11,孤島の試練 4


「……ねぇ‼ 全然釣れない!!」

「馬鹿野郎! 叫んだら魚が逃げるだろ!」

「ギリギリ野郎じゃない!」

「そこじゃねぇよ!」

「だからステラに釣りは酷って言ったのよ」

「だからといって、こいつの川魚の取り方はせいぜい取れて三匹だろ?」


 照りつける太陽の下でオリバーは額に浮かぶ汗を拭った。

 手元には簡易的な釣り竿。オリバー特製である。


 隣に座り同じ釣り竿で、植物の蔓で代用した釣り糸を垂らすのは、イライラを隠せない様子のステラだ。

 尚、リタは餌である虫を触ることは不可能との申し出があったため、一人潮干狩り。


「そうなんだよね、あの取り方は一回すると周りの魚が全部逃げちゃうのが難点なんだよね」

「もしその一匹がデカかったらラッキーだけど、小さかったら目も当てられないもんな」


 数を狙ったオリバーの釣りという提案に乗ったのはいいが、素人では中々釣れない。

 それに加えてこの暑さだ、体力が奪われる一方である。


 フラフラとリタが立ち上がった。


「少しだけど貝が取れたわ。一旦戻って砂抜きさせてくるから」

「お願い……します……」

「やだ! ステラの元気が無くなってる!」


 元気が無いのはステラだけではない。

 長時間、太陽の光を受けているオリバーも、背中が曲がってきていた。

 リタの指先に水が集まり、一つの玉となる。


「しっかりしなさい! アクア・スペル! (水の玉)」

「ぶべっ」

「あ⁉ リタ! 俺も俺も!」

「しょうがないわねぇ」


 指先から放たれた水が、シオシオに萎んだステラの顔面に直撃した。

 数秒差でオリバーにも玉がぶつかる。リタは水魔法を得意とする魔法使いだ。

 ならば飲み水の確保は簡単ではないか? と最初は周りから期待されたが、本人曰く飲料用ではないらしい。


「あと三発くらい下さい!」

「俺も同じく!」

「嫌よ、魔力が尽きちゃうわ。先に戻ってるから、魚はお願いね」


 ポニーテールを揺らして、リタは洞窟に行ってしまった。

 残された二人の釣り竿が、虚しく転がっている。


「……こうなったら素潜りに変更するか?」

「はい! 私、泳いだことがありません!」


 美しいくらい垂直に腕を上げ、この場では全く喜べない自己申告だった。


「そんだけ筋トレしてて⁉」

「こっちとら海に来たのすら初めてなのだよ、オリバー君」

「うっそだ……」


 これがサバイバルでなかったら、ステラのテンションは今よりも爆上げだっただろう。

 素直に海の綺麗さを喜べないのが残念でならない。


 因みに、水泳が筋トレにいいのはもちろん知っている。

 ステラの性格なら、この短期間で泳ぎをマスターすると言い出していても可笑しくはない。

 しかし黙っているのは、流石に課題を最優先と考えているのだ。


 それで泣く泣くビーチトレーニングで留めているところを見ると、成長している……と信じたい。


「どちらにせよ、魚を捕まえる方法は変えた方がいいな。俺は素潜りするから、ステラは潮干狩りするか?」

「そうするかな。よっこいしょ……うわっ……」

「おいおい……大丈夫かよ?」




 元々血液は人間の下半身にたまりやすい。

 身体を動かさない状態を長く続けることで、余計に脳貧血の状態を作り出しやすくなる。

 つまり今の二人は脳の血流や血液量が減り、酸素不足になった状態だ。


 そのまましゃがみ込んだ状態で急に立ち上がると何が起こるか?

 


