6,故郷の匂い


「ハァ~斧を~担いで前進め~! 後ろに進むなぁ~鹿の糞~! 

 右を~向いたら兎跳び~左を向いたらキャメルクラッチ! フゥ~……」

「絶対に学校で歌うでないぞ」

「なんで?」

「特記すべき事が山ほどあるが、敢えて引っかかるところを上げるとするならば、ハミングがうっとうしい」

「一番の聞かせどころなんですがね」


 ウメボシが落ちないように箒の前に座らせて、風を全身に浴びながら山奥へ進んでいく。


「随分と遠い場所に住んでいるのだな。もう夕方ではないか」

「とか言ってる間に入り口に着くよ」


 一際大きい楠が見えてきた。独特の香りにウメボシは鼻をヒクヒクさせる。

 人工的な香水は好まないが自然の香りは良いのだと、いつだったか話していた。


 ステラが箒の高度を下げて、楠の根元に降りる。


「ここから歩きね」

「何? 村らしき場所は見当たらぬが」

「村への入り方が決まってるんだよ。なんでかは知らないけど」


 大して重くない荷物を肩に掛けて、更に森の奥へと足を進める。

 太陽の光が木々に遮られて視界が悪くなってきた。


 それでも道に慣れているステラは、迷うこと無く足を動かす。


「着いた。このトンネルを抜けたら私の故郷だよ!」

「これは……ウツギの花か?」

「よく知ってるね」


 辿り着いたのは白い花が覆い茂る、レンガのトンネル。少々長く、出口はここから見えない。

 ウメボシは黙ってそのトンネルを見上げた。


「行こう!」

「疲れた、抱っこを許可しよう」

「なんでこのタイミング⁉」

「小生のモフモフっぷりを堪能出来る栄誉だ、誉れだぞ」


 小さな毛玉は、有無を言わさずステラの肩によじ登る。

 それは抱っこでもなんでもなく、マフラーだ。


「ちょっとー。落ちないでよ」

「そんなヘマをこの小生がするとでも?」 

「思ってないけど、擽ったい!」


 ふと視界が暗くなった、太陽が木に隠れたのだ。


「(危なくなってきたかも……)」


 これ以上視界が悪くなるは危険だ、早く村に入った方がいい。

 首元のウメボシをそのままに、ステラは足早にトンネルを潜った、





「ほら、着いたよ」

「……通り抜けられたのか?」

「なんで? 普通に通ったよ」

「そうか、ならいい。……ほぅ、ここがステラの故郷か」


 辺り一面に広がる原っぱ。その先には何軒か家が建っているのが、小さく見える。


 懐かしい田舎の匂い。

 草と土の入り交じった匂いは、ステラの肌に馴染んだ匂いだ。


「私の家はあっちだよ」


 首に巻き付いたままのウメボシに簡単に村を案内しながら、すっかり暗くなった道を辿って自分の家に向かう。


「あっちがよく卵を分けてくれるおじさんの家。そっちは美味しい人参を作ってるおばあさんの家。私の家の隣に住んでるおばさんは、レオナルドのお兄さん推し。旦那さんは長年痔で苦しんでいて、丸くて穴が空いているクッションが手放せないんだって」

