27,記念すべき朝


 お母さんへ


 お元気ですか? 私は元気です。といっても、会ったのは三日前ですね。

 ウメボシも元気にしています。

 新しい部屋は築五年なので、物凄く綺麗です。シャワーも付いていて中々広いので、近い内に遊びに来てください。

 朝ごはんはパンを食べました。近所に人気のお店があるので、次帰る時にお土産へ……



「ステラよ!」

「なーにー?」


 朝陽が降り注ぐ窓辺で、母に近況報告の手紙を綴る。

 羽根ペンを置いて、書きかけの手紙のインクを乾かした。


「もうよい時間だ、出立の準備をするのだ!」

「よい時間って」


 急かすウメボシに釣られて、壁に掛かった時計を見上げる。

 窓から差し込む新しい光に輝く目は、翡翠に閉じ込められた蒼い星のよう。


「いやー……まだ一時間は早いんじゃないかなー……?」

「何を言っておる! 初出勤に遅れでもしたら大変であろう!」

「そりゃそうだけど」


 何故かステラよりやる気が漲っている。

 鼻息荒く、足元を掠めるフワフワ毛が擽ったい。


「念には念を、だ。行くぞ!」

「は⁉ だから早いって!」

「やる気を見せつけてやるのだ‼」


 ステラは知っていた。

 ラナからおやつという名の賄賂を受け取り、ステラの様子を定期的に報告する契約を結んでいることを。


「ウメボシさぁ……」

「なんだ?」

「……やっぱ何でもない」


 確実に太った。帰省中に更に太った。

 気を使って、そろそろ弄りにくくなってきたくらいだ。丸々と肥えて美味しそうにすら見えてくる。

 オリバー辺りに見られたら「非常食?」くらい言われそうだ。


「ほら、鞄だ」

「はいはい」


 いつまでもせっつかれては、書きたい物も書けない。

 ステラは渋々、羽ペンを机に置いた。


 鞄を肩に掛け、靴を履き替える。

 背中まで伸びた髪はポニーテールに。

 髪の色も目の色も、生みの親であるラナには全く似ていないが、髪がストレートなのは、どうも似たようだ。


「忘れ物はないな? 昼食は持ったか?」

「持ったよ。ウメボシのおやつもちゃんとあるよ」

「ならよい、行くぞ‼」


 おやつ、という言葉を聞いて目が光った。太ったお陰で貫録が付いている。

 威風堂々と歩く姿は、感動すら覚える。


「何故小生をそんな生暖かい目で見るのだ?」

「気のせい気のせい! いってきまーす!」


 誰もいなくなった部屋に鍵を掛ける。

 目を閉じ、すっかり暖かくなった空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。

 数日前の故郷と打って変わり、森の匂いは一切しない。肺を満たすのは建物の匂い。



 ゆっくりと目を開けた。



「ここからアルローデン魔法学校が見えるのか」

「小っちゃいけどね」

「どんな地方に飛ばされるかと思ったが、まさか学校の近くとはな」

「これだったら着替えも全部こっちに預けておけばよかったよ」


 大きな音を立てずに、そっと階段を下りる


 この広い広いドルネアート国。東西南北大小様々な町がある中、ステラが配属されたのは、まさかのアルローデンだった。

 三年間、ほぼ毎日見続けた建物が確認できるだけで、なんとなく心強い。


 まだ人気の少ない大通りに出た。

 もう後三十分もすれば、住民達が顔を覗かせるだろう。


「しかし王都というのは本当に広いものだな。一本道を曲がれば、全く違う景色になる」

「蟻の巣みたいだよねー」


 改めて周りの建物を見渡した。

 育った村では見ない、カラフルで、お洒落建物が揃っている。外に出る度に、雑誌で紹介されているような雑貨屋さんや、お菓子屋さんが代わる代わる目に飛び込んでくる。


「何回歩いても新しい発見があるんだから、やっぱり都会は凄い!」

「学校に通っていた頃はあまり外に出なかったからな」

「学生の時は、筋トレと勉強に必死だったから……」

「そうだったな。……あの店、老舗の菓子屋と聞いたぞ」