 とどのつまり、立ち眩みである。



 覚束無い二人の足元の岩に、ヒビが入った。


「ちょ、え、うわぁぁぁぁあ‼」

「あ――――‼」



 ******



「……? 何か聞こえなかった?」

「なにがですの?」

「……私の気のせいだったみたいね。で、デルマの持っているそれは何?」


 リタが持ち帰った貝は、エルミラによって海水が入れられ、大きな葉で覆われた。

 そんな様子を見守っていたデルマの手に、木の棒が握られていたのだ。


「これは弓だ」


 弦を弾いて見せた。


「弓なんかどうするの?」

「僕は弓の大会で何度も優勝していてね。たまに実家では猟犬を連れて、狩りをしていたぐらいさ」

「確かにこいつの腕は間違いない。何か動物を取って貰おうと思ったんだがな」


 薪を持ってきたレオナルドが、デルマの腕を褒め称える。

 発案は素晴らしい。希望しかない。

 なのにデルマは居心地が悪そうだ。リタが、「ははん」と片眉を上げた。


「わかったわ。猟犬がいないから、獲物を追い込めなかったのね」

「ぐっ‼」


 正解のようだ。


「それよりあいつらは何処へ行ったんだ?」


 レオナルドがリタの周りを見渡す。


「ステラとオリバー? それなら今頃海よ。魚を取ってきて貰っているの」

「ですが、少し遅い気がしますわね」

「言われてみればそうだけど……」


 ここに時計なんてものはない。だがリタがここに帰って来た時より木の陰が幾分か伸びていることは、本人も気が付いている。

 デルマが弓を肩に掛けた。


「それなら僕が見てこよう。全く、手の掛かる奴らだ!」

「行っちゃったわ」


 元より止めるつもりもなかったが、単独で行動することはなるべく避けた方がいいだろう。

 リタが追いかける前に、大股で森の中にデルマが入っていってしまった。



 完全に姿が茂みに隠れて見えなくなった瞬間。



「キャ――――‼」

「なんですの、この絹を裂くような悲鳴は⁉」

「今デルマが入ったとこから……あら、帰ってきたわ」

「なにやってんだ、あいつ」


 勇気凛々に歩いていた背中は、何処へ行ってしまったのか。

 頭に葉っぱを乗せ、茂みから這いつくばって出てきた。


「あばばばばば」

「どうしたの⁉」


 一体何を見たのか。

 問い詰めようとデルマの肩に手を置くと、すぐ後ろからガサガサと音がした。

 ぬっと現れた人影にリタは絶句する。



「やっちまったぜ……」

「海、怖い」

「なにやってんのよ……」


 頭を抱えたのはリタだけではない。

 後ろではエルミラがポカンと口を開き、レオナルドは目頭を押さえている。

 原因は一つ。


 茂みから現れたのは獣でもなんでもなく、磯の香りを全身に纏(まと)わせた、びちょびちょのオリバーと背負われたステラだった。


 一目見れば大体の成り行きはわかる。


「わかりきったことを聞くが、海に落ちた……で、合っているな?」

「探偵になれるぜ、レオナルド」

「頭から生えてる海藻が隠しきれてないんだがな」

「ステラ! その足、どうしたの⁉」


 元気に出発した先ほどと違うのは、水気量と海藻だけでなかった。

 片足に巻き付けられたオリバーの上着を見て、リタの顔色が悪くなった。


「落ちる時に岩で足を切っちまったみたいでさ。とりあえず応急処置はしたんだけどな」

「海、怖い」

「さっきからこれしか言わねぇんだよ」


 オリバーの背中からずるりん、と地面に転がり落ちた。

 全身に土がついても力が入っていないステラは、払う素振りすら見せない。


 山育ちであるステラにとって、初体験の海は恐怖でしかなかったようだ。


「こいつ、金槌だったんだぜ。意外だよな」

「じゃあ二人で海に落ちて、オリバーがステラを助けてくれたのね?」


 リタが地面に這いつくばるステラの背中を撫でた。


「というより、潮の流れが大きかったけどな。波が岸辺まで運んでくれたんだよ」

「どうせ私は泳げないもん、大地が愛おしい……」


 それは、監視している教師の魔法によるものだろう。


 レオナルドとリタはなんとなく察したが、それより優先事項が山ほどある。


「馬鹿なこと言ってないで見せてみろ」


 レオナルドが足に巻かれたオリバーの上着を取り払う。

 そこには傷が一本の長い線のように走っており、まだ血は止まっていない。


「深くはないな」

「ならば、わたくしにお任せくださいな」


 虚ろな目をしたステラの足を触ろうとすると、エルミラが声を上げた。

 ステラの横にしゃがみ込む。


「足をお出しなさい。ステラ・ウィンクル」

「あ、はい」


