12,孤島の試練 5
今日でキャンプは六日目。明日の朝にはここにいる全員が学校に帰れる。
消えかけた焚き火にオリバーが水を掛けた。その上から更に砂を掛け、火事の元を絶つ。
「やっと終わるなー」
「そうね、とても長かったわ。こんな機会二度と無いでしょうね」
片付けをする手を止めることなく、オリバーに同意するリタの顔には、疲れが前面に出ている。
「わたくしはもう懲り懲りですわ。今からどうやってカルバンを締め上げてやろうか、考えるだけで歓喜で身が悶えますもの」
「エルミラも結構頑固よね」
「ステラと通ずるものがあると思うぜ」
「勘違いも甚だしいですわ」
疲れているのはリタだけではない。
誰しもが疲れを抱えているが、明日という待ちに待った日が見えてきていることにより、アドレナリンが分泌しているようだ。
ステラは一人、少し離れた場所で友人達を眺めている。
いつもと様子が違うのに気付いたレオナルドが、ステラに歩み寄った。
「何をやっているんだ?」
「キャンプが終わるの寂しいなぁって、思ってただけ」
「あっちで言うなよ。総員からバッシング喰らう」
「安易に想像できた」
月が高く昇り、寝る時間が迫っている。
それでも最後の夜を目に焼き付けたいと、ステラは友人から目を離すことはしなかった。
「……最初はさ、ちょっとだけ意外だった」
「何がだ?」
「レオナルドがキャンプに参加したこと。皇子様ならこんな森の中、来たことないでしょ?」
「そんな事もない。俺も狩りの経験はあるし、なにより王国騎士団の遠征に何度か着いて行ったことがある」
「インターンシップってやつ?」
「平たく言えばな」
自分より一歩進んでいるように思えて、少し負けた気がする。
ステラは腰に手を当て、レオナルドを見上げた。
「私だって! このキャンプが終わったら泳げるように練習して、もっともっと強くなるんだからね!」
「なんでここで闘争心を燃やした?」
「なんとなく‼」
口に出すことは烏滸がましいだろうが、いつの間にかステラの中で、レオナルドは嫌な奴からライバルという立ち位置に変わっていたのだ。
首を傾げるレオナルドを置いて、ステラは火消しを手伝いに走った。
******
「(ん……?)」
ふと、堅い寝床で目が覚めた。
勢いよく身体を起こして、ステラはリタとエルミラに気付かれないよう、毛布を撥ね除けた。
外は薄らと明るく、夜明けはすぐそこまで迫っていた。
そんな中、長年培った野生の勘がステラに告げる。
何かがいる、と。
「(なんだろう)」
洞窟を出ても、鳥の囀りが聞こえない。未来を視るべきだろうか。
ステラが茂みの前に行くと、何かに腕を引っ張られた。
「誰っ……‼」
「静かにしろ!」
ぶん殴ってやろうかと拳を握るが、あっけなく押さえ込まれる。
口を覆った犯人を睨み上げると、そこにいたのは予想外の人物だった。
「叫ぶなよ?」
素直に頷くと口に当てられていた手が退けられて、発言を許される。
「こんなところでどうしたの、レオナルド」
「森の様子が変だったから様子を見ていた。そしたらのこのこ歩いてくる山猿がいてな」
「やるか? ここで決着着けようか?」
「だから静かにしろ」
再度拳を握りしめると、頭を押さえつけられた。
紳士淑女のこの国で、あるまじき行為ではあるが相手がステラであるため、レオナルドはお構いなし。
森の異変に、レオナルドも気付いているのだ。
「何か来るな」
ステラの眼が熱くなる。
先ほどから感じる異変は一体何なのだろう。
熱に従い、魔力を瞳に込めると、未来が映し出された。
「やばい……!」
「何がだ?」
顔面蒼白のステラに、レオナルドは若干焦る。
こんな動揺した姿を見るのは、おばけ騒動以来だ。
「火を……いや、皆を起こして、」
「だからなんなんだ、説明しろ」
震える指で、ステラが反対の茂みを指さす。
そこから現れたのは、
「熊……⁉」
成人男性を優位に超えるサイズの熊だった。
餌を求めて山から下りてきたのか、辺りの匂いを嗅ぎ回っている。
「ど、どうしよう……!」
「静かに。下手に騒ぐとこっちに気付かれる」
ステラを押さえ込む手が汗ばんでいる。
