21,卒業試験 3
「試合終了‼」
審判の合図で、タイムアップを知らされる。
「…………?」
来る筈の痛みがこない。
うっすらと目を開けた。
「なんで、」
目に飛び込んできた、その姿を見て愕然とした。
「ぐっ……!」
「レオナルド……‼」
自分より大きな背中が、ステラを庇って縄に捕まっていた。
レオナルドがゆっくり箒からずり落ちる。
「ダメッ……!」
咄嗟に襟元を掴んで、すぐ重力を軽くする。
お陰で落ちるスピードは緩まった。
何が起こったのか、今一度理解できず、うまく動かない頭でレオナルドの苦痛に満ちた顔を見つめる。
「あの教師、本気の魔法を練り込んでやがる……」
先ほどの景色がフラッシュバックした。
ステラが捕まる寸前で、レオナルドが間に割り込んだのだ。
ゆっくりと地面に二人が着地した。
有無を言わさず、ステラはレオナルドの身体から縄を解く。
「触るな! まだ魔法が「なんでっ⁉」」
痛みを伴う電気が煩わしい。
しかし、それ以上に煩わしいのは守られた自分だ。
地面に座り込むレオナルドの肩を掴んで、詰め寄る。
「あんた、自分が何やったかわかってる⁉ 捕まったの、失格‼」
「わかってる」
「わかってない‼」
「ステラさん! 落ち着いて!」
医務室の先生が宥めようと必死だが、耳に届いていない。
怒り狂うステラの手に、レオナルドはまだ痺れの残る手を重ねた。
解きほぐすように、優しく肩から手を離させる。
「……俺は、夢を叶えたお前を見たかった。ただそれだけだ」
「夢……?」
「そうだ。だからお前はここで捕まるべきじゃないと思った」
なんと自分勝手な理由だろうか。
レオナルドの肩に顔を埋めた。
「お、おい⁉」
「私の夢はっ……‼」
苦しげに、ステラの口から言葉が吐き出される。
「友達を犠牲にして叶えたい夢なんかじゃないっ‼」
勢いよく顔を上げた。
その目は潤んでいて、首元の宝石ですら霞んで見える。
煌めきの正体が涙だとわかるのに、時間はかからなかった。
「それにあんたが言ったんでしょ⁉ 助けるつもりでも自分が傷付けば周りが悲しむって! 自己犠牲な行動で心配する人の身にもなれって‼」
決壊したダムのように涙が溢れ出し、頬に幾筋もの道を作る。
人一倍勝ち気で、誰よりも強くあった彼女が、自分のために涙を流した。
「こんな皮肉な体現しないでよぉ……‼」
とうとう本格的に座り込んで泣き出してしまった。
普段のステラの姿から、誰が想像できようか。
「おーい! そろそろ結果発表が……え⁉ 何⁉」
散らばった縄を撤去していたカルバンが、見かねてやってきたのだ。
泣いているステラを見て、目をひん剥く。
「大丈夫よステラさん、行きましょう。ゆっくりでいいから……」
「え? えぇっ⁉」
「レオナルド君も立てるかしら?」
「は、はい」
「待って待って! 何この空気⁉」
カルバンはただ学校の方針に従って、生徒に試験を実施しただけ。
しかし、まるで自分が悪者になったかのような空気に、変な汗が出た。
医務室の先生とカルバンに見送られ、二人は皆が集まるグラウンドへ重たい足を引き摺る。
「泣くな、俺らは俺らなりに頑張っただろ」
「ズビッ……でもレオナルドは捕まっちゃった……失格だ……」
レオナルドがポケットからハンカチを取り出した。
「ほら、顔拭いとけ」
「うぅっ……」
受け取ったハンカチで目元を拭いながら、グラウンドで他の生徒に交じり、発表を待つ。
「これより、結果発表を開始する‼」
開会式と同じように、学園長が前に立って羊皮紙を掲げる。その中に合格者の名前が綴られているのだろう。
ステラがレオナルドの裾を引っ張った。
「な、なんだ」
また泣かれては困る、と言わんばかりに身を引く。
「言いそびれてたんだけ」
「あぁ」
