14,師範と呼んだ日


 明るく華やかなアルローデン魔法学校。

 しかし、日があるところには必ず陰がある。

 生徒達に忘れ去られ、教師陣からは目も掛けられず、用務員の手も入っていない。


 そんな場所が、構造上この学校にはいくつかあった。



「――来たね」 


 植物の蔓が壁を伝って不気味さを醸し出している。

 苔が生えた壁に、腕を組んで寄りかかる人物がいた。


 エドガー・ダリス・セレスタン。


 アルローデン魔法学校に講師として赴任してきた隣国の皇太子だ。この学校では〝エドガー先生〟として慕われている。

 太陽を背負い、エドガーの前に現れたのはフードを目深に被った人物。


「準備はできたかい?」

「はい」


 フードの下から出てきたのはエドガーと同じ赤髪。

 この学校の生徒で唯一セレスタンの血を引く少女、ステラ・ウィンクルだ。


「今日もよろしくお願いします。エドガー先生……いいえ、エドガー師範」




 ******




「……あれ? ステラは?」

「さぁ? 最近授業が終わったら消えるのよ。こう、ふっ……って」

「あいつ生き霊になったのか?」

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと書いてしまえ」


 茶化すオリバーの頭に、レオナルドがペラペラの紙を置いた。

 そこにはでかでかと〝進路希望調査〟と書かれている。


「ステラなんて、貰った瞬間に書いて何処かに走って行ったのよ」


 リタも流れるような字で項目を埋めていく。

 その手に迷いは一切無い。

 レオナルドに見守られながら、オリバーも渋々ペンを手に取る。


「それにしても、早いよなぁ。言ってる間に俺達も卒業が見えてきてるんだからさ」

「そうね……」


 ペンを置いたリタが窓の外を見上げる。

 何処までも続く晴天は、彼らの頭上に広がっていることだろう。


「え、もう寂しくなったのか?」

「そうじゃないけど」

「レブロンらしくないな。やけにしおらしい」

「だって……!」


 奥歯を噛み締めたリタがペンを握りしめた。


「エドガー様がもうすぐ国に帰るのよ⁉ あなた達はなんとも思わないの⁉」


 二人は黙り込むしか無かった。

 リタのエドガーに対するミーハー魂は、日に日に増していく一方。

 間近でそれを見ていた友人の彼らに、掛ける言葉は見つからなかった。


「つってもあと一ヶ月はいるらしいし? リタが悲しむ気持ちもわかるけどさ、残された時間を楽しもうぜ!」

「一ヶ月‼ 来月‼ すぐそこよ‼」


 オリバーの懸命な励ましは、本来の意味を成さずにリタを苦しめるだけだった。

 飛び火はレオナルドにまで届く。


「いいわよね、レオナルドは。王族だから、これかも会う機会が沢山あるでしょうね!」

「まぁ……あいつとは幼なじみみたいな物だから……」

「幼なじみ‼ なんて甘美な響きなの‼」


 エドガーの話になると、リタは止まらない。

 オリバーが優しく背中を撫でた。


「まぁまぁ! 男前ならここにいるだろ? ここいらで妥協して……ごめんなさい、そんな目で俺を見ないで!」

「男前? 何処?」

「レブロンも大概いい性格してるよな」


 レオナルドは、涙目で助けを求めてくるオリバーを押し退けて、鞄を肩に掛けた。

 こんな時のリタは放っておくのに限る。


 さっさと退散しようとすると、出入り口から鳥の巣のような頭が現れた。


「おーい! レオは残っているかー?」


 教室の入り口で、カルバンが大量の書類を持って中を覗き込んでいた。


「なんでしょうか?」

「よかった、まだいたか」


 ほい、と書類を半分渡される。

 ずっしりとした重みが、レオナルドにのし掛かった。


「お前今日、日直だろ? ちょっくら仕事手伝ってくれ」

「わかりました。これは何処まで?」

「えっとなー……」


 まぁ、所詮は日直の仕事。少し付き合えば済むだろう

 ずり落ちた鞄を再び肩に掛けて、カルバンの後ろについた。





「いやー、悪いな、手伝って貰って!」

「いえ……」


 舐めていた。

 この教師、たとえ皇子だろうが何だろうが、容赦なく仕事を押しつけるのだ。


 空はすっかり黄昏時。

 とっとと終わらせ、寮で自主練をしてから食事をと計画していたが、そんな時間はなさそうだ。


「気を付けて寮に戻れよー」

「はい、失礼します」


 折角の計画が台無し。とはいえ生徒である以上、日直というのは避けようのないイベントだ。




 レオナルドはポケットに手を突っ込んで、早足に廊下を歩く。


 空気が冷たくなって、冬がもうすぐそこまで来ているのだと感じさせられる。

 ポケットの中で、今日配られた進路希望調査の紙が手に当たった。


「(進路希望調査か……)」 


 キャンプでステラと一緒に見た星空を思い出す。その星を見上げる宝石のような瞳が、忘れられずにいた。

 ポケットの奥に、紙を押し込んだ。

 

