10,孤島の試練 3


「(眠れないなぁ……)」


 ステラは閉じていた瞼を開けた。

 反動を付けて身体を起こす。


「すぅ……すぅ……」

「(よく寝てる)」


 隣にはリタが眠っている。ずり落ちたパーカーを掛け直してあげた。

 ステラの逆隣には、数時間前まで泣いていたエルミラが寝ている。


「わたくしはぁ……かならずぅ……医者にぃ……」


 案外寝言がでかい。

 結局、エルミラ以外のお嬢様達はリタイア。





「エルミラ一人だと心細いだろ。レブロン達の洞窟に移ったらどうだ?」

「はいっ! レオ様!」





 という、レオナルドの一言でエルミラの住居はすんなり決定した。

 この女、レオナルドが〝幸せの壺〟と称して怪しい壺を持ってきても即決で買いそうだ。


 ステラは二人を起こさないようにそっと洞窟を出た。




「うわー……綺麗……」


 ステラが住んでいた村から見える星も見事な物だったが、ここから見る星も負けじと輝いている。

 空に手を伸ばしてみるが、もちろん届かない。


 幼い頃、流星群を見て感動したステラは「星を取りに行ってくる!」と、ラナとヒルおじさんに告げて、全力で止められたことがあった。



「星を取りに行ったら、帰って来れなくなるわ」

「おじさんはステラと会えなくなるのは嫌だなぁ」

「じゃあ三人で取りに行こうよ!」

「そうくるか⁉」

「ダメよステラ。まだおじさんもお母さんも、ここでやりたいことがいっぱいあるのよ。あなたも婦警さんになりたいんでしょう? 夢が叶わなくなるわ」

「そ、そうだぞ‼」

「そっかー……。じゃあ行かない!」



 伸ばした手を引っ込めた。


「(そうだ、行かなきゃ)」


 星を取りに行くのは夢を叶えた後でも遅くない。

 ステラは走り出した。




 ******




「(眠れないな……)」


 浜辺を散策しながら潮風を浴びていたのは、レオナルドだ。

 眩しいくらいの満月のお陰で、散歩が捗る。


「(――なんだ?)」


 何者かの気配がする。

 近くの岩場に身を潜め、様子を窺っていると、己の目を疑った。


「あいつ……何をやっているんだ……?」


 共に夕食を取り、「おやすみー!」と、元気よく洞窟に引っ込んでいった筈のステラが、跳ねるように浜辺で走っていたのだ。

 

 入学当初から衝突することが多かったが、時には変な所で意気投合したりもする。

 王族である自分にも臆すること無く接してくる、良く言えば公平な人間。悪く言えば無謀。

 レオナルドに立ち向かう姿は、他の平民から見たら冷や汗ものだろう。


 エルミラとのやり取りを遠くから何度も目撃しているが(一方的に敵視されているとも見える、というか恐らく敵視されている)蚊を払うかのようにあしらうその姿は、恐ろしくメンタルが強いのだと認識していた。


 使い魔召喚の呪文では、自分と並んで唯一使い魔を召喚した。

 タイマンの試合になれば、我が身が焦げようとも炎に突っ込んでくる負けず嫌い。


 岩を背負ってスクワット、腹にタイヤを括り付けての走り込み。

 時には逆立ちで塀を進み、ダンベルを振り回す。

 最初は本物の馬鹿かと思っていた。


 しかし理性的なところもあり、最近では未知の生物にカテゴライズされている。

 



