13,授かった新しい光


「見たいものは見れましたか?」

「お陰様で。すいませんでした、僕の我が儘に付き合わせてしまって」


 エドガーは、カルバンの準備室で煎れたばかりの熱いコーヒーを喉に流し込んだ。


 安いカップですら最高級品の陶器のように見えてしまう。

 これが皇太子マジックか。


「我が儘だなんてとんでもない‼ 僕も面白いものを見せて貰いました。まさかあのエルミラが最後まで残るなんて」


 いつもの語尾を伸ばす、ゆるゆるスタイルは何処へ行ったのか。

 皇太子を目の前に、流石のカルバンも気を引き締めているようだ。


「彼女以外でも、貴族出身の子が何人か残っていましたね。意外な成績表になりそうだ」

「自分も、生徒があんなに成長してるなんて思いませんでした。……まぁステラは大方の予想通りでしたが」

「ステラ・ウィンクルですね」


 エドガーの中で、ステラと初めて出会った時の事は鮮烈に残っていた。

 輝いていた蒼い星が脳裏から離れない。


「あの瞳……」

「不思議な色をしていますよね。自分にもセレスタン出身の知り合いがいるんですけど……」


 カルバンの声が遠くに聞こえる。





 あれはいつだったか。そうだ確か十を少し過ぎたぐらいだろうか

 早くに母を亡くしていたエドガーに、唯一肉親と呼べるのは父だけ。

 強く優しく、民に慕われた最高の王と讃えられる父は、何よりの自慢だった


 あの日、記憶は定かでないが、父に何か用があったのだと思う。

 宮殿中を探してもいなくて、最後に居住区へ走ったのを覚えている。


『父上!』


 ようやく見つけた。居住区の一角で、父はフードを被った誰かと一緒だった。


『(あれ? 何でここに僕達以外の人間がいるんだろう……)』


 しかも父が立っていた部屋は、代々ご先祖様の姿絵が祀られている部屋だ。


『エドガーか』


 蝋燭の火すら灯っていなくて、よく顔が見えなかったが、確かに父の声だった。

 薄暗い廊下の中で、何かを抱えている。


『ふぇん……』

『……赤ん坊、ですか?』

『そうだ。お前は間近で見たことなかったか』


 父が屈んで、見やすいようにおくるみの布を取って見せた。

 中から現れたのは自分達と同じような赤毛。

 恐る恐る覗き込むと、丸くてふくふくな頬。ほのかにミルクの香りがする。


『わぁ……』

『可愛いだろう』


 男の子だったのか女の子だったのか、それは未だにわからない。


 父にその後も何度か問いかけたが、はぐらかされてばかりだったのだ。

 ただ覚えているのは、自分の人差し指を握った力強さと、屈託なく自分に笑いかけた顔。

 そして――





「(そうだ、確か瞳が……)」

「エドガー先生?」

「……あ、すいません」


 つい思い出に浸ってしまった。

 空になったカップをソーサーの上に戻して、足元に置いた麻袋を持つと、ソファーから立ち上がる。


「医務室に行ってきます。もしかしたらステラ・ウィンクルが目覚めているかもしれません」

「じゃあ様子見お願いしてもいいですか? もし自分が入ってステラが起きていたら、説教しなきゃいけないんで」


 眉を下げて笑うカルバンの顔は、まさしく担任の顔だった。

 彼も、まだ疲れているステラに説教などしたくないのだろう。


「……本当なら、あなたに今のステラさんを怒る権利はありませんもんね」

「うぐっ……どうかそれはご内密に……」


 バツが悪そうに口元に人差し指を当てるカルバン。


「冗談ですよ。では僕はこれで」

「ステラがもし起きていたら、今日は筋トレせずに寝るように言っといてください」

「善処します」


 昔の思い出は、エドガーの頭の中から消え去ってしまった。