冷静を装うレオナルドとて、この状況に緊張しているのだとわかる。
「ステラ?」
「んん……なんですの……?」
「起こしてごめんなさい。けどステラがいないのよ」
「寝ぼけて何処かに行ってしまったのでは?」
一番やっかいなタイミングだ。茂みに隠れる二人の身体が固まった。
何故なら声がした洞窟に、熊が興味を示したからだ。
「くそっ……あっ! 待て‼」
獰猛な熊が動く前に動いたのは、ステラだった。
レオナルドの制止を振り切って全速力で熊に駆け、飛び上がる。
「あっち行けえぇぇえ‼」
魔法で強化された強烈な跳び蹴りが、熊に決まった。
巨体はよろけるが、倒れることは無い。
「ステラ⁉ 外にいるの⁉」
「来ないで‼」
熊の標的は、洞窟の中のリタとエルミラから、ステラに完全に移った。
体勢を立て直した熊がステラに狙いを定める。
「レオナルド‼ 全員に救難信号を上げるように伝えて、ここは私が‼」
「お前一人に任せられるわけないだろう‼」
レオナルドまで飛び出して指を構える。
その間もステラと熊の睨み合いは続く。
「パルーム・レオン! (子獅子)」
炎で出来た二頭の小さなライオンが、レオナルドを守るようにサイドへ現れた。
「行け‼」
レオナルドが指を鳴らして命令すると、熊にライオン二頭が襲いかかる。
「がぁぁああ‼」
しかし炎のライオンはすぐに掻き消されてしまう。
ステラが逃げる時間稼ぎにもならない。
「ゲオ・アシン! (大地融合)」
ズドン‼ と、大きな音を立てて熊が倒れた。
ステラの魔法で熊が地面にめり込む。
額に油汗をかいて足を踏ん張るが、この魔法が解けるのも時間の問題だ。
「きゃあ‼ 熊⁉」
「リタ……‼ エルミラを連れて逃げて‼」
すぐ後ろに親友の悲鳴。
周りの洞窟からも、悲鳴がチラホラ聞こえる。
「ステラ! 伏せろ!」
いつの間にか、オリバーが自分の洞窟から出てきて、指を構えていたのだ。
伊達に普段一緒に行動していないレオナルドは、次の行動を読んでステラを押し倒すように覆い被さる。
その拍子にステラの魔法が解け、熊に自由を与えてしまった。
オリバーが指を鳴らし、呪文を唱える。
「アネモス・ライン! (風の刃)」
「ぐおおぉぉぉ‼」
魔力が練り込まれた鋭利な風が、熊を襲う。
しかしどれも致命傷にはならずに、ただ熊を激昂させるだけだった。
「だったら窒息させるわ‼ アクエ・ハウル! (水の檻)」
「追加で熱湯にしてやる、アディ・バーン! (火の粉)」
リタが作成した水はレオナルドの追加魔法で熱湯に変わり、熊を包み込む。
誰もがやったと思うだろう。
「離れて! 熊は泳ぎが得意だから、」
ステラが全てを言う前に水の檻は破られた。
鋭利な爪で水の幕に触れられれば、それはシャボン玉のように簡単に割れてしまう。
「どうすればいいのよっ‼」
魔法を解かれ苛立ったリタが、がなる。
身震いした熊の水しぶきが、近くにいるステラ達を襲う。すると熊が鼻を鳴らした。
ステラの鼻にも甘い香りが掠める。ここ数日でよく慣れた香りだ。
「エルミラ⁉」
「あ……」
エルミラの香水の匂いだ。
真っ青な顔で洞窟の前に立ち尽くしている。
寝起きで着けていないとはいえ、まともにシャワーも浴びられず、衣服も満足に替えられない状況で、強い香りが染みついてしまったのだ。
ステラの眼が未来を覗いた。三十数秒後、この熊はエルミラに突進する。
わかるや否や、ステラはレオナルドの下から這いずり出て走り出した。
すぐ後ろで、熊も走り出す。
「ステラ‼」
オリバーとリタの声がステラを追いかける。
しかし見えてしまった未来を変えることしか、ステラの頭には無かった。
数秒後、熊がエルミラの喉元に噛み付く。
なにが何でも変えなければいけない未来だった。
「っ‼」
「きゃあ‼」
熊が迫り来る中、ステラはエルミラを抱いて大きく横に飛ぶ。
咄嗟に体重を軽くしたため、熊から距離を取ることに成功した。
「大丈夫……?」
「それよりあなたの背中が!」
避ける際、僅かに熊の爪がステラの背中を掠めていた。
服が裂けて白い肌と赤い血が見えている。
「ストリーム・ラティゴ! (真水の鞭)」
