8,孤島の試練 1
青い空、白い雲。
両手を広げて深呼吸をする。
肺いっぱい広がるのは、木々が綺麗にしてくれた美味しい空気。
これだよ、これ! 学校では決して味わえない爽やかさ!
長期休暇ぶりの大自然にステラの心が躍る。
「どういうことですの⁉」
「エルミラ嬢、落ち着いてくださいませ……」
「これが落ち着いていられるものですか!」
遡ること数時間前。事は起こった。
******
「準備できたわ、ステラはどう?」
「私も大丈夫!」
大きな鞄を肩に提げて、ステラとリタは寮の扉を閉める。
いつもは下ろしている髪をポニーテールに纏めたリタが、ため息をついた。
「なんなのかしらね、野外授業って」
手に持った〝野外授業シラバス〟と書かれたプリントを、リタは眺める。
そこには日時と、動きやすい服、そして何着か着替えを持ってくること。これしか記載されていなかった。
この世で最もシラバスの役割を果たしていないシラバスである。
「さぁ……。動きやすい服って書いてあるから、実技だとは思うけど」
対してステラはいつも筋トレで着用している短パンにTシャツ。色気のいの字も無いが、プリントに記されている条件は十分過ぎる程満たしていた。
意味を成さない予想を語り合いながら、校庭の日の光を浴びる。
集合時間五分前だが、ほぼ全員が集まっているようだ。
「あー……ちょっと早いが皆いるな、野外授業を始めるぞー。……の前に」
名簿帳で肩を叩きながら、カルバンは一部の生徒を一瞥する。
「一部の女子生徒。俺は動きやすい格好で来いと言ったんだが?」
「淑女たるもの、いつ何時もお洒落を忘れてはなりませんわ」
「ええー……。ドレス汚れても俺は責任取れないからなー」
一部の女子生徒代表、エルミラが堂々と言い切った。
エルミラや他のお嬢様軍団はいつも通り、豪華で宝石の着いたドレスを身に纏い、髪を綺麗に結ってハイヒールで佇んでいた。
「(珍しくカルバン先生が注意してるんだから、聞き入れたらいいのに)」
まだ言い争うカルバンとエルミラの後ろでは、エドガーが地面に魔法陣を描いていた。
遠目から見る限り、転送の魔法陣だ。どうやらこの学校の敷地から出る課題のようだ。
「準備できましたよ」
「お! ありがとうございます。じゃ、皆魔法陣に乗れー」
丁寧に書かれた魔法陣の上に、術式を消さないよう全員が慎重に足を踏み入れた。
転送魔法は魔法陣が大きければ大きいほどコントロールが難しく、よほどの鍛錬と魔法のセンスが無ければ散り散りになって成立しない。
だというのに術者のエドガーは涼しげな顔で、術を発動させるために手を組んでいる。
「皆乗ったなー? 行くぞ!」
カルバンの合図でエドガーが頷き、呪文を唱える。
「ムビウス・ロック! (転送魔法)」
青白い光が魔法陣からにじみ出てステラ達を包んだ。想像以上の眩しさに何人かが小さな悲鳴を上げる。
何処に飛ばされるのだろう?
光は強くなって、いよいよ視界は真っ白になった。
完全に見えなくなる前に、エドガーと目があった気がした。
「着いたぞー!」
「全員いるみたいですね」
一体どうなったのだろう?
