28,制服に腕を通して


「ここが更衣室よ」


 ブランカの案内でやって来たのは、薄暗い一室。そこにはロッカーが何個か並んでいた。

 その内で抜かれている鍵の数は二本だけ。


「他の女性警察官の方は別のロッカーを使っているんですか?」

「え? あぁ……」


 素朴な疑問は、歯切れの悪い反応で帰って来る。


「そこら辺はおいおい、ね。とりあえず、好きなところを使ってちょうだい」


 言葉を濁して、ブランカは隅に置いてあった紙袋を持ってきた。

 ステラは大して気にも止めず、手前のロッカーを開けて殆ど荷物の入っていない軽い鞄を中に詰め込んだ。


「で、これがあなたの制服よ」

「わぁ……」


 長年憧れていた濃紺の制服を受け取り、胸に抱く。

 ビニール越しなのがもどかしい。


「サイズは合ってると思うわ、外で待っているから着替えたら声を掛けてくれる?」

「はい!」



 ブランカが出て行くのを見届けると早速ビニールを剥がす。

 中から出てきた制服に、胸が高鳴った。


「これが私の制服……!」


 開けてみると糊でパリッと皺一つない制服が出てきた。

 あの日、自分を助けてくれた婦警さんと同じ制服だ。

 そっと新品の布を、鼻に当ててみる。


「……うん、服だ」


 当然である。

 興奮のあまり、あの婦警さんの匂いがするのではないかと錯(さつ)覚(かく)したのだ。

 しかし香るのは、独特の新品な布の匂いだけ。


 気を取り直して、ピッチリ閉じた袖へ慎重に腕を通した。




「ブランカ先輩! 着替え終わりました!」

「似合ってるわ、首元は苦しくない?」

「大丈夫です!」


 濃紺の制服はビシッと、しかしフリルネクタイが胸元を飾り、お堅いイメージを和らげる役割を果たしている。

 布の素材は硬く見えるが、意外と伸縮性があって動きやすいようだ。


 レオナルドから貰ったチョーカーは隠れているので、公務中は問題ないだろう。


「走れそう? いつでも動けるようにしておかないと」

「足も肩周りも少し余裕があって、いい感じです!」


 元気よく両腕を上に突き上げて見せるステラを、ブランカは微笑ましく見守る。


「この制服は、防御性にも長けている特注品よ」

「防御性?」


 回していた腕を止めた。

 一見すると普通の服に見える。


「撥水性と耐火性を兼ね備えているの。刃物にも強いから、暴漢に切りつけられても一回くらいな致命傷にならないわ」

「二回目は?」

「保証出来ないから、早めに逮捕するか、応援を呼ぶことをお勧めするわね」

「肝に銘じておきます」


 持ってきていたトンファーの存在を思い出した。

 絶対腰に差してから外に出よう、と固く誓う。


「それじゃあ、仕上げね」


 ポフッと頭に帽子を載せられた。


 それは正義の言葉を持つ、ルドベキアの花をモチーフとした警察章が燦然と輝いている帽子だった。

 あの日助けてくれた婦警さんと、同じ帽子が自分の頭に乗っている。

 これが身の引き締まる思い、というやつだ。


「行きましょう、早速お披露目よ!」

「待ってください、なんだか緊張してきました……!」

「何言ってるの、自信を持って!」


 有無を言わさない迫力がある。

 これが婦警さんの持つ力か、と妙に納得してしまった。





 手を引かれるがままオフィスに戻ると、にこやかにレティが二人を出迎えてくれた。


「連れてきましたよ」

「え〜可愛い‼ めっちゃ似合ってるう~!」

「えへへ……ありがとうございます!」


 レティの言葉に釣られて、ボードンが顔を覗かせる。


「おっ! どれどれ!」

「署長、あんまり見すぎるとセクハラっスよ」

「俺は一体どうしたら……⁉」


 ブランカに背中を押されて一歩踏み出すと、大げさなほどの賞賛の嵐。

 一方的に浴びる褒め言葉に、ステラは只俯くだけだ。

 あの時出て行ったウメボシを引き留めなかったのを、今になって悔やむ。

 

 咳払いを一つしたボードンは、時計を見上げた。


「そうだな……。初日から緊張でガチガチなのに、机に向かうのは嫌だろう。とりあえず、今日はパトロールに出て街を覚えて貰うか。お前の今後のペアっ子だが、相手はフレディだ」