「……守ってくれて、ありがと」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声。しかも物凄く早口。
それでもレオナルドには、ちゃんと届いていた。
「どういたしまして」
とうとう合格者の名前が発表される。
中にはステラがよく知る名前もあった。
「――――オリバー・ユックス、エルミラ・クラドラーク!」
「っしゃ!」
「当然ですわ」
少し離れた場所で、オリバーがガッツポーズを決めていた。エルミラも得意気に扇子を広げて笑みを浮かべる。
意外な二人がコンビを組んでいたものだ。
「――――デルマ・コールマン、リタ・レブロン!」
「ふん、当然さ!」
「はぁ~……これで就活に専念できるわね……」
毎日のように自分が呼ぶ名前が読み上げられ、ステラの肩の力もほんの少しだけ抜けた。
淡々と上げられる同級生の名前を、横流しに聞く。
「……そういえば、なんでトンファーなんて持っていたんだ?」
「エドガー師範が教えてくれたんだ。キャンプの時、熊と戦ったでしょ? あれを見てたみたいでさ。素手だと相手が凶器を持っていたら危ないから、トンファーを極めたら怪我する可能性も低くなるんじゃないかって」
「あぁ……」
それで秘密の特訓をしていたのか。泥にまみれていたあの日を思い出した。
皇太子という、上位に君臨する称号を持つ赤毛の友人が、目の前の赤毛の少女を背負って現れた日。
レオナルドの中でようやく辻褄が合った。
「これで熊に襲われても大丈夫だもんね、もうあんたにも負けないんだから!」
「次の合格者は――……その協力し合う姿は、まさしくこの三年間で育んだ絆で――……」
「どうだか。ナックルだろうがトンファーだろうが、お前に負けるわけないだろう」
「なんだってぇ⁉」
「美しいコンビネーションを讃(たた)え、合格とする! レオナルド・ウル・ドルネアート、ステラ・ウィンクル‼」
「「……はい?」」
いつも通り顔を突き合わせ、喧嘩勃発までのカウントダウンが始まったタイミングで、お互いの名前が呼ばれた。
観客席から、他の生徒達へと向けられた、同じ熱量の賞賛が降り注ぐ。
何が起こったのかわからない二人は、思わず顔を見合わせた。
「……合格?」
「した、みたいだな」
まだ現実が受け止めきれていないようで、ステラは首を傾げたままだ。
続々と他の合格者の名前も公表され、ようやく学園長の読み上げる声が止まった。
「――――では、以上を以て合格者の発表を終了とする!」
持っていた羊皮紙が丸められる。
それを見たレオナルドが、今度は頭を傾げる番だった。
「待ってください‼」
締めの流れであった空気をぶった切ったのは、レオナルドのすぐ隣に居る男子生徒。
その後ろには、困惑や不満といった感情丸出しの生徒が並んでいる。
「なんだね?」
「僕はこの鬼ごっこに捕まっていません! なのに呼ばれていない! 他の生徒は捕まっても合格者が出ている、これでは納得がいきません‼」
「言うと思った」
レオナルドはステラを寄せると、巻き込まれないように彼らから距離を置いた。
ステラは小さく聞こえた一人言の意図がわからず、レオナルドの耳元に聞き返す。
「どういうこと?」
「俺達以外にも捕まっている奴らは沢山いただろう。なのに俺らみたいに合格した奴もいれば、落ちた奴もいる。なんなら捕まっていないペアでも、合格者リストの中に名前が無い。これはまるで基準がわからない」
「え、あ、ああ‼ なんだろうね⁉」
「お前、気付いていなかったな」
図星である。
こんな追い詰められた状態で、よく他の生徒を観察できたものだ。
しかしこのままにしておくと〝王族であるレオナルドが合格したのは、ただの依怙贔屓!〟と、言い出しそうだ。