きつく瞑った目をゆっくり開いた。
「……何処、ここ……」
見渡す限り、緑、緑、緑……。
見当違いでなければ、ここは森。
ステラにとってみれば、育った村の近くにある森に似ていて馴染み深い。というか、休暇中にヒルおじさんと山籠もりをした環境とほぼ一緒だ。
「こんな自然の中、私初めて来たわ」
「キャンプとかしたことない?」
「だって虫がいるじゃない」
「そんなブレないリタが好きだよ」
流石がリタだ。
自分達より遙かに高い木から数羽の鳥が飛び立った。
「あの鳥、」
「可愛い鳥ね!」
「焼いたら美味しいよ!」
「食用⁉」
先ほどの鳥は、王都みたいに人間が沢山いるような場所には住まない。
つまりここは、本当に森の中なのだ。
「ここからは僕が説明します。まず先に、プレゼントを配りますね」
お嬢様軍団や杖を持ったお坊ちゃまは動揺を隠せないようで、お喋りが止まらない。
「プレゼントですって?」
「こんな所に連れてきて一体なんなんだ……!」
プレゼントとは、先生二人の間に置いてある大きな木箱のことだろう。
中から銀色の筒と黒い袋がカルバンによって取り出され、順番に回ってきた。
「なにかしら?」
「これは……水筒っぽい。こっちの袋は……」
袋を開けると中から出てきたのはサバイバルナイフだった。
パチン! と刃を出してみる。
「うっそ……‼」
「何処か不具合がありそうかい?」
「このブランド、凄くいいですよね!」
先日ヒルおじさん達と山籠もりをした際、何度か使わせて貰ったのだ。
切れ味を取っても錆びにくさをとっても、バランスが取れた一級品だ。
その分お値段も張るみたいだが。
エドガーは少し驚いたようだが、すぐに困ったように笑った。
「ここのブランドを知ってるなんて、相当のマニアックだね」
「この界隈ではメジャーですよ!」
「どの界隈だろう……」
「エドガー先生、大丈夫です。ステラは放置で全く大丈夫です」
戸惑うエドガーに、カルバンがすかさず真顔でフォローを入れた。
ステラに釣られ、他の生徒も袋を開ける。
ナイフを間近に見て、お嬢様軍団の可愛らしい悲鳴が響く。
プレゼントと称したサバイバルセットが全員に行き渡ったのを見届けると、エドガーは声を張った。
「説明します! 今から一周間、君達にはこの孤島でキャンプをして貰います!」
一拍置いて森に悲鳴が響き渡った。
「孤島ですって⁉」
「ここにはお香も裁縫道具も、メイドもいませんわ!」
「こんなこと! 僕の母上が許しません!」
返ってきたのは、非常に賑やかな声。
「予想通りの反応ですね、カルバン先生」
「予想通り過ぎて俺は悲しいです……」
そっとカルバンは両手で自分の顔を覆った。
ブーイングの嵐に臆せず、エドガーは説明を淡々と続ける。
「何も見殺しにするつもりはないですよ。君達が命を落とさないように、ちゃんと僕達が遠隔で見張っている。それに水も配ったので、三日は生きれるでしょう」
「食事はどうしろというのですか⁉ ベッドだってありませんわ!」
扇子を片手に、焦った様子のエルミラが一歩前に出た。
後ろの取り巻き達も、打ち合わせしたのか? と、問いたくなるほど揃って首を縦に振る。
「ここでは君達の力で生き抜いて貰います。食事の準備も寝る場所も、身の安全を確保するのも。何も全部一人で賄えとは言いません、仲間と協力して、です」
この場にそぐわない程の綺麗なエドガーの微笑みを受け、エルミラは押し黙る。
「期間は一週間です。けど、もうダメだと思ったら空に救難信号を打ち上げてください」
「呪文はインベンディオ(救いの光)だからなー」
カルバンが空に向かって人差し指を向けた。呪文を唱えると、赤い光が空に上がる。
明るい空の下で見る光より、暗い空で見た方がきっと綺麗だろう。
ステラが光を眺めていると、お嬢様軍団の中から見慣れた金髪頭が出てきた。
「質問、いいか?」
レオナルドだ。側に居るお嬢様Aの頬がピンクに染まる。
「どうかした?」
「もし救難信号を打ち上げて、リタイアしたら何かマイナスポイントが付くのか?」
「マイナスポイント?」
咄嗟に復唱した。
質問の意図がわかっていないステラに、レオナルドは注釈を加える。
「そこを聞いておかないと、教師達がいなくなった瞬間に救難信号の嵐になるだろう。それじゃあ授業にならない」
「なるほど! 全く考えつかなかった!」
掌をポンッ! と叩く。
そんなステラを微笑ましく見守っていたエドガーが、とんでもない回答を寄越してくれた。
「もし救難信号を打ち上げた場合、進級判定に関わってくるよ」
シ――ン……。
今まで騒いでいたのが嘘みたいだ。