「よろしくっス!」

「よろしくお願いします‼」


 ステラより遥かに大きくてゴツゴツな手を握り返した。

 藍色の髪がフレディの目元で揺れる。

 それと同時に、就業開始を知らせる鐘が鳴った。


「朝礼するから上に上がれよー!」


 ボードンの一言に各方面から元気な返事が返った。

 

 ブランカの背中に、ステラは少しだけ気にしていたことを問いかける。


「あの、ジェラルド副署長はお休みでしょうか?」

「今日は出張なのよ、夕方には帰ってくると思うけど」

「そうなんですか……」


 特別講師としてしごいてくれたジェラルドに早く挨拶したかったが、出張となれば仕方がない。

 少しだけ肩を落とした。


「(制服姿、見て貰いたいな)」


 本音は、心細いから知り合いに会いたいだけ。

 ステラは屋上へ続く階段を見上げた。





 ゴーグルを装着し、箒を握りしめたまま大きく息を吐いた。

 記念すべき初仕事に、胸の高鳴りがやまない。


 ずっと夢見ていた瞬間が、ようやく訪れたのだ。


「大丈夫よ、そんなに緊張しなくてもフレディが教えてくれるわ」

「そうっスよ! けど俺も最初はそんな感じだったから、気持ちはわからなくもないっス……」

「そ、そうですよね、ははは…………」


 うまく笑えていないのは、自分が一番わかっていた。

 ロボットのようにカクカクなステラを見て、見送りに来たブランカは困ったように眉を下げた。


「確かに私も最初は不安だったわ。けどそんなに気負わなくても平気よ。最初は道を覚えるくらいの感覚でいいの」

「ブランカ先輩の言う通りっス! じゃあ早速、出発っスよ!」

「ま、待ってください!」

「気をつけてね、いってらっしゃい」


 ステラもフレディに倣って箒に跨がり、地面を蹴りあげた。みるみるうちにブランカの姿が小さくなっていく。


 何回も経験している筈の浮遊感でさえ、緊張の材料だった。




「にしてもよかったっスね。ジェラルド副署長から聞いていたっスけど、昔から警察に就職するのが夢だったんスよね?」

「そうですけど、まだスタート地点に立ったばかりです。これから頑張らないと!」

「向上心が高いことはいいっスけど、アクセル全開だと後々に疲れちゃうから、ほどほどお勧めするっスよ」


 少しだけ強い風が吹いた。

 前髪が靡いて、視界がクリアになる。


 広くて何処までも続いている街が、感慨深い。


「それにしてもステラが来てくれてほんとよかったっス! 自分一人だけだと、やっぱり浮くんスよ」


 フレディが自分の髪を一房掴んで、ステラに見えるように持ち上げる。ステラも無意識に自分の髪を弄った。


「ネブライの人の髪は初めて見たんですけど、綺麗ですね」

「でしょでしょ⁉ 自分でも案外気に入ってるんっスよ!」


 こちらでは好奇の目に晒されるであろう藍色も、フレディ本人の明るさで全てがポジティブに変換されているようだ。

 ステラは髪を再び後ろに流した。


「フレディ先輩は、なんでドルネアートで就職したんですか?」

「元々は留学でこっちに来てたんスけど、居心地がよくてそのまま就職しちゃったんスよ」

「へー! けどここからネブライって遠いんじゃないですか? 実家に顔出すのも、一苦労するんじゃ……」

「そうっスねー、特に自分の出身地なんて田舎中の田舎だから、船を使っても二日はかかるんスよ」

「二日⁉ それじゃあ警察官になってから、殆ど帰れてないんじゃないですか⁉」

「まぁ、なかなかタイミングがないっスね」


 ステラの実家もここから随分と距離がある。箒で半日ほどかかるが公共交通機関を利用すれば、多少の時間短縮は叶う。

 遠いと思っていたが、上には上が居た。


 寂しくないのか、と疑問を舌に乗せる前にフレディが声を上げた。


「事件っスよ!」

「事件⁉」


 ステラの心拍数が一気に跳ね上がった。

 着任一日目からこんな展開が待っていようとは、夢にも思わなかった。


「何処ですか⁉」

「あそこっス!」


 フレディが指さした方向に、大通りで一人の老婆が立っていた。

 ステラの目には何も変わったように見えない。


「ひったくりですか⁉ それとも暴行ですか⁉」

「まぁまぁ。とりあえず降りてみるっス!」

「はい!」


 先輩の言うことなら間違いないだろう。

 フレディの背中を追いかけて、ステラも一緒に地面に着地した。