 その謎に包まれた人間が、夜な夜な浜辺で跳ねていた。


「(医者が必要か?)」


 昼間は気丈に振る舞っているように見えたが、相当キていたのだろうか。


「ふへっ……! 筋肉増量……!」

「(ダメか)」


 ニヤけながら走るのを見て、確信した。


 王都に戻らせよう。


 空に腕を突き上げ、光を上げようとすると、ステラがこちらに気付いた。


「…………え? なにやってんの……?」

「お前を王都に戻そうと思って」

「いやいや、必要無い……嘘、いつから居たの?」

「割と序盤から」


 ステラが膝から崩れ落ちた。


「はずかじぃぃぃいいいい……‼」

「これは夢に出てくるやつだな」

「忘れてお願い今すぐ忘れて‼」


 レオナルドからは見えないが、きっとステラの顔は羞恥で真っ赤だろう。

 本人のリアクションからして、どうやら気が狂った訳では無さそうだ。


 腕を下ろし、レオナルドは岩に座った。


 そして一連の流れを見ていたのは恐らくレオナルドだけではない。

 授業が開始される直前にエドガーが言っていた「遠隔で見張っているからね」という言葉が生きているのであれば、誰かしらはこの状況を監視している筈だ。


 レオナルドに見られたという事実でいっぱいいっぱいのステラは、そのことに気付いていない様子。


「レオナルドはどうしたの、こんな夜中に……」

「俺は島の地形をもう一度確かめるために歩いていた。そしたら「もう忘れてってば‼」くっくっく……」


 今日一日だけで、随分とこの同級生の弱みを見つけた気がする。 ステラも一緒になって、レオナルドの横に座り込んだ。


「普通こんなところまで来て、夜更けに筋トレするか?」

「だって! 砂浜なんて滅多に来れる場所じゃないし、ずっと昔からビーチランニングは筋トレに最適だって聞いてから憧れてて!」

「どれだけ昔から脳筋なんだ」

「私の父親代わりだった人が脳筋だったからなぁ」


 レオナルドの肩がピクッと動いた。


 父親が居ないことを、今初めて知ったのだ。

 話題を逸らそうとも思ったが、本人は気にしている様子がない。


「ナックルを教えてくれた人も、その人なんだ」

「……お前がたまに言ってる〝ヒルおじさん〟って人か?」

「そうそう、よく覚えてるね」


 そういえば、こんな風に誰かとゆっくり話すのは、初めてかもしれない。

 貴族のお茶会やサロンには何度も参加しているが、こんな地面に座って夜空の下で、誰かと語り合う日が来るなんて思っていなかった。


 柄にもなく少し意識する。


「ヒルおじさんはお母さんの友達でさ。魔法の使い方を教えてくれたのもヒルおじさんだし、キャンプの心得を教えてくれたのもヒルおじさんなんだ」

「普通はキャンプの心得なんて教わらないがな」

「それが我が家の教育方針なんです」


 潮風がステラの前髪を掻き上げた。


 ステラの瞳に星明かりが写って、共鳴するように輝く。

 思わずその輝きを盗み見した。


「ヒルおじさんから聞いた話だけど、私の父親はとんでもないクソ野郎なんだって」

「クソ……そ、そうか」

「うん、クソ野郎。私を身籠もったお母さんを捨てて、どっかに消えたんだってさ。家にも帰ってこない、お母さんと私を置き去りにしたクソ野郎」


 膝をぎゅっと抱えた。その姿がいつもより一回り小さく見える。

 聞けば、若くしてステラを産んだ母親は夫の協力も実家の協力も無くして、ステラを女手一つで育てたらしい。


 その苦労はまだ子供であるステラにもレオナルドにも、計り知れないだろう。


「ヒルおじさんと約束してるんだ」

「約束?」

「うん。もし私の実の父親と今後会う機会があったら、絶対にアッパーカット喰らわすって」


 容赦なく拳を突き上げる動作。

 拳の勢いでそよ風がレオナルドに届き、顔が引きつる。


 行く度となくその力を間近で見ているレオナルドには、会ったこともないステラの父親の顎が粉砕する様が容易く想像できた。考えるだけで背筋が冷たい。


「……まぁ、死なない程度にな」

「法に触れないギリギリを攻めるよ。……あ‼」


 乾いた岩場に、ステラが立ち上がった。


「もうすぐ流星群が来る!」

「そんなこと、いくら野生の勘でもわからないだろう」


 何故急に流れ星。

 一瞬、ステラの瞳が輝きを放っているように見えた。


「(ん……?)」

「ほら見て!」


 ステラの指さした方向に一つ星が流れた。

 また一つ。二つ。夜空に星が飛び交う。


「嘘だろ……」

「願い事しようよ!」

「そんなお伽噺「肉肉肉‼」お前は欲望のままか」


 信じているのか? そう続ける前にステラは既に祈っていた。


「レオナルドもちゃんとお願いしなよ」

「俺はいい。パッと出るような願いはないから」


 事実、今のレオナルドには何もなかった。

 すぐに願いが出てくるステラが、羨ましいとも思っているくらいだ。


「……流れ星なんて、初めて見たな」

「そうなの?」

「王都では眩しすぎて、星なんてまともに見えないからな」

「じゃあ貴重な体験だね」


 ふひひと笑い声が聞こえ、少しだけ驚く。

 遠くから見たことはあっても、自分に笑顔を見せたことがあっただろうか。


「あの星とあの星を結んだらウルペス座で、あっちとこっちの星が――……聞いてる?」

「……あぁ。そうだな……」


 改めて空を見上げた。


「こんな大量の星は、初めて見たな……」


 レオナルドがぽつりと漏らした。


 本の中でしか知らなかった物が、初めて頭上にある。

 今日一日でどれほどの体験しただろうか。


 流れ星ももちろん、目の前のクラスメイトの笑顔さえ、初めて見た。


「お前は」

「何?」

「アルローデン魔法学校に入って何になりたいんだ?」