「最後の情報は伏せ置いてやれ……む」


 ウメボシが頭を擡げた。まだ少し距離のある家の方に目を向けて、匂いを嗅いでいる。


「いい匂いする? もうすぐ晩ご飯だからね」

「違う」


 短く言い切ると、ステラの首から飛び降りた。


「何か来る」

「えっ⁉ そういえば狐って霊感とかあるんだっけ……」

「そういう類いではない。……あれだ」


 ウメボシは、太陽と闇が溶け合った空を仰ぐ。ステラも一緒になって見上げると、自分の家の方から赤い何かが飛んで来るのに気が付いた。


「何故、奴がここに……っ待つのだ!」


 警戒するウメボシが制止する前に、ステラは駆け出した。

 息を弾ませて近付いてくる明るい光に、必死に手を差しのばす。




「――――イグニス‼」

「久しぶりですね、ステラ」


赤い光はステラに舞い降りた。否、光ではない。

 腕を掲げると、一羽の炎を身に纏った鳥が止まった。


「元気だった⁉ 会いたかったよー!」

「私はこの通り。あなたも変わりが無いようで何よりです」


 触っても熱くない炎の謎は、ずっと謎のまま。ステラはなにも気にせず、イグニスの額に自分の額を押し当てた。

 すると足元に草ではないモフモフがぶつかった。


「待てと言っておるというのに!」


 ウメボシがステラの足にしがみつく。空いている腕で抱き上げると、イグニスがよく見えるように近付けた。


「ごめんね、久しぶりだったから。この子はイグニス、ヒルおじさんの使い魔なんだよ。昔から怪我した時は、イグニスの魔法にお世話になってたんだ!」


 イグニスが優雅に美しい頭を、ほんの少しだけ下げた。


「こうやって相見えるのは何年ぶりでしょうね」

「お主が人間に仕えたと聞いて二十年以上経つか」

「時の流れは速いものです。それよりなんですか、あなたのその背丈は。まるで赤子の狐のようですね」

「余計なことを言うでないわ」


 妙に軽快なやり取りだ。

 着いてこれないステラは、動物同士の会話に目を白黒させるしかない。


「えっと、知り合い?」

「少々な。しかし驚いた、まさかステラがセレスタ……っ⁉」


 喋っている途中で、ウメボシの口の中にイグニスが己の翼を突っ込んだ。

 器用な翼である。


「喧嘩しないでよ!」

「ほほほほ。昔よりこうしてじゃれ合うのが、数少ない楽しみだったのですよ。ところでウメボシとやら? 余計なことを言うでないわ、と言うなら、私もそっくりそのままお返ししますからね」