エルミラを含め、多くの生徒が顔を青くする。進級できないとなると大問題だ。
「もちろん、生き残るための努力は、ちゃんと判断対象としてカウントするよ。何もしないで、救難信号を打ち上げた場合のみだから安心してね」
「なるほどな、つまり進級試験も兼ねているってことか」
「その通りだよ、レオ」
今日一番の笑顔のエドガー。
今回ばかりは誰もが口を閉ざしたまま。いつもの黄色い声は何処へ行った。
しかしここに誰よりもやる気と希望に満ちた人間がいる。
「(シンプルでいいじゃん……!)」
脳筋・ステラだ。
手を上げて発言権を求める。
「じゃあ一週間、自由にここで暮らしていいってことですね⁉」
「もちろん。張り切り過ぎて怪我しないようにね」
「はい‼」
「俺の授業より楽しそうだなぁ、ステラ……」
笑顔が輝いている、と嘆くカルバンの肩をエドガーが苦笑いで叩く。
文句を垂れる生徒達をよそに、リタが辺りを見渡した。
「先に寝床を確保した方がいいのかしら。雨が降ってきたら悲惨よ」
「そうだねぇ」
ありがたいことに水は支給して貰った。
最悪これで今日は凌げる。木の実くらいなら近くに落ちていそうな物だ。
ステラは以前にもキャンプを経験しているし、山暮らしのため、ある程度の知識もある。
「(やってやろうじゃん……‼)」
学園生活初の得意分野だ、ここでやらんでなんとする!
ステラはやる気満々に、伸びた髪を一つに纏めた。
「それから、ステラさんとレオ。こっちにおいで」
「はい?」
なんだろう。
手招きされるがまま、何も疑わずに前に出るとエドガーに腕輪をつけられた。
それも頑丈で鍵を使わないと解除できなさそうだ。
「君達二人は、使い魔召喚禁止ね」
「俺は別にかまわない」
「いやいや、私は困りますよ! ウメボシを抱き枕にしないと寝れないようになっちゃったんですから!」
「お前な、大切な使い魔を抱き枕にするなんて……。第一、風呂に入れてるのか?」
「毎日一緒にシャワー浴びてますぅー」
ここで最大の不幸だ。
こんなことなら昨日の内に、もっとあのモフモフな腹毛を堪能しておくべきだった。
「では一週間後の朝に迎えに来ます。さっきも言いいましたが遠隔で見張っているので危険ながあったら助けますし、救難信号を打ち上げたらすぐ帰還させます。皆で頑張ってください!」
そう言い残して、先生二人組は魔法陣に乗っかり、消えてしまった。
そしてエルミラの怒号に至る。
「あり得ませんわ! 国の重要人物であるわたくし達や、レオ様をこんな野蛮な森へ放り込むなんて! エドガー様はカルバンに吹聴されたのです、そうに決まっていますわ‼」
「本当ですわ、戻ったらお父様に言いつけます!」
話の引き合いに出されたレオナルドは顔色一つ変えることなく、さっさと何処かに行ってしまった。
この状況を嘆く生徒もいれば、絶望で空虚を見つめる生徒もいる。
キャンプなど経験の無い人間が急に森へ来れば、こうなるだろう。
「私達も動きましょう」
「日が暮れるもんね。あっちに洞窟が見えてるよ」
ここに逞しい平民出身女子が二人。
近場の洞窟に二人分の荷物を入れると、ステラは腕まくりをした。
「水とナイフを支給してくれたけどさ、こんなに簡単に洞窟の側に飛ばしてくれたのも大サービスだよね」
「本当よ、本来なら洞窟を探すだけで一日終わるでしょうに。さて、寝る場所も確保できたし、次は食べ物と水ね」
「近くに川があるんじゃないかな。明日からの水の確保も必要だよ」
「そんな都合よくあるかしら……」
そしてステラの勘は当たった。
「ほら!」
「なんでわかったの⁉」
洞窟からそう離れていない場所に、目的の川は流れていた。
リタは愕然としながら、ステラと川を交互に見る。
「だって水やナイフ、洞窟までサービスしてくれる先生達だよ? 絶対近くにキャンプのヒント転がしてるだろうなーって思っただけ」
「だとしても……いえ、これはステラの野生の勘なのかしら……」
褒め言葉である。
「とりあえずよかったじゃん、早く食べ物を「ステラ・ウィンクル!」な、なに」
フルネームを大声で叫ばれる事など、人生の内で何回も無いだろう。
驚いて、来た道を振り返った。
なんと、終業式でステラを別荘に誘った男子生徒がいるではないか。
「名前なんだっけ?」
「あなたねぇ……」
声を潜めてリタに聞くが、答えを教えて貰う前に向こうが喋り出してしまった。
「勝手に行かない方がいい! 何かあったらどうするんだ!」
「心配してくれたのね……ステラ?」
顔は覚えているが、名前が前歯の裏まで来ているのに、出てこない。もうちょい! 気持ち悪い!