「これ以上太らせないよ⁉」


 リタやエルミラに、何度も遊びに行こうと誘われたことはある。だが勉強の復習に追われていたステラは、数えられるほどしか外出しなかった。

 行きたいのは山々だったが、卒業が優先だったため、どうしても遊ぶ時間が少なかったのだ。


 アパートから歩き出してほんの数分。味のあるレンガで建てられた、大きな建物の前で立ち止まった。


「今日からここで働くのだな」

「うん!」


 アルローデンに引っ越してきてから、何回も確認した道順。小さな脳みそに叩き込んだ道順を辿った結果、着いた先はアルローデン警察署だ。

 その佇まいは、威厳を醸し出しており、大通りの中でも一層目立っていた。


「何をしておる、さっさと入らんか」

「いやいや、流石に早すぎるって」


 向かいの店からコーヒーのいい香りが漂ってくる。

 そこで時間を潰そうと思ったが、ウメボシは許してくれなさそうだ。


「新入社員は始業時間の三十分前を目指しておくべきだ。そうすれば、やる気があるように見られ、先輩からも一目置かれる」

「なんで新入社員の心得をウメボシが知ってるの、って言うか私はやる気の塊だし‼」

「やる気の塊なのはわかっておるが、なんだかしおらしいな。もしや怖じ気付いておるのか?」

「そんなわけないでしょ⁉」


 お手本のような売り言葉に買い言葉。


 ウメボシの挑発に乗ったステラは、勢いよく警察署の扉を開いた。

]


 それは予想より大きな音で、ステラの初出勤を中にいる警察官達に知らせることとなる。


「張り切り過ぎだ、馬鹿者」

「うぐっ……」


 数々の事件を解決してきた屈強な戦士達の鋭い視線は、今までステラが浴びてきた好奇心の視線とは全く異なる。

 思わず一歩引きそうになった。


「おや、君は……」


 ステラは飛び上がった。

 なんと扉のすぐ隣で、一人の警察官が植物に水を与えていたのだ。


 ただ与えていただけなら、いい。問題は与えている人物だ。


「もしかしてステラ・ウィンクルかな」

「はひ……」


 スキンヘッドで強面。額から頬にかけて十時の傷が走っていた。

 どう見ても逮捕される側の風貌であるが、彼も警察官の服を着ている。

 手に持った如雨露がアンバランスだ。


「はははは! そんな力まなくていいよ」

「へへへ……」


 肩に手を乗せられるが、力が抜けるどころか、余計に入った。


 歳は五十歳前半くらいだろうか。ヒルおじさんよりも歳は上だろう。

 どうしたものかと困っていると、ステラの背中に軽い何かが乗っかった


「署長~! この子が噂の新人ちゃんですかぁ~?」

「おー、そうだ‼」

「えー‼ 超可愛い~!」

「あ、あの……!」


 ステラが慌てていると、ようやく背中の重みがなくなった。

 鼻先をすり抜けて現れたのは、ふんわりとしたアッシュブロンドの髪を、下で二つに緩く縛っている小柄な女性だった。

 大きな目がトロン、と眠たげに瞬かれている。


 昔、ハイジ先生がお土産で持ってきてくれた、ドレスで着飾っているやけにリアルな人形を思い出した。


 ステラよりも身長は低く、小動物を連想させる。

 しかし、着ている服は警察官の制服。紛れもなく、この女性も警察官なのだ。

 先ほどのスキンヘッドが如雨露を置いて、にこやかに手を差し出した。


「初めまして。俺はここの署長を務めている、ボードン・ハイレッドだ」

「はじめまし……署長っ⁉」

「あははは~! 驚いちゃったぁ~。署長が強面だからですよぅ~」

「そんなことはないだろう⁉」

「だって~。フレディの時もそうだったじゃないですかぁ~」


 署長、つまりアルローデン警察署のトップ。オエライサン‼

 頭の中で最終の答えに辿り着くと、直角に頭を下げた。


「挨拶が遅くなり、申し訳ございません‼ 本日より着任します、ステラ・ウィンクルです! 至らぬことばかりですが、ご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い致します‼」