「ルーシーおばあちゃん! こんにちはっス!」

「あらフレディちゃん、こんにちは」

「今日はどうしたんスか? こんな時間に外に出るなんて珍しいっスね」

「実はね、また飼い猫が逃げ出してしまったのよ」

「あらら……またっスか」


 ステラは一歩引いて、二人のやり取りを見守る。


 分かるのは、これが初めてではないということだ。

 注意深く、フレディの声色、表情、相槌を打つタイミングを観察する。


 老婆の目線に合わせて屈んでいたフレディは一通り話を聞くと、折っていた膝を伸ばした。


「わかったっス! ニャンコは自分達が見つけてくるんで、おばあちゃんは中で待ってて欲しいっス!」

「いつも悪いねえ……」

「いいんスよ、これくらい! ささ、中に入って入って! こんな直射日光を浴びてたら熱中症になっちゃうっス!」


 老婆が家の中に戻っていくのを見届け、二人は頷いた。


「……っていう事っス!」

「了解です!」


 迷うことなく、再び箒に股がって上空を目指す。


「さっきのおばあちゃんはルーシーおばあちゃん。さっきの家に住んでいる、最高齢のおばあちゃんっス! 息子さん達がいるんスけど、今は遠くの町にいるんっスよ。今はニャンコ一匹と仲良く暮らしてて、今回迷子になったのがそのニャンコってことっス!」


 ステラにも理解が出来るよう、簡潔に要点をついての説明だ。


「けど、なんで猫がいなくなったってわかったんですか? ルーシーおばあちゃんはただ外に立ってただけなのに」

「ルーシーおばあちゃんは日が照りつけるこの時間帯に、滅多に外に出ないんスよ。だからおかしいなーって思っただけっス」

「それだけで⁉」


 アルローデンに住む人間は、何千人単位だ。もしかして、一人一人の特徴を覚えているというのだろうか?

 ステラは身震いをした。


「まぁ特別お年寄りだから、自分も余計に目を掛けてるって事っス。つーわけで! ニャンコ探しに行くっスよ!」

「はい!」


 目を掛けていると言っても、たかだか外に出ているだけで何かあったと見抜けるのか。

 フレディの背中を見つめる。


「(凄い……)」


 観察力も動体視力も、並外れていなければ出来ない。

 ステラは口の頬の裏側を噛んだ。


「で、ニャンコの特徴は真っ白な身体っス! 首に付けてるリボンはピンクのレースに鈴が着いているみたいっス! 日替わりでリボンは変わるから、今後こういうことがあったら必ず聞くといいっスよ!」

「わかりました!」

「そんなに遠くには行けない筈っス。とりあえず一時間後、見つかっても見つからなくてもルーシーおばあちゃんの家の前で待ち合わせっス!」

「はい!」




 ……という感じで初任務の猫探しが始まったのだが。


「……おキャット様ー?」


 いない。

 ありとあらゆる木を順番に覗いていくが、影すら見当たらない。


 猫は高い木に登り勝ち。

 木に登って降りられなくなるというのは、よくあることだ。


「そういえばアルローデン魔法学校に入学した時、男の子を助けたなぁ。あれも猫が原因だっけ」


 デルマとの出会いは一応覚えていたようだ。

 それがまさか彼だったとは、認識していないようだが。


「ねぇママ! あのお姉ちゃん何やってるの?」

「こら! 見ちゃいけません!」

「(……私のこと言われてる⁉)」


 ハッと自分の服装を見下ろした。


 端から見れば、一人言をぼやきながら藍色の服に身を包んだ不審な女だ。

 しかも箒に立って、次々に木に頭を突っ込んでいるとなれば、通報ものである。

 初日から警察署にクレームが行くのだけは、勘弁願いたい。


「(無理矢理にでもウメボシを連れて来ればよかった!)」


 人や物探しであれば、人間のステラよりも動物の嗅覚を持つウメボシの方が、どう考えても適任である。

 就職する前に読み込んだ規定では、使い魔を仕事で召喚するのは認められていた。

 この街の何処かで欠伸をしているであろう相棒をこれほど渇望したのは、学生時代のキャンプの夜以来だ。


 次の木に頭を突っ込むと、ステラの耳に微かな声が聞こえた。


「   」

「ん……?」


 それは決して大きくない泣き声だが、確かに人間の泣き声。

 ステラは木から飛び降りると駆け出した。

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