9,孤島の試練 2


「なぁ、リタ達遅くないか?」

「そろそろ戻ってくるだろ」

「けどよぉ……」

「もうすぐ夕方だ、あとちょっとして帰ってこなければ探しに行けばいい」


 心配するオリバーをよそに、レオナルドは薪に火を焼べる。

 魔法で点した火は力強く、まるで踊っているようにも見える。


「そうだよな、って話してる内に帰ってきた!」

「(飼い主を待っていた犬みたいだな)」


 オリバーの後頭部を眺めながら、火を突く。





「おかえり……え? ステラ、何担いでるんだ?」

「魚!」


 どうだ、と後ろを向くと、大きな魚が逆さに吊されていた。

 どちらも丸々と太っており、その迫力はステラの小さな背中では隠せないほどだ。


「すげぇ‼」

「あっちの川にうじゃうじゃいたよ」

「虫の大量発生みたいに言うのやめなさいよ」

「いいなー、俺達は海に行ったけど、貝と海草しか取れなかったんだぜ」

「海?」


 あまり聞かない単語だった。

 ステラは見せていた魚を下ろす。


「孤島なら海に囲まれてるだろ? 近くにあるかもなーってレオと話していたら、本当にあったんだよ!」


 手に置かれた貝殻は、七色の輝きを放っている。


「海かぁ……」


 内陸で育ったステラは、人生で一度も海を見たことが無い。

 手の中で転がる、不思議な色合いに興味が注がれた。


「むしろ、よく川を見つけたな! 俺も明日はそっちに行こうかなー」

「ステラの漁業を見せて貰うといいわ。絶対に驚くから」

「なんだそりゃ」


 オレンジがかった太陽に貝を掲げていたステラの視界の端で、炎が揺らめいた。


 レオナルドが作ったキャンプファイヤーだ。


「戻ってきたか」

「うん。……あ! これあげる」


 足元に置いた、特に大きい方の魚をレオナルドに差し出した。

 案の定、眉を潜められる。


「なんでだ?」

「交換条件。これあげるから、火ちょうだい」


 完全に失念していたのだ。火が無ければ魚を焼くことは出来無い。

 日がある内に、火起こしをしておくべきだったのだ。

 炎属性の魔法を使える子はレオナルドの他にもいるが、あいにくステラにそこまで友達がいない。


 レオナルドは数秒差し出された魚を見ると、ようやく受け取った。


「良い案だな。そういう事なら遠慮なく頂く」


 交渉が無事成立した。


「ねぇオリバー、海水なんて持って帰ってきてないかしら。もしよければこの山菜と交換しない?」

「マジで⁉ いいのか⁉」


 リタも交渉に成功していた。

 オリバーは跳ねるように走って、洞窟の中に戻っていく。


「海水なんてどうするの?」

「煮詰めて塩を取ろうと思って。不純物が混ざって苦いかもしれないけど、出来るだけ精製するわ。今日は間に合わないけど、明日も魚を焼くのに何も味がしないんじゃ、味気ないでしょう? それに人体において塩分は必要不可欠よ」