 少し歩いたところで、スピードを緩める。


「……近道するか」


 道から外れて中庭を突っ切る。

 褒められた事ではないが、この時間なら誰とも会わないだろう。

 たとえ他の生徒と今すれ違っても、お互い「うわ、こいつ居残りか。ドンマイ!」くらいしか思わないのだが。




「おっと」

「……⁉ エドガー、か?」


 何故ここに。

 予想外すぎる姿に、思わず鞄を落とした。


「何をしているんだ……⁉」

「いやぁ……ちょっと、ね」


 何より驚くべきなのはエドガーの腕の中だった。


「それ、」

「二人ではしゃぎ過ぎてしまったんだ」


 大切そうに抱えていたのは、泥だらけになって眠りこけるステラだった。


 しかも。


「スピョー……スピョー……オンタマァ……」


 寝言付き。


 逢瀬、なんて色気があったもんじゃない。

 よく見ればエドガーにも泥が跳ねており、靴も無残なことになっているではないか。


「公園帰りの親子か」

「当たらずとも遠からず、だよ」


 落とした鞄を拾い、エドガーの腕からステラを引き取った。

 思ったより軽い身体に、少し緊張する。


「俺も今から寮に帰る所だ。ついでに持って行ってやるよ」

「ついでって」

「ぐぅ……」


 今度はレオナルドの腕の中で、満足げに口元を緩めている。


「何をやっていたんだ?」

「内緒。ステラからも口止めされているんだ」


 レオナルドの片眉が動いた。

 いつの間に呼び捨てで呼ぶ仲になったのだろう。


 そんな様子のレオナルドを気にせず、エドガーが服の泥を払った。


「ここでレオに会えてよかった」

「あぁ、そんな格好でこいつを抱えて寮に行ったら、周りになんて言われるか、」

「そうじゃなくて。明日帰ることになったんだ」

「……はぁ?」


 寝耳に水だ。

 ステラが寝ているにもかかわらず、焦りで声を荒らげる。


「なんでだ、まだ帰るのは一ヶ月先だろう⁉」

「先ほど父から連絡が来てね。急遽戻って来るようにって」


 残念ながら、レオナルドの頭は追い付いていない。

 自分の手より大きく、堅い手が頭に乗せられた。


「君とは昔からの付き合いだ。本当の弟のように思っている」


 髪をグシャグシャにされるが、抵抗する術もない。


「ここに入学する前までは不安定な所もあって、心配していたんだ。だけど、もう心配なさそうだ」


 温かな手が離れていった。


「一度ルカともゆっくり話してみたらいいんじゃないかな。今のレオなら、ルカも話を聞いてくれるよ」

「どうだかな」


 実の兄であるルカ・マーティス・ドルネアート。

 その名が出ると、レオナルドの声が低くなった。


「兄上には何を言っても無駄だ」


 ステラを抱える腕に、力が入る。


 日が完全に落ちた。

 レオナルドの表情は、エドガーから見ることは出来なかった。


「ルカもルカなりにレオを心配してるんだよ」

「どうだかな。昔からあの人の考えていることはわからない」

「そうかな」


 エドガーは、ステラの頬についた泥を拭った。

 その目は我が子を慈しむ親のようだった。


「もう行くよ。ステラに身体を壊さない程度に頑張れって、伝えてくれるかな」

「覚えていたらな」

「そこをなんとか頼むよ」


 レオナルドが過去にエドガーとの約束を反故したこと等、一度たりとも無かった。

 それを見越して、レオナルドに伝言を託したのだ。


 エドガーはレオナルドが小さく頷いたのを見届けると、闇に溶けるように消えた。

 その場に残されたのは、レオナルドと泥だらけのステラだけ。


 キャンプで行った孤島ほどではないが、星が出ていた。


「……どうするかな」


 きっとリタにこんな所を見られたら質問攻め合うだろう。

 覚悟を決めて寮を目指すことにした。






「うぅっ……!」

「エドガー様がいなくなるなんてっ……‼」

「私、耐えられませんわ‼」


 よく晴れた早朝。

 校門前では、むせび泣く生徒(主にお嬢様軍団)に見送られ、旅立とうとするエドガーの姿があった。

