体ごと引き寄せる。

 刃物を持っていた手とは反対の脇に、女性もののバッグが抱えられていた。


「窃盗、及び銃刀法違反で現行犯逮捕します!」


 これで合ってるっけ⁉

 堂々と叫んだものの、ちょっぴり不安。




「ステラー‼」


 腰に付けてある手錠を取るのにもたついていると、男を追うように同じ方向から藍色の頭が走ってきた。


「フレディ先輩ー! ひったくり犯捕まえましたー!」

「お手柄っス‼」


 トンファーを外して、男の身柄をフレディに任せた。

 手錠を嵌めるところを眺めていると、少女の甲高い声が耳を貫いた。


「お姉ちゃん‼ 後ろ‼」


 ガキィン……!


「なんでだ⁉」

「わかってたよ」


 叫び声と同時に、ステラがトンファーの端を持って、頭上に掲げていた。

 一人の男が、ステラに向かってパイプを振り下ろしていたのだ。


 瞳の蒼い星が、未来を教えてくれる。


「公務執行妨害で逮捕します‼」


 トンファーの先で、背後にいた男の顎を突き上げた。

 鋭い突きをまともに喰らった男は、ゆっくり背中から倒れていった。

 民衆から歓声と拍手が沸き起こる。


「私の背後を取ろうなんて百年早いわ‼」


 ステラの決め台詞は伸びている男には聞こえていないようだ。

 ひったくり犯を押さえ込んだフレディが叫ぶ。


「手錠‼ 早くかけるっス‼」

「これ中々取れなくて……!」

「トンファーに手錠が引っかかってるな。お前専用の帯革を発注するか」


 腰の帯革から、聞き覚えのある声と共に手錠が抜かれた。

 記憶に新しいツーブロックが、慣れた手付きで伸びた男に手錠を嵌める。


「ジェラルド副署長! 帰って来たんっスか!」

「ついさっきな。署に戻ろうとしたら、ひったくりだーって聞こえたからこっちに来たんだよ。そしたら殆ど終わってたってわけだ」


 よし、と反動をつけて立ち上がった。


「なんだ、案外似合ってるじゃないか」

「お、お久しぶりです!」

「なんでそんなにどもっているんだ?」

「不意打ち過ぎて、頭が追い付かないと言いますか……」

「背後からの不意打ちは対処できるのにか?」


 ジェラルドは手錠が掛かったのを確認すると、白目になっている男を道路に転がした。


「こいつはフレディが押さえてる奴と共犯だな。用意してあった馬車に乗って、トンズラしようとしたところを、ステラが割って入ったってことだ」


 ジェラルドが顎で示した場所に、運転手のいない小さな馬車が残されていた。

 何の罪も無い馬が、道ばたに落ちている草を食んでいる。


「なんで後ろからの攻撃がわかったんっスか?」

「野生の勘的な?」

「野生の勘でさっきの攻撃を防げたらチートじゃないっスか! 自分にも伝授して欲しいっス!」

「止めとけ、ステラの野生の勘は天賦の才能だ」


数ヶ月間に渡って、近くで見てきたからこその格言だ。


 ジェラルドは、ステラのずれた帽子を直す。

 おまけと言わんばかりに頭を軽く叩いた。


「初日に大義だった」

「痛み入ります……」


 ジワジワと実感が押し寄せてくる。

 笑いそうになる足を撫でると、柔らかいものが太ももにぶつかった。


「わっ⁉」

「お姉ちゃん!」

「マリー!」


 あまりにも軽くて、少しでも足を振り上げれば飛んでいきそうな正体は、先ほどの少女だった。

 注意したばかりだというのに母親の腕から抜け出して、ステラの足元にしがみついている。


「お姉ちゃん、凄い! とっても格好よかったわ!」

「だろー、うちの期待の新人なんだぜ!」

「なーんでジェラルド副署長が割って入るんスか」


 少女を蹴ってしまわないように、抱き上げた。

 世界の汚れを知らない綺麗な目に、ステラが映る。


「マリーちゃんに怪我がなくてよかった! さっきは教えてくれてありがとう!」

「だって後ろからなんて卑怯よ! 許せないわ!」


 あの場面で叫ぶのが、どれほど勇敢なことか。

 他の誰も声が出なかったというのに、とんだ肝っ玉の持ち主だ。


「すいません、娘が勝手に……!」


 慌てた母親の元へ、少女が手渡された。

 それでも少女の視線はステラに釘付けだ。


「助けてくれてありがとう!」

「どういたしまして!」

「私ね、大きくなったら婦警さんになるわ! そしてお姉ちゃんみたいに悪い人を捕まえるの!」


 驚きで何も言葉が出ない。

 そんなステラに気付くことなく、少女は歯を見せて笑った。


「だから、私も今日から魔法の特訓を頑張るわね!」


 戸惑うステラの背中を、ジェラルドが優しく叩いた。

 喉に込み上げる感情を、舌の奥で追いやる。


「……待ってるね!」

「本当⁉ 絶対約束よ!」


 これが精一杯の言葉だった。


 今、ようやく泣いていた昔の自分と向き合えた気がする。


 母親に抱えられながら、いつまでも手を振る少女が、昔の自分と重なった。


「よし、応援を呼ぶか。お前ら二人は交通整理だ!」

「了解っス!」

「けど、ルーシーおばあちゃんの猫探しは?」

「そんなの、俺の手にかかればちょちょいのちょいっスよ!」

「なんだ、お前らまたあの猫探しだったのか?」


 いつまでも余韻に浸るのは、許されない。新しい仲間と一緒に、この街を守るための次の仕事へ向かうのだ。

 それでも、これからどれだけ仕事に忙殺されようとも、今日の出来事は一生忘れはしない。


 自分が婦警さんに助けて貰った日と同じくらい、大切で特別な日だ。


「もうちょっとでレティ達が来る。終わったら飯行くか!」

「っしゃ! もちろんジェラルド副署長の奢りっスよね⁉」

「今からの働きようによるな」

「ばちクソ働くっスよ、ステラ!」

「ガッテンです‼」


 いつか、自分を助けてくれた婦警さんに会いたい。

 今も働いているのか、何処の署にいるのかもわからないけれど、話がしたいんだ。


 感謝と畏敬の念を。今の自分を、どうか見ては貰えないだろうか。




 夕焼け空に一番星が輝いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る