 成功だ、噛まずに言い切った。


 実家を出る前に、ヒルおじさんと散々練習した社会人の挨拶は成功に収まった。

 だが、一拍置いて返ってきた反応は、ボードンの声ではなかった。


「や~ん! めっちゃ礼儀正しい~‼」

「こんないい子が来てくれて……‼ 俺は嬉しいぞ‼」

「やだぁ~、泣かないでくださいよぉ、署長~」

「常日頃‼ 俺はお前らにどれだけ胃を痛めつけられているのか、わかっているのか⁉」

「え~。私達は別に普通に仕事しているだけですよぅ~」

「無自覚なのが、尚更質が悪いんだ!」

「(思っていたのとなんか違う……)」


 そろそろとステラが頭を上げると、アッシュブロンドの女性に手を握られた。

 後ろでは、ボードンが頭を抱えている。


「はいはーい! 私はレティシア・キューブリック。レティって呼んでね~。あ、もしかしてこの子は使い魔⁉ 可愛い~!」

「小生⁉」


 気配を隠してステラの足元に座っていたウメボシ。白羽の矢が立つと、急にキョドる。


「しかも喋れるのぉ~⁉ なんて種族~?」

「うっ……!」


 屈んで、ウメボシの視線に合わせる。

 レティの勢いに押されたウメボシは、ステラの足の後ろに隠れてしまった。


「あれぇ~? 恥ずかしがり屋さん~?」

「こら、レティ。動物相手に急にそんなことするものじゃないわ」

「だって可愛いんだもん。ブランカだって可愛いので好きでしょぉ~?」


 カウンターの向こうに居た、プラチナブロンドのショートカットの女性。

 レティにブランカと呼ばれ、持っていたファイルを棚に戻す。


 一言で表すとまさしく大人の女性。モデルかと思ったが、当然彼女も警察官の服を着ている。

 ステラの背筋が再び伸びた。


「可愛いのは好き。だけど驚かせたら可哀想よ」

「でもぉ~……」

「全く……。びっくりさせてごめんなさい、私はブランカ・ニコラス。レティとは同期なのよ」


 迷うことなく、差し出された手を握り返した。


「こちらこそすいません、普段はあまり人見知りしないんですけど、緊張しちゃっているみたいで」


 警察署に入る前まではあんなに元気だったのに。

 ウメボシはバツが悪そうに「散歩に行ってくる!」と言い残して、開けてあった窓から飛び出してしまった。


「昼ご飯には戻っておいでよ!」


 慌てて後ろ姿を追うが、もう居なかった。


「あっちゃぁ~……やり過ぎちゃったぁ~?」

「わかっているなら、後で謝りなさいよ」

「すいません、ちょっと内弁慶なところがある子なんです」


 ほんの少しだけ、ウメボシの気持ちが理解できた。


 ステラやウメボシは、今まで年上の女先輩と絡んだことが、殆どないのだ。

 アルローデン魔法学校でも、合同授業なんてものは存在しなかったし、すれ違っても挨拶をする程度だ。

 主人が接し方をわかっていないのと同じように、ウメボシも困惑していた。


「あーあー。 綺麗どころがそんなに囲んだら、新入社員も緊張しちゃうっスよ!」

「今日もおべっかが上手ね、フレディ」


 棚の向こうから見えたのは藍色の頭だった。

 重たそうなダンボールを持ちながら、こちらに顔だけ覗かせている。


「噂通りの赤毛っスね。異色の同志が増えて嬉しいっス!」

「フレディはね、ネブライの出身なんだよお~」

「そうなんっスよ! 自分はフレディ・モーラ。よろしくっス!」

「よろしくお願い致します!」


 爽やかに挨拶しつつ、自分と対極の色が、どうしても気になる。


「ネブライって、確か黒や青系の髪が多いんですよね」


 ヒルおじさんに教えて貰った、遠い昔の話を思い出した。


「そうっス! 自分なんかは典型的なネブライの色っス!」


 その藍色の髪は、学生時代に溺れた海の底のような色だ。

 フレディは掛け声と共に、ダンボールを机に置いた。


「にしても、緊張してるっスね。あの卒業試験とはまるで別人っス」

「……卒業試験?」


 一瞬なんのことか理解できず、ワンテンポ遅れてフレディの言葉に首を傾げる。


「そうっス! 就職先に送られてくる、アピールポイントの卒業試験の動画っスよ。ジェラルド副署長の話も聞いてたんで、随分と熱い奴が来るもんだって皆で話してたんスよ!」

「え……? えぇっ……⁉」


 初耳だ。卒業試験が動画になっているなんて、知らされていない。

 ボードンがフレディの言葉に反応する。


「おお! 卒業試験は俺達もみんな感動したぞ!」

「わかりますぅ〜! レオナルド皇子がステラちゃんを庇って二人で墜落! 泣きながら友人を犠牲にしてまで叶える夢じゃないって言った、あの場面は胸アツでしたぁ〜!」

「それは同意できるけど……そこまでにしなさいよ。照れて茹でタコ状態だわ」

「や〜ん‼ 可愛い〜‼」

「穴があったら入りたいです……」


 そんな案内など、記憶の欠片もない。

 あったかもしれないが、慰安パーティーの時のように聞き流していた可能性が高い。


「(ちょっと待てよ……!)」


 嫌な予感。


「あの……」


 一番近くにいるフレディに縋る思いで、煩慮をぶつける。


「卒業試験の動画って、警察だけですよね⁉」

「うんにゃ、アルローデン魔法学校の卒業試験は、確か各生徒の就職先に送っている筈っスよ」

「ということは、王国騎士団にも……?」

「もちろん行ってるっス!」



 終 わ っ た 。


 つまり、レオナルドの卒業試験も王国騎士団に送付されている。

 レオナルドの卒業試験=ステラの卒業試験。大勢の王国騎士団員にも卒業試験は見られたわけだ。波が引いていくように、血の気が引いていく。


「挨拶もそこそこにして、先に制服に着替えましょう。着いてきて」

「はい……」


 今すぐ差し替えに行きたい。


 心の中で涙を流しながら、今はブランカの後ろを付いていくしか無かった。

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