リタの魔法が熊を再び捕らえた。
細い縄のような水が、熊を雁字搦めにして動きを封じている。
「よくもステラを傷付けたわね‼」
「カルス・フェルム! (足枷)」
熊の足元の地面が盛り上がり、足を固定する。この魔法はデルマだ。
「早く逃げるんだ!」
叫ぶデルマの腕は振るえている。
巨体を捕まえるのに弾かれないように、彼も耐えているんのだ。
「エルミラはここでいてね」
「お待ちなさい、危ないわ!」
ここで止めなければ、こんな怪我一つで済まない。
ステラは大きく息を吐き出し、背中の傷を気にすること無く肩を大きく回す。
そして熊に向かって高く飛び上がった。
力いっぱい握りしめ、魔力を込めた拳を熊の頭に目掛けて振り落とす。
「グラン・メテオ‼ (流れ星)」
「ギャヒィン……‼」
強烈な拳骨が、熊の脳天に叩き込まれた。
可憐な着地を決めたステラの後ろで、ゆっくり巨大な熊が倒れる。
「勝った……のか……?」
デルマが恐る恐る熊を覗き込む。
口元から涎を垂らして動かない熊は、完全に伸びていた。
リタとデルマが魔法を解いて、オリバーがふらつく二人を支えた。
レオナルドはステラの肩を掴んで背中を見る。
「お前はいつもこんな無茶ばかりっ……‼」
「掠り傷だよ」
「そんなわけないだろう‼」
服が赤い血に染まっていく。軽口を叩くも、ステラは苦痛の表情を浮かべる。
なんとか止血をしようとするレオナルドを、エルミラが押し退けた。普段ならあり得ない行動にステラは少々驚く。
「傷を見せなさい!」
下が土にも関わらず、跪いてステラの背中を診る。
一瞬顔を歪めると、レオナルドから傷付いた背中を隠すようにリタへ叫んだ。
「リタ・レブロン! 水をくださいな、消毒をしなければ!」
「大げさだって!」
「大げさなものですか! 野生の獣から貰った傷なんてどんな菌が入っているか、わかりませんわ!」
「男子は向こうに行って! エルミラ、水よ!」
エルミラがステラの服を捲りあげた。
腰から肩に掛けてばっさり切り傷が入っており、流血している。
「このままでは跡が残りますわ!」
「そんな……!」
「別に跡は気にしないよ」
「だまらっしゃい!」
エルミラの伝家の宝刀、だまらっしゃいが炸裂した。
水に浸したハンカチでリタが傷を拭うと、染みて悲鳴が上がる。
「いったいよ‼」
「当然ですわ‼ どれだけ大きな傷か、見えるものなら見せて差し上げたいわ‼」
背中の傷を本人に見せるなんて、物理的に不可能である。
汚れが取れたところで、エルミラが傷に手を翳した。
「どう? 綺麗に消えそう?」
「思っているより深いですわ……。とてもじゃありませんが、短時間ではなんとも……」
「本当に大丈夫だって……あっ!」
ステラが海を指さした。
地平線から、誰もが待ち望んだ朝日が顔を出した。
「今日が始まった」
穢れを知らない光が、皆を平等に照らす。
そしてステラ達の前に魔法陣が現れた。その上には二人の教師がいる。
「今この時をもってキャンプを終了とする!」
終了の号令にクラスメイトから歓喜の声が上がった。
一人一人の足下に魔法陣が出現し、次々異動魔法で消えていく。
「あのっ! ステラ・ウィンクルが怪我を!」
「うん、見ていたよ」
エドガーがステラに上着を掛け、抱き上げた。
所謂お姫様抱っこというやつだ。リタが黄色い悲鳴を上げる。
「皆よく頑張ったね」
こんな状況ではあるが、リタの目が怖い。
帰った後に絞められるだろう、もしくはこの状況をリタに再現して疑似体験させて勘弁願えないだろうか。
レオナルド達の足下にも魔法陣が現れ、光に包まれる。何か言いたそうだったが、最後まで口の動きを見ることは出来なかった。
頬に触れた、エドガーの服から太陽のような匂いがした。
「(なんだか、懐かしい……)」
エドガーとここまで密接したのは初めてなのに、何処かで嗅いだことがあるような懐かしい香りだ。
「(何処で嗅いだんだったかな……)」
エドガーの腕の中で、緊張の糸が切れたステラは意識を落とした。
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