 ******




 意識がグンッと浮上する。

 全身がフカフカで温かな物に包まれていて、まるで極楽。張り付いてしまったような瞼をこじ開けた。


「目が覚めたかい?」


 鼻を刺す消毒液の匂い。全身を包むのは自宅にあるものより幾分か暑い毛布。

 間違いない、保健室だ。


 声がした方に目だけ動かすと、エドガーがステラの寝ているベッドの横に座っていた。

 慌てて起き上がるが、勢いが付きすぎてベッドが軋む。


「みんなは⁉」

「誰も怪我してないよ。ステラさんのお陰だ」


 軽く肩を押されてベッドに逆戻りした。

 エドガーの言葉を聞いて、全身の空気が抜ける。フカフカなベッドに身体が沈み込んで、息を吐きだした。


「よかったぁ……」

「よくはないよ。熊の前に飛び出すなんて、無謀すぎる」

「いてっ」


 エドガーにデコピンされた。

 意外と強めで、温厚な彼が怒っていることがよくわかる。


「このナックルは、君の戦闘スタイルに合っていると思う」


 エドガーの手の中には、ステラの相棒であるナックルが鎮座していた。

 幼いころから慣れ親しんだ、愛着のある武器だ。


「それは、私の父親代わりの人が教えてくれたんです」

「うん、レオから聞いたよ」


 ナックルがステラに返された。少しベタついているのは潮だろう。

 帰ったら早速手入れをしなければいけない。長時間潮風に晒してしまったから、このままでは錆びてしまう。

 そんなステラの様子を見てエドガーが再び口を開いた。


「大切なものを守るために、より身近に武器を纏い単身で戦う。けどそれは時として己を傷付けることもある」


 エドガーの言っている意味がわからず、黙って手元のナックルを撫でた。

 微笑みながらエドガーは話を続ける。


「このキャンプをずっと監視していて、思ったんだ。君には別の可能性があるんじゃないかってね」


 しゃがんで足元から細長い麻袋を取り出した。医務室に似合わない金属音が響く。


「そこで一つ、僕から提案だ」


 エドガーが袋の中から〝ある物〟をステラに渡した。


「こ、これは……‼」


 うやうやしく受け取ると、まるで伝説の宝を見つけたかのように目を細める。


「明日授業が終わったら、東校舎の三階までおいで。校舎の第四実験室に繋がっている準備室に、ロッカーがある。その横の扉を開けると階段が現れるから降りてくるんだ」


 一驚を喫するステラを見たエドガーは、ほくそ笑んだ。寝起きのステラは、殆ど動いていない脳味噌に必死で情報を叩き込み、ただ激しく頭を上下させるしかできない。


 麻袋は、まるで生まれたての赤ん坊を抱くように、ステラの腕の中に収まった。



 ******



「ステラ‼」


 エドガーに見送られて寮に帰ると、リタとエルミラが門の前から駆け寄ってきた。

 もうすぐ消灯時間だというのに、ギリギリまでステラを待っていたのだ。


「よかった! 傷は⁉」

「すっかり治ってたよ! 跡も残っていなくてさ。凄いよね、治癒魔法って」

「心配したんだから!」


 胸を撫で下ろすリタの横から、エルミラがモジモジしながら口を開いた。


「ステラ・ウィンクル……。その……」

「ん?」

「あ、ありがとう……あなたのお陰で今回の課題は乗り切れたようなものですし、それに熊に襲われたのだって……」


 あのエルミラがお礼を言った。一週間前までは考えられないだろう。

 熊が突進してきたのは、エルミラの責任ではない。

 しかし、医者を目指す者として、ステラに怪我を負わせたのに、負い目を感じているようだった。


 察したステラが両腕を天に突き上げる。


「怪我はこの通りだし、エルミラが今回のキャンプを乗り切ったのは私や皆の力だけじゃない、エルミラ自身が頑張ったんだから!」