 ステラは巻き込まれないよう、少し離れた場所で見守っている。


「よいのか?」

「なにが?」

「あんなに懇意にしていたではないか」

「しっ‼」


 ウメボシのマズルを掴んだ。

 涙をハンカチで拭うリタを横目で確認し、聞かれていないかチェックする。


「内緒だってば!」

「む、そうだったか」

「エドガー様……」


 涙するリタが美しい。

 これが噂に聞くアイドル泣きか。


 エドガーは律儀に声を掛けてくる生徒に一人一人対応しているが、時間は待ってくれない。


「ごめんね、皆。もう出発の時間だ」


 悲鳴が響く。

 レオナルドが耳を小指で塞いだ。


 女子生徒に囲まれているエドガーの側に、黒い服で身を包んだ女性が近付く。ステラよりピンクがかった髪で、褐色の肌が特徴的だ。


「エドガー様。馬車が……」

「あぁ。行くよ。その前に」


 遠くにいるステラと、目が合った。

 いつもの優しい笑みを浮かべると、生徒の波を掻き分けステラの元へやってきた。


 リタが小さく悲鳴を上げるのと反対に、ステラは唇を尖らした。


「びっくりしました」

「ごめんね、昨日急に決まったんだ」

「わっ」


 ステラの髪を、昨晩のレオナルドと同じようにに掻き混ぜた。


「伝えたいことがまだまだあったんだ。手紙を書くよ」

「わ、私も! いっぱい書きます!」

「またセレスタンにも遊びにおいで。その時は案内するよ」

「本当ですか⁉ 絶対ですよ!」

「はいはいタイムアップだ」


 二人の間に割り込むように入ったのはレオナルドだ。

 ステラを庇うように背に隠し、馬車を指さす。


「早く行け。御者が待ってる」

「ちょっと! 私が話してたんだけど⁉」

「お前は引っ込んでいろ」


 一層微笑みを深くしたエドガーは、外套を靡かせた。


「次会うのが楽しみだ。二人とも元気で」

「おう」


 馬車の扉が開かれ、本当に別れの時が来た。

 咄嗟に、ステラはエドガーの外套を引っ張ってしまう。


「っ……師範!」


 少しだけ驚いた顔で、エドガーは振り返った。

 扉の側に控えていた、ピンク色の髪の女性が身構える。


「私、師範に教えて貰ったこと、絶対物にします‼」

「師範?」


 レオナルドの疑問は、流される。


「だから、また成果を見てくださいね!」

「もちろん。その時を楽しみにしているよ」


 〝その時〟とは、果たしていつになるのだろう。

 きっとステラの目で視ればすぐわかる。しかしそんなことしなくても、必ず会える。

 

 今はただ、〝その時〟を心から待とう。


 エドガーを乗せた空に浮かぶ馬車を見上げる。

 馬が力強く前足を上げ、空を駆けていった。




「行っちゃった……」

「エドガーから伝言だ」


 一緒に空を見上げたレオナルドはステラの目を見ること無く、エドガーが乗った馬車を見つめ続けている。


「身体壊さない程度に頑張れってな」

「優しいなぁ……」

「あぁ、あいつはいつだって優しい奴だ」


 鼻の奥がツンと痛くなった。


「それで、あいつは何の師範なんだ?」

「内緒」

「ふうん……」


 昨日のエドガーと全く同じ返しだ。面白く無さそうに、レオナルドは背中を向けた。



 数秒遅れてステラも振り返ると、とんでもない現実が待ち受けていた。


「ステラ……?」

「げ」


 リタの存在を忘れていた。

 感動の別れを堪能した後に待っていたのは、目の笑っていない親友。


「なんだかエドガー先生と随分仲よさそうだったけど?」

「ソンナコトナイヨー?」

「それに頭だって……‼」

「あ! 授業始まる!」

「待ちなさい‼」




 もうすぐ二年生が終わる。

 休暇が明ければ三年生になり、自分の将来を真面目に考えなければいけない。


 こうやって、友人とじゃれ合う時間が終わるのはもうすぐなのだ。

 

 馬車は遙か遠く、ドルネアート国の空に消えた。

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