「お、おお……」


 人間、ただ腹が膨れればいいというものではないらしい。

 自分には無い着眼点に、ステラはリタへ尊敬の眼差しを向ける。


 自慢の友人は自然の中でも頼りになる、スーパーウーマンである。





「ステラ‼」

「へ?」


 もうすぐ完全に日が落ちる。海水を取りに行ったオリバーを、全員が今か今かと待っていると、ようやく帰ってきた。しかも手ぶらで。


 その上えらく顔が真っ青だ。


「お前、見えない物って信じるタイプ⁉」

「どういうこと?」

「どっちでもいい、来てくれ!」

「ちょっと! 急に何⁉」


 オリバーの様子から、只事でないことはわかった。

 戻ってくるや否や、ステラの腕を掴むと洞窟の方へ引っ張る。


「変な声がするんだよ‼」

「落ち着いてよ!」

「んな悠長なぶへっ‼」

「五月蠅い」


 レオナルドのチョップが、オリバーの後頭部に入った。

 その拍子に、ステラの腕は解放される。


「なんのこと? 変な声って」


 リタが心配そうに、ステラの腕を摩る。


「ちょっと静かにしてみろよ……」


 四人の声が一旦無くなった。

 静寂が訪れるに決まっている。


 と、思っていたのに。


「やだ! なにこの啜り泣くような声!」

「風の音、というわけでもなさそうだな」

「曰く付きの島なのかしら、ねぇステラ……ステラ?」

「ステラサン? 嘘だろ、顔色悪っ‼」


 脳筋、山猿娘、怪力娘。様々な称号をアルローデン魔法学校にて獲得しているステラ。


 実は、ホラー系は大の苦手なのだ。


「な、なんだろうねぇ~……? 近くに動物でもいるのカナ~……?」


 滝のように汗をかいていた。



 ステラが住んでいた村には、秋の終わりに村の住人が、おばけや魔物の仮装をして、子供の病魔を追い払うというお祭りがある。

 昔、近所のお姉さんが、ステラを驚かそうと全力で追いかけてきたことが、トラウマになっているのだ。


 人間、成長して強くなろうともトラウマは中々克服出来ない。


「拾い食いでもしたか?」

「大丈夫? 変な物に当たったのなら危険だわ、リタイアしましょう!」

「だ、大丈夫……」

「いやいや⁉ この暗い中でもはっきりわかるくらい汗が異常だぜ⁉」


 言えない。


 普段女子が怖がる虫を率先して触り、男子ですら悲鳴を上げる筋トレをこなし、怖いもの知らずと定評のあるステラが!


 おばけが苦手など!


 言える筈がない!


「……まさかとは思うが、こういうホラー系が苦手とか、」

「あり得ないし怖くないし何馬鹿な事言ってんのレオナルドの方がビビッてんじゃないのちょっとお腹空いてきただけだし眠くなってきただけだし寝る時ウメボシいないから不安なだけだし愛用の枕持ってきてないから安眠できないのに気が付いただけだし‼」

「あっちゃぁ……頼みの綱が……」

「もう肯定してるようなものよ、それ」

「ああああああああ無理無理無理無理‼ なんでおばけ⁉ 信じられない、塩‼ 塩撒こう‼」

「落ち着いてステラ! 塩は精製出来て無いし、第一もったいないわ!」

「重症だな」


 頭を抱えてしゃがみ込むステラの肩を優しく抱くリタ。

 完全に病んでいる患者の図である。


「あ」

「な、なに……?」


 唐突にレオナルドが声を上げた。つられてステラも顔を上げてしまった。


「火の玉」


 レオナルドが指さす方には揺らめく炎。

 プツン、と、ステラの中の何かが切れた。


「……今まで私はおばけから逃げてきた。けどそれは今日で最後にする」

「どうしたの? 急に……」

「大丈夫、リタだけは絶対に守るよ」

「俺達は⁉」


 オリバーの叫びは無かったものとして、優しいリタの手を振り払った。

 守るべき存在がすぐそこに居るというのに、おばけごときで地面を這っている場合か。


 指が白くなるまで拳を握り、立ち上がった。

 鈍く光るナックルが、ステラの決意だ。


「来い火の玉‼ 完膚なきまで叩きのめしてくれるわ‼」

「それにしては足が生まれたての小鹿みたいだが?」

「あの火の玉の後はあんただからねレオナルド‼ 髪の毛洗って待ってな‼」

「首な! ステラ、そこは首な‼」


 気合いを入れろ、ステラ。

 こんな所で躓いていたら婦警さんなんてなれないぞ。ヒルおじさんと引っ越し屋さんルートに流れるぞ!