「そうよ、もっと胸を張って。……それより、さっきから背負っている細長い袋は何かしら?」

「これ? これは……。っぐふふふふ……内緒!」

「そんな下手な隠し方、初めて見ましたわ」

「ちょっといい物仕入れただけだよー」


 ガチャガチャと音を立てて、大切そうに麻袋を抱え直す。


「それと‼ エドガー様に抱きかかえられたあの素敵シチュエーション‼ どうなのよ、匂いとか感触とか‼」

「匂いはなんとなく懐かしくて、感触は固くて……」

「羨ましい‼」

「ちょっと変態入ってきてるじゃん」


 重たい寮の扉を潜ると、階段の上からレオナルドがこちらを見下ろしていた。


 目が合うとレオナルドの顔が一気に険しくなった。


「お前っ……!」

「お疲れ……っぶべ‼」 

「何を考えているんだ、この馬鹿‼」

「落ち着けよ、レオ!」

「皇子! なりません!」


 階段の上から飛んできたレオナルドがステラの頬を片手で掴み、詰め寄る。

 笑顔だったステラの顔は、一瞬にしてしわくちゃだ。これこそまさにウメボシ。


 近くにいたオリバーとデルマも止めに入るが、一切お構いなしだ。


「野生の熊に! それも自分より遙かに大きい相手に突っ込むなんて馬鹿か⁉いや、馬鹿だったな‼」


 あのエルミラですら五歩離れていく剣幕だ。

 額に青筋を立てて捲し立てるレオナルドの姿に、怯えてしまっている。


「熊は放っておけば、教師達が異動魔法で別空間へ飛ばしてくれた、それを馬鹿なお前が近付いて魔法陣に割り込むから不発に終わったんだ‼」

「ぬぶぅ……‼」


 発言を許されないステラは、ただ呻き声を上げるだけだ。


「いくらエルミラを助けるつもりでも、馬鹿なお前が傷付けば周りが悲しむ‼ 自己犠牲な行動のせいで、心配する人間が増えることも考えろ馬鹿‼」

「やめて! 流石に言い過ぎよ‼」


 顔面を掴まれての罵詈雑言。

 普通の女子なら泣いてしまうだろう。しかし、ステラは逞しかった。


「うわっ‼」


 ステラがレオナルドに足払いをかけた。

 バランスを崩したレオナルドを床に転がし、馬乗りになる。


 抵抗されないように、足でレオナルドの腕をしっかりホールドした。


「心配かけたのは悪かったよ、ごめんなさい。けどあの場で洞窟に入りそうだった熊を放置は出来なかった」

「それは俺も同じだった、というか、退け馬鹿‼」

「はしたなくてよ、ステラ・ウィンクル‼」


 激昂して赤くなっていたレオナルドが、別の意味で赤くなる。

 そんなレオナルドを無視して主張を続ける。


「身体が勝手に動いていたんだ。先生達が助けてくれるって、頭の何処かでわかっていても、止められなかった」

「あ、あぁ」

「ステラ、あなたが私達を守ろうとしてくれたのは十分にわかったわ、だからもう退いてあげなさい」

「それは出来ない」


 パキッとステラが指を鳴らした。


「あんた、馬鹿って六回言ったね」


 レオナルドの目元がピクッと引きつった。


 オリバーとデルマまで階段が駆け下りてきて、ステラをひっぺ剥がそうと躍起になる。


「やめろステラ! あと馬鹿は七回言われている!」

「早くレオ様から降りなさいな!」

「ええい‼ 今から夜明けまで擽りの刑に処す‼ 靴を脱げ‼」

「やめっ……‼ この怪力女っ‼」




 尚、この騒動は飛んできたカルバンにより、消火活動が行われることとなる。

 最初こそ、疲れているだろうと気を遣っていたカルバンだったが、半日しっかり寝たステラは元気の塊。


 遅かれ早かれ待っていた熊事件についてのお説教は、深夜までどっぷりと続くのであった。


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