「ふがっ⁉ ふがー‼」

「の割にはウメボシ暴れているけど」


 イグニスは翼を抜くと、再び夜空へ舞い上がった。


「私は久しぶりに空中散歩をしてきます。二人とも、夜道に気をつけるのですよ」


 ウメボシの文句を聞く前に、森へ飛んで行ってしまった。

 いつも穏やかで、鳥とは思えない落ち着きを持ったイグニスにしては、珍しく武力行使の言動だった。

 燃えている時点で普通の鳥ではないのだろうけれど。


「大丈夫?」

「ペッ‼ あやつはいつも高飛車な……‼」

「家に着いたら水を飲もうね。で、さっきなんて言いたかったの?」

「……なんでもないわ」


 拗ねてしまった。こうなると機嫌を取り戻すのに時間が掛かる。

 聞きたかった言葉の続きは、きっと聞かせて貰えないだろう。


 ステラは気を取り直して、ウメボシを首に巻いた。




 そこから実家までの道のりは遠くなかった。


「ここか?」

「そうだよ、これが私の実家!」


 赤い屋根に、レンガで組み立てられた壁。色とりどりの花が、ランプの下で咲き乱れている。

 周りの家に比べれば一際小さいが、何処よりも生命力に溢れていた。


「暖かな雰囲気だな」

「でしょ! お母さんがガーデニング大好きなの。だから花はいっぱい植えてあるんだ」


 門灯が柔らかな光を湛え、ステラとウメボシを歓迎しているようだ。

 戸に着いている鐘を鳴らすと、ドタバタと複数の足音が中から聞こえる。


「イグニスがいたってことは、ヒルおじさんが来てるんだよ!」

「お主の話に毎回のように出てくる人物だな。どれ、早速挨拶をせねば」


 もうすぐ会えるのだ、と二人が心躍らせながら待っていると、予想外の人物が扉から飛び出してきた。


「ステラー‼」

「うぎゃっ⁉」


 避ける暇も無く、柔らかな衝撃がステラを包んだ。


 驚いた反動でいくつか荷物を落としてしまったのは、しょうがない。


「おかえりー‼ 元気だった⁉」

「ハ、ハイジ先生‼」


 ハイジ先生と、ステラに呼ばれた女性は金色の髪を綺麗に夜会巻きに纏めた知的な女性だ。ブルーの吊り目が、優しげにステラを映し出している。


「少し身長が伸びたかしら?」

「成長期だもん!」


ぎゅむぎゅむっ! と、ステラを抱き潰さんとばかりに離さない。


「おかえりなさい。あらら、荷物が散らばっちゃって」

「ただいま……むぎゅっ‼」


 テンションがぶち上がったハイジ先生の抱擁が、きつくなっていく。

 後ろから顔を出した母に助けを求めようと試みるが、いつも通り穏やかに笑うだけだった。


その間、ステラはハイジ先生の豊満な胸に溺れていくことになる。


「あら、なんだか素敵なマフラーをしているわね。リアルファー?」

「小生は生きておる」

「生きてるわ‼ ラナ、ステラが喋る狐を拾ってきたわよ!」

「ステラ、狐は寄生虫がいるからダメって言ったでしょう」

「小生は寄生虫なんぞ持っておらん‼」

「持っていないらしいわ!」

「じゃあ大丈夫ね!」


 自己申告はあっさりと通過した。いいのか、それで。


 ウメボシが肩から降りたことにより、ようやくハイジ先生の抱擁からステラは放たれる。

 新鮮な空気を求めて、大きく息を吸った。


「小生はステラの使い魔である! 決して愛玩動物ではないぞ!」

「そうだよ! ウメボシって名前で、私が召喚したの!」


 ステラの足元でウメボシが胸を張った。

 モフモフの胸毛がより一層ボリューミーで、顔を突っ込んだら天国以外何物でもないだろう。


 ハイジとラナが目を輝かせた。


「ステラの年で召喚するなんて、凄いわ!」

「手紙に書いてあったのはこの子なのね。初めまして、ステラの母のラナです」

「私はハイジよ! ステラのことよろしくね~」

「うむ!」


 ウメボシに二人の相手をして貰っている間に、落ちた荷物をかき集める。


「まぁ! フカフカ! ラナもお腹を触ってみなさい!」

「本当ですね、ハイジ姉様!」

「特別なのだからな!」


 ハイジ先生は村に一つしかない学校の臨時教師だ。不定期ではあるが、たまに村に訪れては子供達に勉強や遊びを教えてくれる。

 ラナはハイジ姉様と呼び慕っているが、実の姉妹ではない。二人は遠い親戚であり、昔から仲良しなのだ。

 ステラのオムツも替えて貰ったことがあるらしい。


「(あれ?)」


 先ほどイグニスが居たということは、契約主である筈のヒルおじさんもいる筈。何処へ行ったのだろうか。


 そんなステラの疑問はすぐに解決した。


 玄関に拾った荷物を置こうと、中に入ると異様な雰囲気。

 何事かとリビングに続く扉を見ると、声にならない悲鳴を上げた。


「ひっ……⁉」

「ステラ……」

「な、なにやってんの……」