男子生徒達を制するように、学園長は大きく咳払いをした。
「卒業試験には大きな課題が隠されておる。それを汲み取って挑んだ者、挑まなかった者を篩いにかけたのじゃ」
「課題⁉」
そんな物が隠されていたのか、特に深く考えていなかった。
だが、合格したということは課題をクリアしていたのだろう。
学園長が生徒全員の顔を見渡した。
「この鬼ごっこで儂が確認したかったもの。それは如何にして仲間と守り合えるか、じゃ」
「守り合う……」
ハッとステラが自分の試合を思い出す。
ステラはトンファーでレオナルドの縄を落とし、またレオナルドも身体を張ってステラを守った。
この事実はまさしく課題を満たしていたのだ。
「君は、確かに鬼ごっこで捕まらなかった」
「うっ……」
何処までも心を見透かすような 学園長の瞳が、男子生徒を捕らえる。それは決して責めることはない、とても澄んでいる瞳だった。
「しかしペアの子はどうかな?」
「それは……」
すぐ側にいる、ペアを組んでいたそばかすの男の子が下を向いた。
彼の頬には大きな絆創膏が貼られている。
「君は大切な仲間を囮にして、自分だけ助かった。そのような心で、卒業させるわけにはいかん」
デルマと話した時、自分で言い放った言葉を思い出した。
まさしく人間性剥き出しの試験。
「卒業試験をクリアし、友を守る強さを持っている者を! この場を以て卒業させることを宣告する‼」
観客席が今日一番の盛り上がりを見せた。
色とりどりの花弁が舞い、死力を尽くした生徒達を祝福する。
ジワジワと喜びが身体を這い上がってくるような感覚に陥った。
「……卒業、出来るんだよね?」
「らしいな」
「私もレオナルドも、一緒に?」
「って、学園長が言っていたな」
「……った……」
「うおっ⁉」
ステラがレオナルドにタックルを決めた。
正確には抱擁を交わしたかったのだろうが、如何せん勢いがありすぎて、タックルに変わってしまったのだ。
二人が地面に転がった。
「よがっだよぉ……‼」
「いってぇ……」
レオナルドは何事かと上半身を起こし、咄嗟に瞑った目を開けると、ギョッとした。
目と鼻の先に赤い旋毛が見える。
首には腕が回されていて、小刻みに震えていた。
「わかったわかった‼ お前が嬉しいのはわかったから退いてくれ‼」
今は公共の場。焦るのは当然だった。
「だっでぇ……‼ もうダメがどおもっでぇ……」
「泣き止め‼」
そんな世間体など、お構いなし。今日のステラは涙腺が崩壊気味のようだ。
腕を下ろさせて、ハンカチを顔に押し当てた。
「受かったんだから、いつもみたいに飛び跳ねたらいいだろう⁉」
「それでもぉ……‼」
どれだけレオナルドが声を掛けても泣き止む気配は無く、それどころか拍車を掛けて、泣き声が大きくなる。
女性の泣き止ませ方なんて、一切知らない。
昔、転んで泣いていた自分を、母が抱き締めてくれたのを思い出した。
痛くて不安だった気持ちが、その温かさで一瞬にして溶けて無くなったのを、子供心に不思議に思っていたのを覚えている。
ステラの背中に、今度はレオナルドが腕を回した。
「泣き止め、こういう時は笑って喜べばいいんだ」
落ち着かせるようにゆっくり背中を撫でてやる。
すると、震えが止まった。
「レオナルド……」
「(もういいか?)」
服を控えめに引っ張られ、涙声がマシになっていることに気が付いた。
腕を解いて離れると、そこには顔を真っ赤にして表情が引きつっているステラ。
「あの……」
「なんだよ」
「皆が見てる……」
レオナルドが深く息を吸い込んだ。
「お前が事の発端だろうが‼」
「ごめん‼」
レオナルドの怒号は歓声に掻き消されていった。
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