「覚悟しろ火の玉――‼」

「待て猛進怪力娘」

「ぐぇっ‼」


 勢いのまま突っ込もうとしたら、レオナルドに首根っこを掴まれた。

 変な声が出たが、犯人のレオナルドは悪びれた様子など一切見せない。


「なにすんの! もうちょっとで首絞まって落ちるとこだったわ!」

「よく見ろ馬鹿」


 徐々に近付いてくる火の玉。


「来る来る来る来る」

「声がでかい」


「おや、レオナルド皇子……と、ステラ・ウィンクル!」

「……は?」


 喋った。


 瞑っていた目を開けると、火の玉の向こうに人影が見えた。


「火の玉の正体はただの松明だ」


 冷たくなった手足が急に温まってくる。

 松明を持った人物の正体は、川で会ったばかりの人物。


「アブラじゃん‼」

「デルマだ‼ 誰がギトギトだ‼」


 ステラの身体の力が抜けた。

 地面にへたり込みそうになったところを、リタが支える。


「なぁ、この変な声、何か知ってるか? ステラがビビっちまってよ」

「ビビッてないし! 余計な事言うんじゃないよオリバー‼ なんならあんただってビビってたでしょうが‼」


 いきがって叫ぶステラが、リタの背中から吠える。しかし威嚇にも何もなっていない。

 あのステラが怖がっているというのに、デルマは堪える様子も無く、あっけからんと正体を教えてくれた。


「エルミラ嬢達だ」


 カルバンに噛み付く、強気な吊り目とドリル縦ロールがフラッシュバックする。


「なんだ、びっくりしたぁ……」

「今後の弄るネタが増えたな」

「おうおうレオナルド、表に出な」

「お前元気だな。オリバーですら疲れてるのに」

「急に俺を巻き込むなよ!」


 背中で喚くステラはさておき、リタが現状把握を努める。


「それで、なんで彼女達は泣いてるの?」

「この慣れない状況に放り込まれて、精神的に追い詰められているのさ」


 出た。あの時代遅れの肩あげ動作。両手を下げろ。


「彼女達は結局食料を取り損ねて、先生方から頂いた水だけなのさ」

「それはちょっとかわいそ「もう耐えられませんわ‼」」


 ステラの声を掻き消すような、甲高い声が洞窟から飛んできた。その直後に暗闇の中からでもよくわかる、華美なドレスの女子生徒が飛び出してきた。


「私は先に帰らせて頂きます‼」


 そこからは誰も止めることは出来なかった。


 名前も知らない女子生徒は、指を上に突き上げて呪文を唱えた。

 赤い光が暗い夜空を照らす。


「リタイアするの早くない⁉ まだ一日経ってないよ⁉」

「そう? 私は保った方だと思うわ」


 するとどうだろう。

 女子生徒の足元に人一人分入るくらいの魔法陣が現れ、明るい光に包まれた。


「いなくなっちゃった……」

「へぇー……リタイアした奴はああやって回収されるんだな!」


 オリバーが感心したように、女子生徒が立っていた場所をしげしげと眺める。

 そして、その赤い光は最悪の連鎖を引き寄せたようだ。


「私も限界ですわ!」

「私も……!」

「私だって!」


 様子を伺っていた他の洞窟からも、何人か女子生徒が走り出てきたのだ。

 空に様々な赤い閃光が飛び交う。

 場違いにも、一回だけ見たことある花火というものを、ステラは連想してしまった。


「エルミラ嬢も参りましょう!」

「結構です。わたくしはここに残ります」

「ですが!」

「嫌ならあなた達だけで先にお帰りなさい!」


 ステラとリタが、顔を見合わせた。





「あなた様ともあろうお方が、こんな洞窟の中で夜を明かすなど! 信じられませんわ!」

「本来ならそうでしょう。ですがこれはもう授業など関係ありません! わたくしとカルバンの戦いでもあるのですわ!」

「しかし!」

「私はこの戦いを必ず生き抜き! ここを脱出して、奴を叩きのめして差し上げますのよ‼」




「…………え、そういう課題? 私達も帰ったらカルバン先生を袋叩きするの?」

「違うに決まっているでしょ」

「つーか、あのお嬢様じゃ木の実一つ拾ってこれねぇんじゃねぇの? 餓死しちまうぞ」

「意外とそんなこともない。人は食わなくても七日は生きれる。最悪雨の日に地面に寝転がって、雨露を飲めばなんとかなるだろう」


 これは生徒全員に課せられた課題であり、決して彼女とカルバンの戦いではない。

 帰ってからカルバンに一体どんな報復が待っているのか。少々心配ではある。


 デルマが赤い光を眺めながら小さく口を開いた。


「……エルミラ嬢は昔からやると決めたことは、やりきる方だからな」

「お? アブラは知り合いだったの?」

「アブっ……⁉ ごほんっ……何、貴族である以上、繋がりは切っても切れないものだのだよ」

「すげぇよデルマ、そこでステラの間違いを流すなんて大人だと思うぜ」

「僕はそこまで子供染みていないからな!」

「貴族の繋がりねぇ」

「当の本人は全く聞いちゃいねぇ!」


 エルミラの説得に敗れた女子生徒が何人か出てきた。

 その子達も先ほどの子達と同様に、空へ赤い花火を放つ。


 ……と言うか、これで殆どいなくなったのでは?