 扉の陰に潜んでいたのは、いつも威風堂々と百戦錬磨のような出で立ちで、ステラを厳しく、しかし時には優しく導いてくれるヒルおじさんだった。

 いつもの覇気が無く、しょぼくれている。

 なぜヒルおじさんがここまでシオシオなのか、ステラは後ろを盗み見た。


「ハイジ嬢……怖い……」

「なんでハイジ先生と鉢合わせるとこうなるんだか……」

「だって怖い……」


 いつからか、覚えていないくらいだ。

 ステラが物心ついた時から、このヒエラルキーは完成されていた。理由はわからないが、何故かヒルおじさんはハイジ先生に頭が上がらない。


 慰めようと片手を伸ばすと、その手が届く前に背中に重みが乗っかった。

 肩を振るわせたヒルおじさんが内股になっている。


「ごめんね、ステラ……先生はもう帰らなくちゃダメなのよ……」

「えっ⁉ 今日はお泊まりしていかないの⁉」

「したいのは山々なんだけど、用事があるのよぅ……」

「そんなぁー……一緒にご飯食べたかった……」

「私もよ‼」


 スベスベの頬でステラに頬ずりする。

 いつもは村に来ると二、三日はステラの家で滞在していくため、こんな短い時間しか会えないのは初めてだった。

 久しぶりだというのに、もうお別れなのかと思うと、名残惜しい。


「あの、ハイジ嬢? そろそろ俺もステラとの再会を……」

「赤ゴリラは黙ってなさいよ」

「……」


 ハイジ先生の圧勝である。

 哀愁を纏ったヒルおじさんは、また陰に身を縮込ませてしまった。


「ふんっ! 私は学校へのお見送りが出来なかったんだから、おかえりの抱擁くらい譲るべきよっ!」

「し、しかし! もう随分と長い間ステラを抱き締めているし、そろそろ変わってもいいのではないだろうか!」

「まぁ、ヒルさんともあろう方が! 久しぶりに会う、可愛い教え子との再会を遮ると言うのかしら⁉」

「俺とて久しぶりなのだが⁉」

「大体! あなたは私より頻繁にラナとステラに会っているでしょう‼」

「それはそうだが‼」 

「二人とも近所迷惑ですよ」


 ウメボシと母が玄関扉を閉めて入ってきた。

 大人しくステラの足元に座るウメボシを見て、ヒルおじさんが少し元気を取り戻した。


「その子が使い魔か! 流石俺のステラだ!」

「誰のステラですって?」

「なんでもありません‼」

「だから近所迷惑です」




「これはいつまで続くのだ?」

「多分、ハイジ先生が帰るまで」

「ふむ。この人物達がステラの人格を作り上げたのだな」

「いい人達でしょ?」

「姦しい」

「昔からだよ」


 苦笑いで手を洗いに行くため廊下を歩くと、ウメボシが鼻を鳴らした。


「甘い匂いがするな」

「果物の匂いかな」


 すぐ側にある箱の蓋を取って見せた。中には新鮮な果物がどっさりと入っている。


「見事な果実だな。都心で買おうとすると値が張る物ばかりだ」

「これはお母さん達が作ってるんだよ」

「なんと!」


 興味深げに果物の箱に頭を突っ込んで、匂いを確認している。

 落ちないようにステラがウメボシを抱き上げた。


「ご近所さん達と一緒に作って町に売りに行ってるんだよ。少し離れたところに果樹園があるの。手紙に私達の分も取り置きしてあるって書いてあったから、後で一緒に食べよう!」

「楽しみだな、このような上等な果実を口にするのは久しぶりだ」


 本音は早く食べたいだろうが、大の大人三人がまだ表で騒いでいるため、お預けだ。

 




 結局ハイジ先生は、時間が許すギリギリまでステラを離さず仕舞い。

 ハイジ先生が帰った後は、それはもう大変だった。


「ハイジ嬢、めっちゃ怖かった……‼」

「いだだだだだ‼」

「ヒルさん、手加減してあげて」


 泣き縋るヒルおじさんに、髭でジョリジョリの頬で頬ずりされた。

 本気で顔面の皮膚を一枚持って行かれたのではないかと不安になる。


「おじさんは暫く居るからな! 久しぶりに魔法の特訓しようか!」

「それだったら山籠もりしてみたい!」

「えらく古風だな⁉」


 実はカルバンに冗談で言われた山籠もりに興味があった。やらない、と公衆の場で公言したものの、実践したところで誰にもバレやしない。

 あまり長くいられないヒルおじさんと短期集中修行するならば、ピッタリだ。登山届は何処に提出すればいいのかわからないが。


 困惑するヒルおじさんを押し退けて、ラナがエプロンを手に取った。


「山籠もりもいいけど、先にご飯でしょう。今日はステラの好きなシチューよ!」

「やったー!」


うまい、と賞賛するウメボシの姿が簡単に想像できる。

 山籠もりの件は、食べながらプランを練るのが楽しそうだ。


 夜の帳が下りて星が震える。

 今夜はいつもより長い夜になるに違いない。

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