 大人しく怪我をした足を伸ばす。

 その傷の上に、エルミラが掌を翳した。


「ヘリサプーリ(回復)」


 生乾きの傷が金色の光を帯びる。

 光はやがて細くなり、現れたのは元の健康的な小麦色の肌。誰もが賛嘆の声を上げた。


「すげぇ、治った!」

「エルミラは回復魔法が得意だものね」


 ステラは、傷が消えた足を呆然と眺める。


「回復魔法は魔力の消耗が激しいから、滅多矢鱈と使えませんのよ。今後は十分に気をつけなさい」


 無人島でも健在のドリル縦ロールを振り回し、ステラを見下ろす顔は、いつも教室で見る顔に少し近付いていた。


「すごいすごい! 全く痛くない、ありがとうエルミラ!」

「はー……大したもんだな! 回復魔法ってかなり高度な魔力コントロールが必要なんだろ?」

「将来医者になる人間として当然ですわ。そんなことより、あなた達のその姿をなんとかなさった方がよろしいんじゃなくて?」

「確かにそうだな。リタ、頼む!」

「はいはい」


 次はリタが呪文を唱えると、海で見た時よりも大きな水の玉がステラとオリバーの頭上に現れた。

 リタの魔法で揉み洗いされ、潮のベタつきは取れた。生乾きの服は、後で焚き火に当たれば乾くだろう。


 二人が身なりを整えていると、レオナルドが空を見上げた。



「もうじき日が暮れる。今から魚を取りに行くのは無理だな」

「仕方が無いじゃん、あれは不可抗力……いや、事故だから!」

「そうだそうだ、俺達だって頑張ったって。今日は木の実でも囓って寝ようぜー」


 烏が木から飛び立った。


 幼い頃、ハイジ先生が歌ってくれた歌を思い出す。

 烏が鳴いたら家に帰りましょう、だったか。


 クラスメイト達の後ろ姿を眺めながら、懐かしい童謡が頭の中に流れた。


「結局デルマが作った弓も、出番は無かったわね」

「ふんっ! 猟犬さえいれば僕だって!」

「弓? アグラってば弓使えるの?」

「デルマだ!」

「ほぉ……。ちょっと待って」


 ステラが人差し指と親指で丸を作り、右目で覗き込む。


「何をなさっているの?」

「んん――……」


指の中を覗いたまま、森全体を舐めるように眺める。

 一カ所の茂みの前でステラが止まった。ギュルンッ! と小さな世界が早送りで未来を映す。


 視点を絞ることで、より明確に未来を映し出すことが出来るのだ。


 その後ろで、レオナルドはステラの後ろ姿を見つめている。


「こっちに来て!」

「はっ⁉ うわっ‼」


 お願いではなく、連行だ。

 自分よりも身長のあるデルマを抱えると、森の中へ飛び込んだ。





「な、なんなんだ⁉」

「はい、弓を構えて!」


 急に走り出したかと思えば、止まってデルマを降ろした。

 何事かと、レオナルド達まで後ろからやって来る。


「十六秒後! あそこの木の実を射抜いて!」

「そんな急に……」

「大丈夫だから信じて! ほら、あの赤い木の実! 早く!」


 急かされるまま、弓を引いた。キリキリと弓の悲鳴が耳に障る。

 再び指の輪を覗き込んだステラが、数を数え始める。


「五、四、三……」


 いつもより幾分か落ち着いた声が、正確なカウントを刻む。

 妙な緊張感が全員を包んだ


「二、一、はい‼」


 ステラの声と、弦をはじく音が重なった。

 指から放たれた矢が真っ直ぐ赤い木の実を貫く。


「ブギィィイ――‼」

「何っ⁉」


 誰よりも驚いたのは、矢を射った張本人のデルマだろう。

 矢が木の実ではない、何かを射抜いたのだ。

 茂みから大きな陰が倒れてくる。


「あれは……猪だわ……」

「何故⁉ 僕はただ木の実を狙っただけで……!」


 あのレオナルドですら言葉を無くして立ち尽くしている。

 そんなクラスメイトをよそに、ステラは小走りで猪に駆け寄った。


「どうやってわかったんだ⁉ 君は猟犬じゃなくて人間だろう⁉」

「人間以外に何に見える? ただの野生の勘だよ!」

「チート過ぎやしないかい⁉」

「そんなことより今夜は猪肉だ!」


 ご自慢の怪力で猪を担ぎ上げた。

 川に向かおうと歩き出す前に、レオナルドを振り返った。


「見たかレオナルド! 流れ星が叶えてくれた!」


 してやったりと笑って、そのまま走り去っていった。


「……こんな強引な願いの叶え方あるか……?」

「お待ちなさいステラ・ウィンクル! 今わたくしの預かりしれない会話をしましたわね⁉ 詳しくお聞かせなさい!」


 思わぬご馳走に、成長期の彼らは夕暮れと思えない元気さを取り戻すのであった

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