バチッ! と目が合った瞬間、閃いた。
「ダルマだ!」
「デルマだ‼」
「惜しい‼」
キャパの少ないステラにしてはよく思い出した方だ。
「クラスメイトだというのに……んん⁉ こんな所に川⁉」
「偶然あったんだよ、他の皆もこれで大丈夫だね!」
ステラは川の水を手に汲んだ。
この綺麗さなら、数分の煮沸で飲めるだろう。
「なんということだ、皆を呼んでこなければ!」
「めっちゃ元気じゃん」
他のクラスメイトはあんなに絶望していたのに、意外だ。
デルマは来た道を戻って、森の中に消えてしまった。
「進級試験を兼ねているんだもの。彼は早めに現実を見ることにしたのね」
「そうやって言われるとちょっと緊張しちゃうよね」
と言いつつ、ステラはいつもの調子で靴と靴下を脱いだ。
「何をしているの? 早く山菜を採りましょうよ」
「私は魚を捕まえるよ!」
「どうやって? 網も釣り竿も無いわよ」
「素手で」
「素手」
その時のリタの目は、まるで逆立ちで綱渡りしている豚を見るような目だったと、後にステラは語る。
「確かに魚は沢山いるみたいだけど、大丈夫なの?」
「任せといてよ!」
川を濁さないように、そっと中心まで足を進めた。
水が冷たくて気持ち良い。しかし長い間浸かっていると風邪を引いてしまうだろう。
早く捕まえて出た方が得策だ。
出来るだけ水を揺らさないように、前かがみになって手を川に入れる。
目に魔力を集めて、未来を瞳に映す。
ここからが勝負だ。
「大丈夫……?」
「うん、もうちょっと……」
沢山の魚がステラの真下を通っていく。
一際大きな魚が手元に来た瞬間――――
「っしゃあぁぁぁぁぁあ‼」
手を横に振り抜いた。
魚と巻き込まれた水しぶきが、ゆっくり岸辺に居るリタの方へ落ちていく。
「きゃあっ‼」
手ごたえ有りだ。
さぁ、どれほどの大物が捕まえられたのか。
ザブザブと水を掻き分けて岸に上がると、魚はリタの足元で跳ねていた。
「大成功!」
「あなた、それ熊の魚取りじゃない⁉」
「そうそう、迷わず一発で決めるのがコツなんだよ! 失敗すると周りの魚が全部逃げちゃうだけで終わるからね」
ビチビチと跳ねまくる魚の顎を掴んで、質の良さを見極める。
さながら、その顔つきは漁を生業(なりわい)とする漁師のよう。
「いい魚! 体高もあるし、目も綺麗。これ一匹で今日の夕食くらい賄えるよ!」
エドガーから貰ったナイフを取り出した。太陽の光を反射していて、切れ味抜群の優れもの。
魚の頭に刃先を立てて、血抜きを始めた。
「捌くところまで出来るなんて、持って来いの能力ね」
「ここまでは得意なんだ。料理はからっきしだけど」
魚を川の中に付けて、血を洗い流していく。
慣れた手つきは、ヒルおじさんの教育の賜物である。
そしてステラは、この短時間で魚を二匹捕らえる事に成功した。
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