 唐突な質問である。

 流れ星しか頭になかったステラは一瞬言葉に詰まった。


 レオナルドはずっと疑問に思っていた。血筋は関係なく、実力主義なのが学校のモットー。

 しかし、魔力の高さに血が比例してくるのもまた事実。


「何って、将来の夢?」

「そうだ、何か目標でもあるのか?」

「それはもちろん! 婦警さんになること!」

「婦警さん?」


 王国騎士団ならよくわかる。実際目指していると噂される人物を何人か知っているし、学校側もそれを容認している。

 最終学年に上がれば入隊試験対策の講習があるくらいだ。


「婦警さんって婦人警官のことか?」

「それ以外に婦警さんってないでしょ」

「まぁそうだが……」


 ただ趣味で筋トレをしているのかと思っていたが、ちゃんとした夢があったのか。

 レオナルドが知らないだけで、常に心に目標を掲げていたのだ。


「初めて知った」

「うん、初めて話した。レオナルドは?」

「俺は王国騎士団に入る」

「王国騎士団⁉」

「お前は本当に何処からその元気が沸いてくるんだ」


 深夜とは思えないくらいのテンションである。

 やはり、これから体力おばけの称号も付け足してやろう。


「だって騎士団って言ったら、選りすぐりのエリート集団じゃん!」

「なんて言われてるな。第二皇子の俺は王国騎士団に就職するのが妥当だろ?」

「皇子だからなるの?」


 決して責めているわけではない、ステラの真っ直ぐな声が突き刺さった。

 レオナルドの回答は極シンプルな物だった。


「そうだ。皇子だからなるんだ」

「そっか」


 ステラの視線が外れた。


 夢に溢れた彼女にとって、自分はつまらない人間に見えたのだろう。

 失望されただろうか?


「けど王国騎士団って、色んな部隊があるじゃん」

「そうだな。良く耳にするのは王族専属の護衛部隊か」

「他にも海を守る部隊とか、ドラゴンに乗って空を守る部隊とかさ」

「海上部隊と飛行部隊か?」


 指を折りながら知っているであろう部隊を次々上げていく。


「海上部隊なら海の近くにずっといられるから、新鮮な海鮮が食べ放題。飛行部隊なら、かっこいいドラゴンの乗りたい放題かも。護衛なら王族はよく国外に行くみたいだし、沢山の国を見れて楽しそう!」

「それはほぼ観光だろう‼」


 まさか名誉ある仕事の中で観光を混ぜ込もうとするとは。発想が斜め上過ぎる。


「でも仕事ってそんなもんじゃないの? どんなに辛くて嫌で興味ない仕事でも、やってみて面白い所や自分が好きだと思える部分があったら、頑張れるって聞いたよ」

「間違ってはいないかもだけどな……」

「大丈夫だって! 今はなんとなくでも王国騎士団に入ったらやりたいこと、見つかるかもよ!」


 これはステラなりの励ましだったのだ。


 なんとなく安堵する。そういう考えもあるのか。

 己の師匠に聞かれたら、大声で笑い飛ばされるだろう。


「そうだ、いつか目標が決まったら教えてよ」

「その前に受からなきゃ入れないけどな」

「それは私も一緒だよ。もし試験に落ちたら、ヒルおじさんから引っ越し屋さん開業しようって誘われているんだから」

「いいじゃないか、最近引っ越し業者が減ってきているらしいからな」

「確かに引っ越し屋さんは立派でこの世に無くてはならない存在だけどね⁉」

「けど、お前なら騎士団を目指せるんじゃないのか? 警察官より騎士団の方が給料もいいだろう」

「……お金とかじゃないんだよ」


 また一つ、空に星が流れた。


「私、小さな頃は凄い内気な子供でね」

「意外だな。生まれた瞬間からその性格かと思っていた」

「そこまで難有りな子供じゃないわ。……こんな見た目だから、何処に行ってもジロジロ見られて、お母さんの後ろに隠れてばっかりだった。けどある日、街で迷子になったんだ」


 お金じゃない。

 純粋に夢を追いかけているステラが、眩しく思えた。


「助けてくれた婦人警官のお姉さんが、私の髪と目を綺麗って言ってくれたんだ。自信が無かった自分に希望を持たせてくれた」


 入学したときは短かった赤髪が、いつの間にか鎖骨を通り越している。

 潮風に吹かれて靡く髪が、月の光を受けて輝く。


「……確かにドルネアートでは珍しいかもしれないが、セレスタンに行けば殆どがその色だ。エドガーだってそうだろ。それに王都にも稀だがいないことはない」


 別に過去のステラに同情しているわけではない。

 普段は多くを語らないレオナルドだが、自然に言葉が溢れていく。


「星を閉じ込めた瞳も、きっとセレスタン中を探しても見つからない」

「これは、混血の影響かも」

「混血の影響はまだ全て解明されていないし、個人差が大きくて法則性が全く無い。その色合いが出たのは奇跡だ」


 今だけは、ステラのように素直になってもいいだろう。


「綺麗だと、俺も思う」

「き、きれい?」


 不意打ちの誉め言葉に、ノーガードだったステラは横フックを食らった気分だ。


「(……何を言っているんだ、俺は)」


 自分はこんなキャラじゃないだろう。

 時間差で、擽ったい気分になってきた。レオナルドは立ち上がると、砂埃を払う。

 月が随分と高いところまで昇っていた。


「戻るぞ、明日も早い。見張っててやるから汗を流してこい」

「待ってよ!」


 この星空を、レオナルドは一生忘れないだろう。

 慣れない地べたに座り込んで受ける潮風の心地よさも、初めて見た同級生の笑顔も、これだけはレオナルドの思い出だ。

 そして彼の後ろを言葉少なく付いていくステラの顔が、真っ赤になっているのは触れてやらないことにする。


 降り注ぐ星を背負って、二人は洞窟へ戻った。


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