 ステラとリタが恐る恐る洞窟の中を覗き込むと、エルミラは一人で膝を抱えていた。


「エルミラー……?」

「……何ですの? 山猿怪力娘」

「悪態をつく元気はまだ残ってるみたいね」


 小さなため息を吐くのはリタ。その息の中に、僅かな安心が含まれていたことは、ステラにだけ伝わった。

 洞窟の奥からエルミラは凄むが、目元は赤い。

 怖いながらも必死に我慢しているのだろう。


 綺麗に施された化粧は最早ボロボロだ。


「わたくしを笑いに来たのかしら?」

「違うよ。ただ……」


 リタを横目で見た。彼女もしょうがないと言わんばかりに、頭を小さく縦に動かす。


「一緒にご飯食べない?」

「何をおっしゃるのかしら。わたくしは何も食材を持ち合わせていなくてよ」

「じゃあ今日は貸しで。今日の食材の分は私達が困った時に力を貸してよ。そして明日から一緒に食材取りに行こう」

「そんな都合のいいこと……」

「エルミラ嬢」


 外で待っていた筈のデルマが中に入ってきた。


 エルミラの前で膝をつく。

 その動作がやけに様になっている。


「我々は自然の中において、無知であることは確かです。それでも私や、あなたはこの課題を乗り切ると決めた。ここでなんとしても生き抜かなくてはならない」

「デルマ……」


 エルミラが大きく目を見張った。


 ある意味レオナルドより皇子らしいのではないだろうか。

 こう、物語とかに出て来て姫を助けるキラキラ系皇子。


「生きることは食べることです。ステラ・ウィンクルとリタ・レブロンの言葉に甘えましょう。この者達の言う通り、明日から協力したらいいのです」

「サンマ‼ あんた、いいこと言うね‼」

「デルマだ‼ 誰が秋の味覚だ‼」

「出っ歯‼ 出っ歯になってる‼」


 これはモザイク案件である。


 秋の味覚を押し退けて、ステラはエルミラの手を取った。

 抵抗をしないのは諦めたのか、はたまた説得が成功したのか。


「行こうよ。外でレオナルドも待ってるよ。なんならまだ食べてない人全員誘って、皆でご飯にしよう!」

「そんな! こんな顔でレオ様の前に行くなんて!」

「大丈夫よ。こんなに暗いんだもの、顔なんて誰も見えないわ」


 なんて言いながら、リタが綺麗なハンカチをエルミラに差し出した。

 なんやかんや言ってリタも、エルミラを心配していたのだ。




「レオナルドー」

「ん?」


 エルミラを連れて外に出ると、案の定レオナルドとオリバーはすぐ側で待っていた。


「残ってる人はもうご飯食べた?」

「まだだが」

「じゃあ私達もそっちに混ぜてよ。皆で一緒に食べた方が絶対いいよ!」


 オリバーがレオナルドの背中を覗かせた。


「エルミラの説得はうまくいったみたいだな!」

「殆どデルマが説得したようなものだけどね」

「あ、あの、レオ様……」


 デルマの隣に立ったエルミラが、控えめに声を出した。

 レオナルドから見てもいつもの威勢は無く、疲弊しきっているのが丸分かりだ。


「……腹減っているんだろう。向こうに行くぞ」

「! はいっ!」


 レオナルドなりの優しさは効果抜群だ。

 つい数秒前までのエルミラは、血が通っていないのではないかと言うくらい顔色が悪かったが、一気に血行がよくなって頬が薔薇色だ。


「恋の力って偉大よね」

「一概に馬鹿にはできねぇよな」

「ふっ……。美しいじゃないか」


 これが青春の甘酸っぱい思い出というやつだろう。


 しかしここに、そんなものとは無縁に生きる人間が一人。


「あっ‼ あそこにいる虫食べられる‼ ちょっとこれ持ってて‼」

「虫⁉ 虫だけはやめて‼」

「おいステラ! 虫を食うのは、この昆虫愛好会の会長であるオリバー様が許さねぇぞ‼」


 現時点で最も恋愛と対極に生きる女、ステラである。


 虫を追いかけようとするのをリタに止められ、泣く泣く男子生徒の集まる場所へ連れていかれるのだった。

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